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幼名は「将一郎」なんですよw お母サンは留守伊豫子(仙台藩執政中村日向義景の娘サン)なんですよw 安政5年(1859年)水沢大火の時に被災者の為に非常時用の備蓄食料を配り 藩の山林を伐採して町民の住宅建築に充てたんですよ! また家臣に倹約を奨励して町の復興を図ったりもしたんですw 慶応4年(1868年)の戊辰戦争では仙台宗藩と共に行動しますw 奥羽列藩同盟にも参加してるんですよ!! 明治元年(1868年)6月には白河口に仙台藩主名代として出陣します! そんで新政府軍と激戦を繰り広げ大敗を帰すんですよ… その後仙台藩は新政府軍に無条件降伏するんですよ… これを受けて邦寧も武装解除し新政府に降伏し恭順します… 戦後1万6千石の禄高を没収され家臣の士分を剥奪されちゃいます…侍じゃなくなった家臣達は帰農を命ぜられたけど邦直は彼等が路頭に迷う事を憂い私財を処分して得た資金で新政府の推し進めてた北海道開拓を志願するんですよ!! 明治4年(1871年)廃藩置県で水沢藩は廃藩となり胆沢県が設置されます… 権知事以下の役人全てが中央から派遣されて来たんですよ… 北海道札幌郡平岸村(現北海道札幌市豊平区平岸)に入植し開拓にあたります!! そんで何もない原野を切り開き厳冬を耐え抜きながら開拓を続けたんですよ! 明治7年(1874年)心労が崇り入植先にて享年44歳で死去します…旧岩出山藩・旧亘理藩と違い留守家(水沢伊達家)は爵位を受けてないんですよ…水沢城は元は葛西氏家臣柏山氏の支城だったとされてます!一国一城制以後は要害に格下げられてたけど仙台藩家中では「城」と呼ばれてたんです!!伊達政宗の仙台移封後に白石宗実や石母田宗頼らが代官を務めてました!寛永6年(1629年)政宗の従兄弟に当たる金ヶ崎城主留守宗利が水沢城主として配されたのが始まりですw宗利は父政景と共に【伊達氏】を名乗る事を許されてたんでこの系統を「水沢伊達氏」とも呼びます!当初石高は1万石だったけど新田開発等の成果で6千石の増加となるんですwまた仙台宗藩からの養子伊達村任(後の村和)当主時代には5千石が加増されてたけど水沢藩成立時に当主の家系が宗家以外の系統に移ったんで元の1万6千石に戻されちゃいます…以後1万6千石のまま明治維新を迎えたんです!!元々正式な大名じゃなかったけど江戸時代を通じて約1万6千万石の石高を有した留守家(水沢伊達家)の家中や領内を俗称として「水沢藩」と呼ぶ場合もあるんです!!後に水沢藩から高野長英・後藤新平・斎藤實等の優秀な人材を輩出したんですw こちらは入植先である北海道札幌市豊平区役所のホームページですw ⇒ ここ!!
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2007年08月20日
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