『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

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『坂の上の雲』 司馬遼太郎著 文藝春秋文庫


伊予松山出身の軍人秋山好古・真之兄弟と歌人正岡子規の3人を中心に維新〜日露戦争の

勝利に至る明治日本を描く大河小説なんですよw

秋山兄弟はそれぞれ日本の騎兵・海軍の技術向上に尽力してたんですよw

正岡子規は病と闘いながら俳諧の革新に挑んでたんです!!

実はこの3人は親友なんですよ!

当時最強の噂があったロシアのコサック騎兵を打ち破るべく仕事に打ち込む兄好古と

文学の世界に未練を残しながらも海軍に入隊して海軍戦術を研究し続けた弟真之…

2人の真面目な努力の成果は日清・日露戦争の勝利と言う歴史が証明してるんですよ!

誰もが立身出世を目指した時代に彼らがどうやって自分の人生の意義を見出したのか…

そんな視点から読んでみて面白かったですw

前半は師範学校を経て陸軍士官学校〜仏国留学を経て日本騎兵を一から作ってく秋山好古

共に上京して共立学校・大学予備門に学びそこから正岡子規は帝国大学文学部へ…

秋山真之は海軍兵学校へと違った道に進む姿が中心となって描かれてます!

この時点での重要なモチーフのは羸弱な基盤しか持たない近代国家としての日本を支える為

青年達が自己と国家を同一視し自ら国家の一分野を担う気概を持って各々の学問や

専門的事象に取り組む明治特有の人間像があり好古における騎兵・真之における海軍戦術の

研究・子規における短詩型文学と近代日本語による散文の改革運動等がそれぞれの状況で

代表的事例として丁寧に描かれているんですよ!

後半…正岡子規没後は秋山兄弟が深く関わった日露戦争の描写が中心となってます!

まるで『日露戦争』主体の小説みたいです……

作者司馬遼太郎が日露戦争を意図的に中心に捉えてるんで後半部分では主人公秋山兄弟の他

児玉源太郎・東郷平八郎・乃木希典等の将官や各戦闘で中心的な師団が多くなります!
「坂の上の雲」って言うのは封建の時代から目覚めたばかりの幼い日本国家が試行錯誤しながらもそこへと登り詰めてさえ行けばやがては手が届くと思い焦がれた“欧米的近代国家”というものを「坂の上に棚引く一筋の雲」に例えた切なさと憧憬を込めた題名なんですよ…
でも…この作品って…司馬遼太郎サンの著作中でも特に議論が多い事で有名なんですよ…

明治という時代そのものに対する高評価とか…

日露戦争を一種の“自衛戦争”と位置づけた作者の史観とか…

旅順攻撃が乃木希典やその部下達の能力的が劣ってたんで多大な犠牲が出ちゃったとか…

作者司馬遼太郎の見解等は未だに賛否両論があるんですよね…

まるこ的には史実に基づいて描かれた時代小説と割り切って読みましたw

多少の私観があってもいいと思うんですけど…そこが歴史小説の醍醐味と思いませんか?

そうじゃないと…ただの伝記が史実書になっちゃって絶対に面白味に欠けますよね!

ちなみにこの作品は2008年以降NHKでドラマ化されるみたいですよ!!

そんなこんなで皆サンも是非ともいろんな事思って読んで下さいw

全8巻…なんか読み終わってすっきりした今日この頃のまるこでしたw



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秋山 好古

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秋山好古は明治の大日本帝国陸軍の陸軍大将

戦国時代「河野水軍」と呼ばれた瀬戸内最大級の水軍を持つ守護大名河野氏の末裔です!
村上水軍とかも「河野水軍」の幕下だったんですよ!!
安政6年1月7日(1859年2月9日)は伊予松山藩士秋山久敬の3男として誕生w

幼名は「信三郎」なんですよw

ちなみに…弟に日本帝国海軍中将秋山真之がいますw真之の親友が正岡子規です!

秋山家は足軽よりも一階級上で家禄10石程の下級武士(徒士身分)でした…

藩校明教館へ入学し家計を支えつつお勉強してたんですよ!

この頃は天保銭一銭で銭湯の風呂の釜焚きとか番台の管理のバイトもやってたんですよ!!

伊予松山藩は左幕派だったんで慶応4年(1867年)からの戊辰戦争では朝敵として

周囲の藩から総攻撃を受けちゃって土佐山内家等に占領されちゃうんですよ…

そんで秋山家は路頭に迷いつつ大阪に移ります…

明治8年(1875年)に大阪師範学校を経て教員となるんですよw

明治11年(1878年)陸軍士官学校に入学し卒業後は東京鎮台に配属されます!

そんで陸軍大学校(1期)へ進みますw

明治20年(1887年)からはフランスに留学して騎兵戦術の習得に努めたんです!!

明治26年(1893年)帰国後に騎兵大隊長となるんですよw

明治27年(1894年)には日清戦争に従軍して戦功を挙げるんです!

明治37年(1904年)には日露戦争で第二軍に属して騎兵第一旅団長として出征します!

沙河会戦・黒溝台会戦・奉天会戦等で騎兵戦術を駆使してロシア軍と戦ったんです!!

また秋山支隊からロシア軍の後方攪乱のために派遣された長沼挺身隊の活躍は

小説『敵中横断三百里』で有名となってもいるんですよw

その後好古は「日本騎兵の父」とも呼ばれたんですw

大正5年(1916年)には陸軍大将になりましたw

大正9年(1920年)に教育総監となり陸軍の最高幹部の一人となってますw

従二位・勲一等・功一級に叙されてるんですよw

大正12年(1923年)には大日本帝国陸軍を退役しちゃいます!

大正13年(1924年)北予中学校長(現松山北高校)を務めますw

退役陸軍大将の天下り先としては全くの異例の事だったんですよ…

これってかなりの降格になるんです!!でも…好古本人の強い希望だったんですよw

昭和5年(1930年)に校長を辞めちゃうんです…

昭和5年(1930年)11月4日に故郷松山にて享年71歳で死去してます…

墓所は松山市の鷲谷墓地にあります…

司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公の1人として有名になってますw

風貌は特徴的な鼻から「鼻信」とあだ名をつけられてて色白で大きな目をもってて陸軍大学校時代には教官メッケルからヨーロッパ人と間違えられたというエピソードもあるんですよ!今風に言うと“イケメン”だったんですよ!故郷松山や留学先のフランスでは女性にかなーりモテたんですよ!!でも…当の本人は「男子に美醜は無用」という信念の持ち主で歯牙にも掛けなかったそーです…そんで士官学校教授だった作家内田百間なんかは好古の顔を「意地の悪そうな顔」とも記してるんですよ!酒を非常に好み戦場でも水筒の中に入れ持ち歩いてたんです…でもそれだけじゃ足りなくて従兵が気を利かせて従兵の水筒にまで酒を詰めてたんですよ…愛媛県伊予市の伊予港(郡中港)にある藤谷元郡中町長の胸像の碑文の原本は好古により認められたものなんですw

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