『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

最後の皇帝

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Last Emperor (ラストエンペラー)

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崇禎帝

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崇禎帝は中国明朝 大明帝国の第17代目(最後)の皇帝

諱は由檢で廟号は毅宗で諡号は荘烈愍皇帝と言います!
これは明の後継王朝を標榜する清が贈ったものなんですよ!!
また清は北京に崇禎帝を歴代皇帝と同じ昌平山に葬り陵墓を「思陵」としたんですw
1610年に第15代目皇帝泰昌帝の5男として生まれ1628年に兄第16代目皇帝天啓帝の後を継いで18歳で即位しすぐに兄天啓帝の元で専横を奮った宦官魏忠賢を誅殺しちゃって名臣として名高い徐光啓を登用するなど国政改革に取り組んだんです!!
崇禎帝の治世は農民反乱が頻発し満州族がたびたび侵入し混乱してました…
当時は『北に満州族の後金』が進入し『南では李自成達の反乱』が多発して国事多難の時期で
崇禎帝はこの状況をたった一人で支えようと努力したんです!

        http://www.kpcnet.ne.jp/~chiharu/phot-c/sikin.jpg 紫禁城
崇禎帝は先代天啓帝らと違いとっても政治に熱心であり色事に耽る事もなく倹約を心掛けてたんです!
でも唯一つ非常に疑い深く家臣を信用しない重大な悪癖があったんです…
即位直後から重臣を次々と誅殺しちゃったり特に山海関で満州族からの防衛を一手に引き受けてた名将袁崇煥を誅殺した事は致命的で大明帝国が滅亡した原因として必ず崇禎帝の猜疑心が上げられるんです…

崇禎帝は李自成軍に次々と討伐軍を送るけど討伐軍を組織する為に増税を行った事により窮迫した民衆が李自成軍に加わり全くの逆効果だったんです…

1644年李自成軍は北京を包囲し3月19日に北京は陥落しちゃいます!崇禎帝は紫禁城の裏山である景山で34歳で首吊り自殺しこれで大明帝国は滅亡しました…

その猜疑心により崇禎帝が自害した時に傍らに居たのは宦官一人だったんですよ…
崇禎帝は少なくとも彼なりに国の事を案じて大変な努力をしてたと思うんですよ!!李自成が西安で皇帝に即位した時も「明の皇帝は甚だしく暗君という訳ではないが・・・」とある程度の評価をしてるんです!その猜疑心により全てが裏目裏目になり自滅した崇禎帝だけどもし大明帝国の国力にもっと余裕がある時代に即位してたらもっと名君と称えられてたんじゃないかと思います!

ティーボー

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ティーボーはコンバウン朝ビルマ(現ミャンマー)第11代にして最後の王

1858年に父王ミンドンの第一王子としてマンダレーで誕生します!

この頃ビルマは最大範図を作りあげるけど結局はイギリスが支配してたインドと国境を接し

ビルマとイギリスはどんどん対立を深めていたんですよ!!

そんで起った第1次・第2次英緬戦争に大敗したビルマはイギリス軍に占領統治されます…

ティーボーは幼い時から仏教修道院で一生懸命勉強したんですよ!

父王ミンドンはティーボーを彼の名前をとったティーボーの北州の王子にしましたw

その後ティーボーは1878年に王として即位しました!!

でも実際はイギリス軍の統治下だったんで何にも出来ない状態だったんですよ…

でもイギリス軍からの完全独立を密かに画策するんです……

そしてついに1885年第3次英緬戦争勃発!!…呆気なく王都マンダレーは陥落しちゃうんです!

戦後1886年イギリス軍はティーボーがイギリスとの和平条約から手を引き第3次英緬戦争を

起した圧制者だったと言う口実を使って英領インドに併合しちゃうんです…

イギリスは1824年に始まったビルマ征服を完全に完了しちゃったんですよぉ…

これによりティーボーは退位しコンバウン王朝の支配は11代134年で終焉を迎えるんです…

ティーボーと家族は英領インドに追放されました…そこで彼らは隔離された生活を送ります…

1916年12月19日58歳で心臓発作により亡くなりました…

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ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は3代目イタリア国王にしてアルバニア王

イタリア占領下のエチオピア最初で最後の皇帝でもあるんです!

1869年11月11日前王ウンベルト1世の子として誕生しましたw

1922年10月30日当時まだ弱小の政党だったファシスト党ムッソリーニに組閣を命じ

1943年まで政権を担当させたんだけど第二次世界大戦のイタリア敗退で

1946年退位して息子ウンベルト2世に譲位するんです…

         http://www.wepkyoto.co.jp/~se/03italy/31/DSCF3510.jpg 
                       クィリナーレ宮殿

ファシスト政権への積極的協力によってイタリア王政廃止の種を蒔くことになっちゃうんです…

イタリア占領下のエチオピアで皇帝として即位するんですけど…
結局一度もエチオピアには行った事はないですよぉ……

その後の王政廃止後にポルトガル及びスペイン辺りに亡命したんですw

1947年12月28日に78歳で亡くなっちゃうんです…

パリス

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パリスは都市国家イリオス(トロイア)最後の王子

イリオス(トロイア)王プリアモスヘカベとの間に生まれました!
出生時の名前アレクサンドロスって言われてますw
「パリスの審判」でイリオスに戦乱(滅亡)をもたらしたことで知られてますw
長兄にイリオスの英雄ヘクトル・妹に悲劇の予言者カッサンドラがいますw
アレクサンドロス(後のパリス)の出産の際母ヘカベは自分が燃える木を生んで
それが燃え広がってイリオスが焼け落ちるという夢を見たんだそーですw
ヘカベが夢占師にこの夢のことを話すと「この子は災厄の種になる」と言い殺す事を勧めたんです!
そこでプリアモスは家臣にアレクサンドロスを連行して殺すように命じちゃうんです!!
家臣はアレクサンドロスを殺すに忍びずイデ山に捨てちゃいます…

捨てられた子は羊飼いに拾われてパリスと命名されて育てられたんですよ!!

成長したパリスはニンフのオイノネを妻としイデ山で羊飼いをしてたんですw
後にプリアモスの子であることが明らかとなって後に王宮に迎えられるんですw
ある日イデ山にいたパリスのもとにヘラ・アテナ・アプロディテの3人の女性がやって来て
誰が一番美しいか判定させようとした(パリスの審判)んですよw
パリスはこの世で一番美しい女を妻にくれるというアプロディテが最も美しいとしたんです!!!

                http://ja.wikipedia.org/upload/thumb/a/af/Troy_Ac.jpg/275px-Troy_Ac.jpg 旧トロイ市

アプロディテは船を作ってスパルタに赴きヘレネをさらって妻にするようにと命じたんです!
パリスは言われた通りに実行し妻オイノネを捨ててヘレネを妻にしたんですw
そこでヘレネの夫メネラオスとその兄アガメムノン達はヘレネを取り返すべく
ギリシア中の英雄を募ってイリオスに攻め寄せたんです!10年に渡るトロイア戦争です!!
これらの英雄は元々ヘレネに結婚を申し込んだ男達だったんです(アキレウスは例外)…
ヘレネの父テュンダレオスは彼らの中の誰をヘレネの結婚相手に選んでも
それ以外の男達の恨みを買う恐れがあったんであらかじめ
「誰が選ばれるにしてもその男が困難な状況に陥った場合は全員がその男を助ける」
という約束をさせてたんですよ!

トロイア戦争においてパリスは得意の弓でアキレウスを仕留める等して活躍したんですw
でもヘラクレスの弓を持つピロクテテスに弓で射られ瀕死の重傷を負っちゃいます!
この傷を治せるのは昔捨てた前妻オイノネだけだったんです……?
なのでパリスはイデ山に行きオイノネにすがるけど拒絶されちゃいます…

失意の中イリオスに戻る途中でパリスは死んでしまうんですよ…

オイノネは後悔してパリスに追いつこうとするけど既に死んでしまった後だったんで
彼女は自殺して果てたと言います…

これで都市国家トロイアは滅亡しちゃいます…

2004年公開の映画トロイでオーランド・ブルームが演じてました!!
ちなみにアキレウス役はブラッド・ピットが演じてましたねw
興味を持った人は今すぐレンタルしてみよー!!

ダレイオス3世

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ダレイオス3世はアケメネス朝ペルシア帝国の最後の王

ダーラヤワウ3世とかダーラヤワウシュ3世とも言われてますw
宮廷陰謀により王位継承適格者が相次いで死去しちゃって王族の傍系だった彼が即位して
伝統的アケメネス朝王名であるダレイオス(良き物を保持する者を意味する古代ペルシア語)を名乗る!!
即位前の初名はギリシア側の伝承からコドマンノスと伝えられてたけど…
近年になってバビロンから発掘された天文日誌によって

古代ペルシア語の本名はアルタシャタであることが明らかになったんです!

仮に本名で即位するとギリシア語でアルタクセルクセス4世と呼ばれてた筈な訳なんです!


紀元前334年からのマケドニアより侵攻したアレクサンドロス3世軍にその国土を侵されます!!
ダレイオス3世自らが率いるペルシャ帝国軍10万でマケドニア軍に挑むけど…
散々に敗走します!………イッソスの戦い
その時母・妻・娘を捕虜にされちゃってます…
その後一旦は矛先をエジプトに変えたアレクサンドロス3世だけど
紀元前331年再びペルシャへの侵攻を再開するんです!!
ダレイオス3世も威信回復の為ペルシャ帝国全勢力(20万とも30万)をもって挑むけど…
チグリス川上流のガウガメラの戦いで敗北しカスピ海東岸に逃走しちゃうんです…
ペルシャ帝国の中枢に乱入したギリシア軍はバビロンやスーサの主要都市を略奪し
ペルセポリスを徹底的に破壊して焼き払っちゃうんですよ……

紀元前330年逃走中に王族で側近でもあったベッソスに殺害されペルシア帝国は滅亡

アレクサンドロス3世はベッソスの不義不忠を糾弾して
これを攻め滅ぼしダレイオス3世の遺骸を丁重に葬るんです…

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