『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

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 甲斐源氏武田氏の嫡流は文字通り甲斐守護家として連綿と続き武田信玄という有名人を出しました。一方武田氏は分流が多いことでも有名で、安芸武田、若狭武田、上総武田などが知れれています。
 
 毛利元就のライバルとして安芸に君臨した武田元繁が比較的知られていますよね。よく小説などでは「安芸武田家は安芸の守護大名であったが、次第に没落し大内氏や尼子氏に翻弄される弱小勢力に落ちぶれた」と説明されることが多いと思います。
 
 
 しかし調べてみると実態はどうも違うようです。室町時代の安芸守護は甲斐守護と兼任した十代信武と、その次男で安芸武田家初代の氏信だけしか守護になっていません。
 
 氏信の時代に安芸に下向したようですが、1368年には幕命により守護職を剥奪されています。理由は不明ですが幕府の不興をかったのかもしれません。あとを継いで守護になったのが今川了俊ですから九州へ攻め込む準備のために(安芸・備後の兵力を組織した)任命されたようです。
 
 今川了俊が九州探題として赴任した後、安芸武田氏に守護職が戻ったかというとそうでもありませんでした。以後細川氏・渋川氏と続き最後は山名氏が独占します。
 
 
 武田氏は本拠銀山城周辺の分郡守護として残るのみでした。ですから最初から安芸全土を支配したわけではなかったようです。とすれば没落も何もありませんね(苦笑)。
 
 もっとも安芸国人は山名氏の安芸支配には抵抗したようでしばしば反乱をおこしますが、その背後に安芸武田氏の扇動があったことは想像されます。
 
 
 安芸武田氏は、山名氏との対抗上細川京兆家と結んでいたようですが、六代将軍足利義教の時大チャンスをつかみました。安芸武田氏四代信繁の長男信栄が将軍の命で若狭守護職・一色義貫を誅殺した功績により若狭守護職を拝命します。
 
 系図を見ると安芸武田氏は本拠を若狭に移したみたいですね。守護でさえない安芸と守護に任命された若狭では、どちらをとるかは明白でした。
 
 信栄の弟国信の子孫が代々若狭守護を歴任し、安芸には弟の元綱が残ったようです。元綱は若狭に移った宗家の代官的地位でした。
 
 元綱の嫡子が有名な(?)元繁です。安芸の佐東・山県・安南の分郡守護代(若狭武田家の)となります。はじめ大内氏に従いましたが尼子氏が台頭してくるとこれと結び安芸全土支配をもくろんで吉川氏領に侵攻します。
 
 これを迎え撃った毛利元就と吉川氏の連合軍に1517年有田中井手の戦いで敗れ元繁は戦死しました。元就にとってはこれが初陣だったそうですが、5千ともいわれる圧倒的優勢だった武田勢を寡兵で破ったことで一躍名を上げました。
 
 一方負けた安芸武田氏はしだいに衰退し、最後は若狭武田家から養子に入った信実の代に、大内氏の命を受けた毛利元就に攻撃され1541年居城の銀山城を落とされて滅亡します。
 
 
 名門であっただけにその最期は哀れを誘いますね。

転載元転載元: 鳳山雑記帳

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