六角広泰は幕末の高家旗本(大身旗本)
大納言烏丸光広の次男広賢の子孫なんですよ!!
いつ生まれたかわかんないんだけど高家旗本六角広体の子として誕生しますw
通称は「帯刀」で官位は従五位下侍従・越前守なんですよw
弘化3年(1846年)3月29日父広体の隠居により家督を相続します!!
弘化3年(1846年)6月1日将軍徳川家慶に御目見してますw
嘉永元年(1848年)12月20日高家職に就任し従五位下侍従・越前守に叙任しますw
慶応元年(1865年)12月26日息子広運が家督を相続してるんですよね……
そんなこんなで慶応元年(1865年)に死去したみたいなんですよ……
とことん【謎】に包まれた人生なんですよね……
この六角氏は後水尾天皇の3男守澄法親王が日光山輪王寺門跡となった際に大納言烏丸光広の次男広賢が随従したまま京都に戻らず後に江戸幕府に仕えて高家に列した際に京都の六角堂に屋敷を構えたから「六角院」と名乗ったんですよ!!そんでその子孫がこれを略して「六角」家と名乗るようになったんですw江戸時代の旗本には宇多源氏佐々木氏の違う系統(織田信長と無謀にも戦って滅亡した近江の守護(戦国)大名六角家)と中御門家分家の園家の園益通を初代とする系統のものが並存してるんですよ!!幕末期に所領のあった下野国内で圧制を強いて衆議院議員田中正造ら地元住民に激しく抵抗された事でも知られてますw世に言う「足尾銅山鉱毒事件」なんですよ!!
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