前田齋泰は幕末の加賀藩の第13代目(ラス前)の藩主第12代目藩主前田齋広の嫡男として1811年8月28日(文化8年7月10日)誕生!!幼名は勝千代とか犬千代とか勝丸!さらに名前も齋泰のほかに利泰ってのもあるんですよ!!官位は正二位で加賀守・権中納言なんですw 1822年父齋広から家督を譲られて藩主となって1824年父が死ぬ迄は 実権を握られてたけど父が死ぬと親政を始め藩政改革に取りかかるんです! 最初は保守的な改革だったけどペリー来航等で開国論が囁かれ始めると 革新派を登用して洋式軍制の導入に取り組んだり藩政改革を革新的を行うんですw でも1864年禁門の変では嫡子前田慶寧に兵を預けて御所を守らせてたけど長州軍に無様に 敗れて退京して来たんで怒った齋泰は慶寧を謹慎させちゃうんです… その責任で家老松平康正(大弐)と藩士大野木仲三郎に切腹を命じてるんですよ!!!そしてこれを契機に慶寧と親密な関係だった尊皇攘夷派の武士達の一掃を画策し城代家老本多正均(本多正信の子孫)と協力して徹底的に弾圧しちゃうんです! 一説には慶寧は尊皇攘夷派と親しかったんでそれを苦々しく思った父が弾圧したと言うのもあります! 1866年謹慎を解き嫡子慶寧に家督を譲って隠居するけど実権は相変わらず握ってたんですwそして加賀藩を薩摩藩や長州藩のような国政に関わる重要な立場に置くべく裏工作に専念するけど片腕の参謀だった本多正均が1869年暗殺される等もあって裏工作は実らずに終わるんです… 大政奉還時は徳川慶喜を支持するけど幕府軍が鳥羽・伏見の戦いに敗北した後は方針を改めて 新政府の北陸鎮撫軍に帰順してるんですよ!! そんな失意の中1884年(明治17年)1月16日侯爵となるけど74歳で死去しました… 一方嫡子前田慶寧は謹慎を解かれて1866年父齋泰から家督を譲られて第14代藩主となるけど
実権は父齋泰に牛耳られてたんで主体性は殆ど無かったんですよ… 戊辰戦争では新政府軍に味方して転戦してます!! 1874年(明治7年)5月22日父齋泰に先立って45歳で死去しちゃいました… ちなみに前田利家を藩祖とする加賀藩は外様大名だけど徳川将軍家との姻戚関係が強くて準親藩の地位が与えられ松平姓と葵紋が下賜されたんです!第3代目藩主前田光高以降の藩主は将軍の片諱を拝領してたんですよ!!また全大名中最大の表面石高102万5千石を領し御三家と同格に扱われたんです!!
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2006年01月21日
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