最後の皇帝
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南米大陸に約300年間繁栄したインカ帝国最後の皇帝ですwインカ帝国の滅亡と言えば征服者フランシスコ・ピサロが騙し討ちでアタウアルパ皇帝を捕らえ莫大な身代金をとった揚げ句に処刑してしまった話が有名ですね!インカ帝国は事実上この時滅びたと言ってもいぃんですけどピサロにはインカ帝国を完全には滅ぼせない事情があったんです!!それは彼の率いるスペイン軍が兵力僅か150人・大砲2門の小部隊だったのが原因なんですよぉ… アステカを征服したコルテスが1千人以上の軍でも一度は敗北を喫したのと比べても少な過ぎる兵力ですwそれでも征服に成功したのはインカはアステカと違い皇帝の権力が絶大でアタウアルパ皇帝が獄中から「スペイン人に従え」と命令すると国中が従っちゃったからなんです!でもいくらなんでも150人の軍勢ではあの広大な領土を直接に支配するのは無理なんでピサロは当面…傀儡のインカ皇帝が必要だったのですwそれならアタウアルパを殺さなければぃーのにその権力の巨大さをピサロは恐れたんでしょうね…で彼の前にマンコ・インカという男が現れるんですw ピサロが乗り込んでくる直前インカ帝国ではアタウアルパとその実兄ワスカルがそれぞれ皇帝位を巡って内乱を繰り広げてたんですよ!兄弟喧嘩ですよ!結局アタウアルパがワスカルを破って皇帝の地位を奪い取っちゃいますwマンコ・インカは彼等の兄弟でワスカル派ですwでも敗者ワスカルはアタウアルパ派の軍に殺され一派も弾圧されちゃうんです…もっとも勝ったアタウアルパ皇帝も数日後にはピサロに屈して天国から地獄に急降下しちゃうんですけどね… http://www.page.sannet.ne.jp/megmeg/viaje96/viaje94/viaje94foto/foto94peru1.jpg マチュピチュ マンコ・インカはスペイン勢力の力を借りてアタウアルパ派に対抗しようと皇帝に名乗りを上げたみたいです…でもどう見ても野合だったし傀儡に何の実権もある訳ないし…ピサロの横暴を見て彼は皇帝になったことを後悔したと思いますwやがて彼はスペイン人の支配するクスコを脱出して打倒ピサロの兵を挙げ険しい谷間に秘密の「新インカ帝国」を建国しちゃうんですよ! 新インカ帝国の実質的な勢力は取るに足らないけど彼等がウルバンバ川の谷間に立て籠もっている間にピサロとディエゴ・デ・アルマグロの征服者同士の内紛が果てしなく続きますマンコ・インカはアルマグロ派に付いたり離れたり、この紛争をうまく利用して立ち回っってます… 日本の室町初期弱小の南朝が北朝の内紛のお陰で何十年も存続したのとよく似た構図ですかつてアタウアルパ皇帝はピサロの策略にはまって捕らえられたけど今や新インカ帝国がスペイン人を手玉にとってましたw最もジャングルの中の亡命政権をスペイン人を手玉にとるのだけでやっと維持した40年間だったことも事実です!マンコ・インカの死後彼の3人の息子が次々と皇帝となってますw皆それぞれに策を弄しある時はスペインの懐柔策に乗って見せたり形だけ降伏して時間稼ぎをしたりしてこの弱小勢力を生き延びさせて来たけどそれでもとうとう新インカ帝国の命脈も尽きる時が来ちゃうんです!スペイン勢力はついに新インカ帝国を手懐けて服従させるのを諦め武力で征服する道を選んだのです!マンコ・インカの三男トゥパク・アマルが皇帝として即位したのが1571年ゲリラ戦を繰り広げる新インカ帝国がスペイン軍に滅ぼされたのが1572年「皇帝」として何もやる時間がないまま捕らわれの身となっちゃいました…哀れな皇帝トゥパク・アマルはクスコに連行されて拷問を受けた末に裁判にかけられ多くの家臣や民衆の面前で首をはねられ処刑されちゃうんです…彼は新インカ帝国の首都について結局何も口を割らなかったけどスペイン人が最後迄存在を信じて疑わなかった「新インカ帝国の壮麗な秘密の都」等と言うのが本当にあったんですかねぇ……今も伝説として語り継がれてます! |




