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父長兵衛はまさが生まれる前に死去しちゃいます… 慶応元年(1865年)に17歳で新選組十番隊長原田左之助と結婚しますw 夫左之助と結婚したのは新撰組の屯所が西本願寺に移った頃なんですよ! 夫左之助は少々キレやすい性格だったけど愛妻家でかなりの美男子だったんですw夫左之助がある 武士と喧嘩をして「腹を切る作法も知らぬ下司め」と言われ腹を切って見せます!!傷は浅かったんで命 に別状は無かったんですよ…でもその傷から“死損ね左之助”と新撰組隊内でアダ名されたみたいで す…お腹に一文字の傷が残ったけど天気の良い日には傷を日に晒しながら「てめぇ達のようなヤワな奴 とは違うんだ!!俺の腹は金物の味を知ってるんだぜ」と言ってます!これを元に原田家の家紋を『○に 切腹傷の一文字』を入れた形にしたんですw新撰組二番隊組長永倉新八とは仲が良かったんですよw そんな新婚生活は本願寺筋釜屋町七条下ルでの借家住いからのスタートでしたw まもなく待望の長男茂を出産します!! 長男茂を産んだ時には夫左之助もとっても喜んでんですよ! そんで「こいつを立派な武士に仕立てよう!」と意気込んでたみたいですw この茂という名は14代征夷大将軍徳川家茂から一文字賜ったと言われてますw そんな幸せな新婚生活は夫左之助の立場上長続きせず2年で終わりを迎えるんですよ… 慶応3年(1867年)12月11日に夫左之助と最後の言葉を交わします… この時まさは妊娠中だったんですよ! 慶応3年(1867年)12月17日に2人目の男子を出産します!! でも…1週間で早世しちゃうんですよ…戒名は「禅雪童子」です…慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いから始まる一連の戊辰戦争ではまさは夫左之助の行方も安否もしれぬまま暮らします… 鳥羽・伏見の戦い後に夫左之助は甲陽鎮撫隊まで新選組として戦ってました! その後永倉新八と共に甲陽鎮撫隊を脱隊し靖兵隊結成するんですよ! でも愛妻家の夫左之助は妻子に会いたいって理由から隊を離れ京都へ戻ろうとするんですw でも…何故か彰義隊に加わり上野戦争を戦います!!その時に負った傷が癒えず… 明治元年(1868年)5月17日に夫左之助は享年29歳で死亡します…でも…何故か彰義隊の名簿には夫左之助の名前は無いんです…夫左之助の死亡報告を受けまさは21歳で未亡人となっちゃったんです… でも夫左之助は死んでなかったって噂もあったんですよ! 日清戦争の時に昔語りをする老軍人がいて「私は原田左之助だ」と名乗ったって話もあります!!
それとか夫左之助は上野⇒新潟⇒下関⇒釜山を経て大陸へ渡り馬賊の頭目になったって話も… 明治40年(1908年)頃の新聞で実際に報じられたけど真偽は不明なんですよ! まさは従兄井上新兵衛の元へ身を寄せたけど度々新政府軍の尋問を受けてます… |
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2007年01月27日
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