松平忠充は伊勢国長島藩の第2代目(最後)の藩主【徳川家康の異父弟】松平康元の曾孫なんですよwもちろん徳川家康と曽祖父松平康元のお母サンは「於大の方」ですw慶安4年(1651年)に長島藩藩主松平康尚の次男として誕生しますwお母サンは淀藩主永井尚政の娘サンで幼名は「勝千代」ですw 慶安4年(1651年)4月20日に3代将軍徳川家光が江戸城にて享年48歳で死去します…寛文10年(1670年)頃に篠山藩主松平典信の娘サンと結婚しますw寛文12年(1672年)に長男忠章が誕生しますw 延宝3年(1675年)に父康尚は年貢を重くし過ぎて領民が幕府に訴えてます!! 延宝8年(1680年)5月8日に4代将軍徳川家綱が享年40歳で死去します…延宝8年(1680年)6月26日に鳥羽藩主内藤忠勝が芝増上寺殺傷事件が起こします!!天和元年(1681年)洪水で領内が大被害を受けてるんですよ… 貞享元年(1684年)8月28日江戸城内で大老堀田正俊が若年寄稲葉正休に暗殺されます! 貞享2年(1685年)10月7日に父康尚が病気を理由に隠居します… そんで34歳で家督を継いで長島藩主となったんです!! 官位は従五位下・佐渡守なんですよ! 貞享4年(1687年)10月に些細な事から家臣3人を追放しちゃいます… 元々あんまり賢くなくて早くから「暗君」の資質を現してたんですよ… ちなみに…長男忠章は対照的に文武両道に秀でた人物だったんです! だから…全てが対照的が故に長男忠章とは仲が悪ったんですよ… 元禄元年(1688年)長男忠章が城内で「うたた寝」をしてた時に… 寝返った際に脇差が長男忠章の腹に突き刺さっちゃうんですよ!! 驚いた家臣に長男忠章は「正気だから安心しろ!!」と事情を伝えたんですよ! でも…この事を「乱心」として長男忠章を廃嫡するんですよ!! 長男忠章はその後は丹波国篠山に移り住み余生を過ごすんです… 元禄9年(1696年)2月7日に父康尚が享年74歳で死去します…元禄14年(1701年)3月14日に浅野内匠頭長矩による殿中刃傷事件が発生します!元禄15年(1702年)8月15日に意味も無く重臣3人に切腹を命じます!! そんでその子供達4人も死刑にする乱行を行っちゃうんですよ!! 怒り狂った遺族がこの事件の直後に幕府に対して訴え出るんです! これにより乱行は5代将軍徳川綱吉の知られるところとなります… 元禄15年(1702年)8月21日に「狂気」を理由に改易となるんです… だけど神君徳川家康の異父弟松平康元の家系の為に幕府は特別の配慮をもって 次男康顕に5千石と3男尚慶に1千石の旗本としての存続を許されたんです! 元禄15年(1702年)12月14日に「元禄赤穂事件」が起きます!!!! 次男康顕が早死にし3男尚慶が次男康顕の跡を継ぎ「松平康郷」と改名して 子孫は下総国飯笹6千石の交代寄合旗本として幕末まで存続したんです! 宝永6年(1709年)1月10日に5代将軍徳川綱吉が享年63歳で死去します…正徳2年(1712年)10月14日に6代将軍徳川家宣が享年51歳で死去します…正徳6年(1716年)4月30日に7代将軍徳川家継が享年8歳で死去します…享保14年(1729年)12月4日に享年79歳で死去します…墓所は東京都文京区小日向の徳雲寺で戒名は「永固院殿史道基覚翁大居士」です…★☆★ちなみに…下画像は曽祖父松平康元の生母於大の方の肖像画ですよ!★☆★【にほんブログ村 江戸時代】←ポチっとしてくれると嬉しいw 【ブログランキング】←ここもポチっとしてくれると嬉しいw
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2008年09月11日
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