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第8代目藩主伊達宗孝の娘サンと結婚する事で婿養子となりますw 幕末期の伊予吉田藩内は佐幕派が主流だったんですよ! 慶応4年(1868年)からの戊辰戦争でも宇和島宗藩とは別行動を取るんです!! そのため新政府軍の追討対象となるんですよ! でも…養父宗孝の兄宇和島宗藩主伊達宗城の仲介によりついに新政府に恭順します! そんで追討を免れ許されるんですよwでも交換条件があって… 明治元年(1868年)に養父宗孝は47歳で隠居謹慎します… その後を宗敬が17歳で家督を継ぎ第9代目(最後)の藩主となるんですw 官位は従五位下(後に従四位下)・若狭守なんですよw そんなこんなで結局戊辰戦争では一兵も派遣する事なく終戦を迎えます!! 明治2年(1869年)6月23日に版籍奉還で吉田藩知事となります!! 明治4年(1871年)7月14日廃藩置県で免官されて東京へ引越しますw 伊予吉田藩は吉田県となり宇和島県・神山県を経て愛媛県に編入されましたw 伊予吉田藩は明暦3年(1657年)宇和島藩初代藩主伊達秀宗(仙台藩主伊達政宗の庶長子)の5男宗純が宇和島宗藩より3万石を分知され立藩した事に始まります!藩庁は愛媛県宇和島市(旧北宇和郡吉田町)に陣屋がおかれたんです!!この3万石分知の経緯については諸説あって【秀宗は宗純を寵愛してて父政宗が没する迄支出してた隠居料3万石を宗純の為に分知した】と一般に言われてまっす!一方で【2人の兄達が相次ぎ早逝する中で世継ぎとなった3男宗利を妬んだ宗純が一関藩主伊達宗勝(政宗の10男で秀宗の実弟)と共謀し秀宗の遺言書を偽造した】とも言われてるんですよ…当時の秀宗の病状は悪く筆を取るのもままならない状態だったとして宗利は不審の念を呈する書簡を第2代目仙台藩主伊達忠宗に送ってます…ちなみに宗勝は後の『伊達騒動』の首謀者として断罪されてる事もこの説を裏付ける事になってるんですよ…結局は彦根藩主井伊直孝の仲裁で3万石分知は果たされたけどその後は伊予吉田伊達家と宇和島伊達宗家は領地の帰属を巡って激しく対立しちゃうんです…両藩の確執は元土佐藩浪人の身から伊予吉田藩の家臣となり専横を奮った山田仲左衛門を巡る一件(山田騒動)を仙台伊達家の指示で宇和島藩が介入する迄続いたんですよ!それ以後伊予吉田藩に対する宇和島宗藩の発言権は大きくなったんです!
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2007年08月19日
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