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正室は長府藩第12代目藩主毛利元運の娘安子サン(銀姫)ですw 側室には山中氏(花子サン)がいました……羨ましぃ……官位は従一位でありまーすw 1852年2月先代藩主毛利敬親に後継ぎがいなかったんで養子となります! でも藩内には高杉晋作や桂小五郎等の有能な藩士が多く彼らの努力で“薩長同盟”がなり 時代は足早に明治維新へとつき進んでいくんですよw1869年6月4日義父敬親の隠居で後を継ぎ従三位・参議となるんですw1871年廃藩置県で免官されて東京へ移り1884年の華族令施行で公爵位を受けますw そんで第15国立銀行頭取や貴族院議員にもなってます! 1896年12月23日に東京にて享年58歳で死去…死後国葬が行われました…号は忠愛公と言って墓所は山口市上宇野令の香山墓地と芳宜園神社にあるんです!義父毛利敬親は家臣の意見に対して異議を唱える事が無かったんで「そうせい候」と呼ばれ 賢明な藩主でなかったとの評価もあるんですよ…でも紆余曲折はあったけど毛利敬親は有能 な家臣に全てを任せ結果毛利350年の宿願であった「倒幕」を成し遂げたんですよ!!ちなみに…画像でご覧の通り…明石家さんまサンではありません……あは…… 下の画像は幕末期の萩城です!! 毛利両川のひとつで江戸時代初期に断絶した小早川家(最後の当主は小早川秀秋)だけど…実は毛利元徳の子四郎が「小早川姓」を再興してるんですよ!!そんで華族令により男爵に叙されてるんですよ!
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2006年01月11日
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今川範以と正室吉良義安の娘利姓院との間の嫡子として文禄3年(1594年)京都に生まれます!! この時既に祖父今川氏真が掛川城(画像)を追われてから早25年の歳月が経ってました… 妻は筑後柳河藩家老矢島重成の娘で藩主立花宗茂の養女となって直房に嫁いだんです! 妻は1678年8月6日に没してますw 1607年に父範以が若くして病没し母利姓院が公家の大炊御門氏と再婚したんで兄弟と共に 祖父今川氏真夫妻に育てられたんですね…お爺チャン&お婆チャン子なんですよw 1611年に祖父氏真が没すると17歳で家督を継ぎ徳川家で500石の直参旗本となったんです! 1633年迄には高家として取り立てられ江戸に来てた知恩院門跡良純法親王の接待を行い その翌年には3代将軍徳川家光が上洛する際先に京都に行ってます!! 1614年家光の日光東照宮参詣の時は高家であり妹婿(義弟)でもある吉良義弥(吉良義央の祖父)と 衣紋の大役を勤めて無事にやり遂げてますw 1616年に徳川家康が没すると朝廷は東照大権現の神号を宣下し家康は神となってたけど 3代将軍家光は加えて宮号を朝廷に要求したんですよ… 1645年直房は大老酒井忠勝と共に朝廷への使者となって武家伝奏菊亭経季と交渉し 12月3日徳川家康に東照宮の宮号が宣下されたんですねw この功で徳川家光は武蔵多摩郡井草村・上鷲宮村・豊島郡中村等500石を加増し 今川家の家禄は合計1000石となったんです!!直房は家光と家綱時代に活躍しまして68歳でその生涯を閉じます!1653年に高家今川家の当主の中では最高位である左近衛少将となるんです!また没落してた今川家を高家とし石高も倍の1千石にした事から 直房は高家今川氏の始祖として子孫から崇められたんですね!その命日(万治4年11月24日(1662年1月14日))に毎年今川一族が集まり直房を偲んだと言います!また同じく高家大友義親(戦国時代の豊後大友氏)の妻となってた姉と共に祖父氏真の墓を 東京都杉並区の観泉寺に移し開基として祀り観泉寺を代々の菩提寺としたんですw でも直房は叔祖父一月長得が修行した萬昌山長延寺の開基となり代々の当主は長延寺に葬られます! |
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