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父はフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトですw 母はシーボルトの世話をしてた芸者楠本瀧なんですよ! ちなみに…元々父シーボルトが来日した理由はプロイセン政府から日本の内情探索を 命じられたからだとする説もあるんですよ!…簡単に言うと【スパイ】です! ちなみに…来日は文政6年(1823年)4月なんですよw オランダ人と思われがちなんだけど…正真正銘・生粋のドイツ人です! ちなみに…父シーボルトが江戸で多くの蘭学者らと面会した時に… 「貴方の仕事は何ですか?」と聞かれて…
「コンデンスポンデーヴォルデ」と答えたと田原藩家老渡辺崋山が書いてるんです… 「コンデンスポンデーヴォルデ」とは「内情探索官(スパイ)」の事なんですよ!!!!! でも…身分を明かしちゃうのもどーだか… 文政11年(1828年)にシーボルト事件が起き父が国外追放処分となります… ドイツ人と日本人のハーフとして差別を受けながら懸命に生きたんです! 弘化2年(1845年)から父の弟子石井宗謙の元で産科修行をするんです! 嘉永5年(1852年)は石井の元を去り長崎で長女高子を25歳で出産します!! ちなみに…イネは生涯独身だったんで「石井サンに無理矢理…説」もあるんです… だから石井宗謙はその後同門門下達から破門に近い社会的制裁を受けます! 安政2年(1855年)に父の弟子二宮敬作に宇和島藩士村田蔵六を紹介されますw 村田蔵六は後に新政府陸軍創始者となる大村益次郎なんですよ! その後の二人はなかなか良い仲でしたwww 安政5年(1858年)日蘭修好通商条約で父シーボルトの追放処分が取消され 父シーボルトは再び来日してるんですよ! この時に異母兄アレクサンダーも来日しイギリス通訳として活躍しますw 父シーボルトやその弟子二宮敬作から西洋医学をさらに学びますw 村田蔵六からはオランダ語を学んだんです! 文久元年(1861年)に父シーボルトは幕府の対外交渉顧問になります! 文久2年(1862年)に辞して帰国しちゃうんですよ… 村田蔵六の斡旋で宇和島藩主伊達家から厚遇されてたんですよ! 慶応2年(1866年)10月18日ドイツで父シーボルトが享年70歳で死去します…慶応2年(1866年)長女高子が父シーボルト門下の医師三瀬諸淵と14歳で結婚しますwちなみに…は娘婿三瀬諸淵は二宮敬作の甥なんですよw 明治3年(1871年)東京築地に病院を開業しますw その後医学技術は高く評価され宮内省御用掛にもなってるんですよ! 明治8年(1875年)に医術開業試験制度が始まるんですよ! でも…女性には受験資格が無かったんで病院を閉鎖して郷里長崎に戻るんです… 明治10年(1877年)に娘婿三瀬諸淵が胃腸カタルで享年39歳で死去します…明治15年(1882年)長女高子が医師山脇泰助と再婚しますw明治17年(1884年)医術開業試験が女性も受けれるようになりますw でも既に57歳になってんで合格の望みは薄いと判断します!! そんでその後は「産婆(助産師)」として開業しますw 明治22年(1889年)に娘高子一家と同居の為に助産院を閉鎖し再上京! 完全に医療の世界から卒業したんです… 以後は異母弟ヘンリーの世話となり余生を送ったんです… 墓所は長崎県長崎市の皓台寺にあります… |
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2007年10月12日
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