『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

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 戦国時代中期、京の主人は三好長慶でした。最盛期には五畿内(山城、大和、摂津、河内、和泉)と淡路、讃岐、阿波の八ヶ国に勢力を張りざっと250万石を領する大勢力でした。
 とうぜん、天下を取る実力があったにもかかわらず何故かあっけなく滅びます。畿内の覇者でありながら天下を取れなかった男、三好長慶をご紹介します。

 三好氏は、一時阿波の守護だった甲斐源氏小笠原氏の流れだと伝えられます。管領細川氏に仕え代々阿波の守護代でした。長慶の父、元長も幼君細川晴元を補佐し、管領就任に大きく貢献しました。
 しかし、長ずるにつれ晴元は元長の実力に恐れをいだくようになります。そして元長と同族の政長に命じ、謀殺させました。

 このとき幼少だった長慶は許されます。長慶は国許阿波に帰って雌伏のときを過ごしました。国許で力を蓄えた長慶は、天文八年(1539年)二千五百の兵を率いて上洛します。
 管領細川晴元は、これを恐れ長慶が父元長の遺領を受け継ぐことを認めました。時の将軍足利義晴でさえ一時近江に身を隠す有様です。

 天文十七年(1548年)、ついに復讐の時がきました。長慶は晴元と敵対していた細川氏綱側に突如寝返ります。長慶を自分の軍事力として利用していた晴元にとっては寝耳に水の出来事でした。しかし、長慶は虎視眈々と復讐の時を待っていたのです。

 長慶は晴元と将軍足利義輝を近江に追放しました。そして父の敵、三好政長を討ちます。これにより細川京兆家による政権は崩壊、義輝と和睦した長慶は、将軍を操って事実上、三好政権を打ち立てます。
 長慶には優れた弟たちがいて兄を補佐しました。三好義賢(阿波)、十河一存(讃岐)、安宅冬康(淡路)です。

 これほどの勢力をもったら天下も夢ではありません。しかし、長慶は天下を狙うこともなく幕府内の実力者で満足しました。これが彼の限界でした。しかも、晩年彼を不幸が襲います。
 永禄四年(1561年)十河一存死去、永禄五年三好義賢死去。翌六年には嫡男として将来を期待していた義興までもが亡くなります。これは家宰、松永久秀による毒殺説もあります。
 これにより、すっかり意気消沈した長慶は無気力になり、久秀の言いなりになります。久秀はお家乗っ取りをたくらみ、唯一生き残っていた安宅冬康のことを長慶に讒言しました。長慶はこれを信じ弟冬康を殺します。これが引き金になったのでしょう。精神に異常をきたした長慶は永禄七年(1564年)河内飯盛城で世を去ります。

 晩年、長慶は言うことを聞かなくなった将軍義輝と対立します。しかし、将軍殺害だけは断固反対しました。彼の死後、歯止めの効かなくなった松永久秀は、長慶の重臣、三好三人衆と語らい、二条城に義輝を攻め殺すという大逆をしでかします。
 しょせん、彼らは天下を動かす器ではなかったのでしょう。長慶個人の力量に頼っていた三好政権は、これにより統治能力を失います。

 数年後、織田信長が六万の大軍を率いて上洛すると、風を食らって逃げるより他能のない者達でした。

転載元転載元: 鳳山雑記帳

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