『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

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片桐 為次

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片桐為次は大和国竜田藩の第4代目(最後)の藩主

【賤ヶ岳七本槍】の一人「片桐且元」の嫡孫です!

寛永18年(1641年)に3代目藩主片桐為元の嫡男として誕生しますw

幼名は「助作」だったんですよ!!

ちなみに父為元は片桐且元の4男なんですよw

寛永15年(1638年)に2代目藩主の伯父孝利が跡継ぎが無く死去します…

その末期養子として父為元が家督を継いだんですよ!

でも…このとき所領を4万石から1万石に減らされちゃってました…

承応3年(1654年)5月11日に父為元が享年44歳で死去します…

この時為次は14歳だったけど家督を継いで4代目藩主になるんです!

でも…正直病弱だったんですよね…

明暦元年(1655年)11月6日に享年15歳の若さで死去します…

もちろん結婚もしてないから跡継ぎもいなかったんです…

それに急な事だったんで養子も取ってなかったんですよ…

だから「大和国竜田藩」は藩祖の祖父且元から4代55年で無嗣改易となります…

その後…幕府は藩祖且元の大坂の陣での功績を考慮して為次の弟且昭を3千石の交代寄合として取り立てる事で片桐家の名跡を存続させようとしたんです!でも…且昭も子供に恵まれずに死去しちゃってるんですよ…だから藩祖且元の弟貞隆から始まる小泉藩の一族貞就を養嗣子として迎えて家督を継がせたけど…貞就も元禄7年(1694年)2月に享年17歳の若さで死去しちゃうんですよ…貞就も子供がいなかったんです…ここに且元系統の片桐家は完全に断絶しちゃったんです…藩祖且元の弟貞隆から始まる小泉藩はその後明治まで存続したんですよ!
片桐家は清和源氏満快流で満快の曽孫為公の子為基が信濃国伊那郡片桐に住んで「片桐氏」を名乗るようになった事に始まると言うんです!為基は「片切源八」とも称してて「片桐」は「片切」とも書いた事が明かになってます!鎌倉時代の記録として有名な『吾妻鏡』にも片切太郎為安等が出てるんですよ!
★☆★ちなみに…下画像は藩祖片桐且元の肖像画でなんですよ!決して為次じゃありません!★☆★

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