『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

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『小林一茶の命日』

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今から179年前の今日 文政10年(1828年)11月19日

江戸時代を代表する俳人小林一茶が亡くなりました…

宝暦13年(1763年)5月5日信濃北部の柏原宿で貧農の長男として誕生しますw

現在の長野県上水内郡信濃町大字柏原なんですよw

一茶の本名は「弥太郎」と言うんです!

明和3年(1766年)3歳の時に生母が死去します…

明和8年(1771年)に継母を迎えるんです!

でも…継母と全然馴染めなくて江戸へ奉公に出るんです!!

天明8年(1788年)25歳の時に二六庵小林竹阿に俳諧を学びます!

でも…小林竹阿に本当は会った事もなく弟子というのは【嘘】って説も…

寛政4年(1792年)29歳の時に故郷に戻りますw

寛政5年(1793年)から寛政11年(1799年)迄近畿・四国・九州を歴遊しますw

「俳諧の修行」がその理由だったんです…

享和2年(1802年)39歳の時に再び帰省します!

そんで病気の父を看病したけど1ヶ月程後に父は死去します…

その後は遺産相続の件で継母と12年もの間争う事になるんですよ!!

再び江戸に戻り俳諧の宗匠を務めながら遺産相続権を主張し続けました!

そんな争う程の財産があったのか…とっても疑問で仕方ないです…

文化10年(1813年)50歳でまたまた故郷に帰ります!

文化12年(1815年)に28歳のきくサンと結婚します!22歳の年の差です!!

そんで3男1女を儲けるけど子供たち全員が幼くして亡くなっちゃたんです…

文政7年(1824年)奥サンきくが痛風が原因で37歳で死去します…

その後に2番目の奥サンを迎えるけど…2ヶ月で離婚します…

そんで3番目の妻やをサンと結婚します!

文政10年(1827年)閏6月1日柏原宿で大火事があり自宅が消失します!

その後は焼け残った土蔵で生活をしてたんですよ…

文政10年(1828年)11月19日に土蔵の中で享年65歳で死去しました…

一茶の死後に妻たをサンが1女やたを出産しますw

娘のやたサンは父親一茶の顔を見る事なく成長し明治まで生きたんです!

そんで一茶の血脈を後世に伝えました!

真田幸村研究の第一人者として知られる小林計一郎サンはその子孫ですw

【やせ蛙 負けるな一茶 これにあり】 これがまるこが一番好きな一茶の句なんですよw

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