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1580年から1640年までポルトガル王位を兼ねて海外植民地を含めて フェリペ2世の在位中に最盛期を迎えるんですが ――――― 無敵艦隊の壊滅後勢力を失いドイツ30年戦争で敗退し 1659年フランス王国とのピレネー条約により完全に小国に転落しちゃいます… 1700年に断絶した後スペイン継承戦争を経て王位をスペイン・ブルボン家に譲っちゃうんです! ブルボン家は後にルイ14世や16世を輩出するハプスブルグ家のライバル的存在ですねw オーストリア ハプスブルグ家の皇女マリーアントワネットの嫁ぎ先でもありますw フェリペ2世は1527年神聖ローマ帝国皇帝カール5世(スペイン王としてはカルロス1世)と ポルトガル王マヌエル1世の娘イザベルとの間に生まれましたw フェリペ2世は1556年カルロス1世から(オーストリアを除く)領土と同時に膨大な借金も受け継ぎ 翌年の1557年に最初の破産宣告(国庫支払停止宣言)をせざるを得なかったんですよ! 彼の在位中にこれを含め4回の破産宣告を行っており厳しい国庫事情が伺えてました… しかしイタリア戦争においては1559年カトー・カンブレジの和約でフランスのイタリアに 対する要求を放棄させちゃたんですよ! アラゴン王国にあった副王制を用いて帝国全体を統治し各地に副王を置き中央集権体制を整えたんですw 1561年マドリードに宮廷を遷しスペインの「首都」が初めて確定します!! 後にマドリード郊外にエル・エスコリアル宮殿を作りました(1563年着工 1584年完成) 前王とは違ってほとんど宮殿に籠って政務に専念したため「書類王」とも言われてますw http://mario-k.hp.infoseek.co.jp/spain/mad_onehour/mad_escorial/m_es062.jpg と述べている程フェリペ2世はカトリックによる国家統合を理想としてたんですw 本人も熱心なカトリック教徒であったとされてますねw 1559年に禁書目録が公布され指定された大学以外の大学でスペイン人が学ぶことも 一時的にではあるけど禁止されたんです! またフランスのユグノー戦争にも介入しカトリック側を支援しましたw このような異端不寛容的政策に対して1568年にはネーデルラントの反乱が アルプハラース山地でもモリスコ(キリスト教に改宗したモーロ人)の反乱が起こったんです!! それでもカトリック盟主として1571年レパントの海戦を率いてオスマントルコ帝国海軍に勝利し 1579年にオランダの南部諸州を独立戦争から離脱させ1580年にはポルトガルを 併合してスペイン最大の版図を獲得し最盛期を迎えましたw インディアス(新大陸)・フィリピン・ネーデルラント・ミラノ公国 ブルゴーニュ家領(以上カスティーリャ王国領)・サルデーニャ島・シチリア島 ナポリ王国(以上アラゴン連合王国領)・ブラジル・アフリカ大陸の南西部・インドの西海岸 マラッカ・ボルネオ島(以上ポルトガル王国領)という広大な領土を手に入れたんです! しかし1581年にオラニエ公ヴィレム1世がオランダ(ネーデルラント)独立を宣言w 1588年フェリペ2世はオランダを支援しているイギリスを叩くため無敵艦隊を派遣したが アルマダの海戦でイギリス艦隊に敗北してこの頃から衰退の兆候が表れちゃったんですねぇ…。 貴族位や領主権などの売却1590年にはミリョネス新税を導入し この頃にスペイン領アメリカからの貴金属の着荷も最大になったけど 軍事費増大による国庫の破綻は防げず1596年に大規模な破産宣告を行わざるを得なかった… さらに同年から約3年にわたってペストが流行 ―― スペイン帝国に盛期をもたらしたフェリペ2世が死の床につく頃は 日本では織田信長が駈け…そして本能寺で倒れ その後を豊臣秀吉が継承し天下統一し また秀吉その人もこの世を去ろうとしていた頃ですw
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ハプスブルグ家
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King of King ―― ハプスブルグ家(独:absburg「鷹の城」の意)
現在のスイス領内に発祥したヨーロッパのドイツ系一族ですw中世から20世紀初頭まで多くの大公・国王・皇帝を代々輩出したヨーロッパの王家の中でも屈指の名門なんですよ!!
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神聖ローマ帝国で長きに渡り皇帝位が空位となる大空位時代が続いていた1273年… そんな中ハプスブルク伯ルドルフがドイツ王(皇帝に戴冠していない神聖ローマ帝国の君主)に 選出されて世に出てルドルフ1世を名乗ったのがハプスブルグ家の起源ですw 皇帝自身が戦死してもその家系が断絶しても何ら惜しくない人材としてルドルフを選んだのでしたぁ… 実際そんな候補は腐るほどいたのですw ひとまず取り急ぎ人選です… ルドルフ1世は1278年ボヘミア王オットカール2世をマルヒフェルトの戦いで破り 1282年にオットカール2世の所領であったオーストリアを息子に与え ドイツの東南地方に勢力を広げたのですw ハプスブルク家は1308年にルドルフ1世の子アルブレヒト1世が暗殺されてから 一度ドイツ王位(帝位)を失いますがオーストリア公として着実に勢力を広げ この頃日本は鎌倉幕府開府から約100年元冠(蒙古襲来)の時期ですw 1438年(応仁の乱が鎮まり戦国時代に突入)にアルブレヒト2世が ドイツ王になってからはドイツ王位を完全に世襲化することに成功し 1508年(日本は室町幕府6代将軍足利義教の治世)にマクシミリアン1世が ローマ教皇から戴冠を受けずに皇帝を名乗り始めちゃったんです! この頃婚姻関係からハプスプルク家はブルゴーニュ公国領ネーデルラントと スペイン王国・ナポリ王国・ハンガリー王国・ボヘミア王国を継承し 皇帝カール5世のもとでヨーロッパの大領土を実現しましたw さらに当時のスペインは中南米を植民地として支配していたため カール5世の領土は「太陽の沈まぬ大帝国」となったのです!! カトリックの擁護者としてプロテスタントと戦ったカール5世が1556年に退位した後は カール5世の子フェリペ2世がスペイン王になってネーデルラントを継承し 神聖ローマ皇帝位を譲られたカール5世の弟フェルディナンドが オーストリアとハンガリー・ボヘミアを領有したため 同じ1556年日本では織田信長の舅 斎藤道三がその嫡男義龍に討たれちゃいました… 画像はシェーンブルン宮殿ですw
シェーンブルンとは「美しい泉」という意味でフランスのヴェルサイユ宮殿を 凌ぐ宮殿を目指して17世紀末から18世紀半ば迄掛かって造られましたw |
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日本史好きのまるこが唯一憧れるご家族を紹介していきますw まさにヨーロッパの歴史そのものと言えるご家族です! みなさんはこのご家族の誰を知ってるでしょうか? 有名な方もたくさんいるでしょう……ヨーロッパに700年間君臨し栄華を極めたのですから… ハプスブルク家ゆかりの街ウイーンへは日本から直行便で約11時間のところにありますw オーストリアは現在9つの自治州からなる連邦共和制をとる永世中立国ですw 名優オーソン ウエルズが演じた映画「第3の男」の舞台としても知られ モーツアルトやベートーベンなど偉大な音楽家を育てたこの街なのです ――― 王宮礼拝堂では今でもウィーン少年合唱団の澄んだ歌声を聴く事ができる芸術の都ですw ハプスブルク家は現在のスイス北東部に発祥したドイツ系一地方豪族に過ぎなかったのですが… カエサル一門の出身と名乗り政略結婚による大規模な領土拡大に成功した。 中世1273年から20世紀初頭迄の約700年の間オーストリア大公国のウィーンを中心に 神聖ローマ帝国 スペイン王国 ナポリ王国 ベーメン王国 ハンガリー王国 オーストリア帝国(のちにオーストリア・ハンガリー二重帝国)等の皇帝 国王 大公を代々輩出したw 1700年代においてはオーストリアを中心に ――――― 現在のチェコ・スロバキア・ハンガリー・南イタリア・スペイン等のヨーロッパの主要な地域を 領土としヨーロッパ屈指の名門王家となっていったんですねw 決して阪神タイガースの旗ではありません…でも……阪神にはもー少しがんがってほしかったぁ… 来年こそは ――――― がんがれ!!! |


