明石元二郎は明治〜大正の大日本帝国陸軍の軍人
関ヶ原の戦いや大坂の陣で戦ったキリシタン武将明石全登の末裔らしいですw
元治元年(1864年)9月1日福岡藩旗本明石助九郎の次男として誕生しますw
藩校「修猷館(現福岡県立修猷館高等学校)」で一生懸命勉強します!
明治20年(1887年)1月31日に陸軍大学校(第5期生)に入学します!!
明治22年(1889年)には陸軍大学校を卒業します!
明治27年(1894年)ドイツに留学しますw
明治28年(1895年)日清戦争に近衛師団参謀として従軍します!
明治34年(1901年)にフランス公使館付陸軍武官となります!
明治35年(1902年)にロシア公使館付陸軍武官に転任します!!
明治37年(1904年)2月からの日露戦争中に参謀本部より当時の金額で
100万円を工作資金として貰ってロシア革命支援工作を画策するんです!!
フィンランド革命党のコンニ・シリヤスクやレーニンらと共同したんですよw
「内務大臣プレーヴェの暗殺」・「血の日曜日事件」「戦艦ポチョムキン号の叛乱」等…
全て当時陸軍大佐だった元二郎が行った革命支援工作なんですよ!
でも…反ロシア帝政結社へ武器の密輸は失敗に終わっちゃうんです…
満州方面軍も欧州での明石工作をロシア将兵に檄文等で知らせて戦意を喪失させようとしたりとか欧州情勢を受けてロシア軍の後方攪乱活動を盛んに行ったりしたんですよ!
この結果バルチック艦隊を日本海海戦で失ったロシアは日本と講和をします!!
明治38年(1905年)9月5日にポーツマス条約が締結され日露戦争が終結します!
戦中全般でロシアの国内政情不安を画策してロシアの継戦を困難にし日本の勝利に
大きく貢献した元二郎の活躍は陸軍10個師団に相当すると評価されてるんです!
日露戦後は寺内正毅朝鮮統監の下で憲兵司令官と警務部長を兼務します!
大正7年(1918年)6月から第7代目台湾総督に就任します!
その時に「陸軍大将」に昇進します!
台湾に水力発電所を設置したり華南銀行を設立しました!
また日本人と台湾人が均等に教育を受れるよう法律を改正したりもします!
大正8年(1919年)10月24日これ迄の功績で勲一等功三級男爵に叙任w
大正8年(1919年)10月26日に台湾にて享年55歳で死去します…
死因については諸説あって不明なんですよ…
でも生前大酒飲みだったんで肝硬変説が有力なんです…
当時世界的に流行してたスペイン風邪(インフルエンザ)かもしれないんです…
遺言により遺体は台湾に埋葬されました…
平成12年(2000年)に現地の有志によって改葬されました…
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