蜂須賀茂韶は幕末の阿波国徳島藩の第14代(最後)の藩主
1846年9月28日(弘化3年8月8日)第13代藩主蜂須賀斉裕の長男として誕生!!
官位は従四位上で阿波守・侍従w 幼名は氏太郎w
1868年1月父斉裕の急死により21歳で家督を継いでます!
でも斉裕の死がよりによって幕末の混乱期だったんで徳島藩内は大混乱になっちゃいます!!
戊辰戦争では新政府側に与して奥羽に徳島藩兵を送るけど相次ぐ藩内の混乱の為
新式のイギリス軍備を導入してたにも関わらず少数の藩兵しか送れなかったんで
新政府側諸藩から冷評を受けたとまで言われてるんです…
明治維新後は 第11代東京府知事(1890〜1891)を務めた後に 麝香間祗候の待遇を受けてますw
【麝香間祗候とは】 大日本帝国憲法下に於いて華族・親任官及維新の功労者を優遇する為に設けられた資格。宮中席次・待遇に反映される。1869年前議定の蜂須賀茂韶らを天皇の相談役として京都御所の麝香間に隔日出仕させたのが始まり。親任官待遇だが俸給の無い名誉職。宮中麝香間に祗候した。下位に錦鶏間祗候がある。
明治5年(1872)イギリスに留学してまーすw
イギリスからの帰国後は大蔵省関税局長・参事院議官等を勤めました!
明治15年(1882) 特命全権公使としてフランスに駐在もしてたんですw
明治17年(1884)華族制度施行後は侯爵位を受けています!!
フランスからの帰国後は 元老院議官・東京府知事・貴族院議長・文相・枢密顧問官等を歴任するんですw
こんな逸話があります ―――
茂韶は皇居に明治天皇を訪ねてたんですよ!!明治天皇は快く茂韶を迎えて応接室で待たせたんですw
その時応接室に煙草のセットがあって珍しい煙草が置いてあったんでその煙草を何本か失敬して
ポケットへ入れちゃったんですよ!……やっちゃった!!
その後応接室へ入って来た明治天皇は煙草が無くなってるのに気付いて茂韶に一言w
『蜂須賀 先祖は争えぬものよ!』と言って大爆笑したみたいです!!
蜂須賀家は豊臣秀吉の家臣蜂須賀小六(蜂須賀正勝)の末裔だったんで明治天皇は豊臣秀吉の
立身出世物語に出て来る「蜂須賀小六は夜盗」という話を知っててこんな冗談を言ったと
言われてるんですよ!!茂韶は自分が吸う為に煙草を失敬したんじゃなくて使用人に分けてやるのに
失敬したと言われてるんですよ!
一方で 華族資産の有効活用を主張し北海道で農場(蜂須賀牧場)を経営しちゃってます!!
俳句・能等を嗜みその振興にも努めてます!
1918年(大正7年)2月10日に71歳で死去…法号『大源院殿』で墓所は徳島市の万年山
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