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1868年5月18日アレクサンドル3世とその皇后マリア・フョードロヴナ(デンマーク王女)の長男として生まれてますw皇后はアレクサンドラw子にはアレクセイ皇太子・オリガ皇女・タチアナ皇女・マリア皇女・アナスタシア皇女がいましたw 26歳で近代化に悩むロシアの皇帝に即位することになるんですw同年にドイツのヘッセン・ダルムシュタット公の娘でイギリスのヴィクトリア女王の孫娘でもあるアレクサンドラと結婚してます! ニコライ2世は初め父の政策を受け継いで蔵相ウィッテを重用したけどこれを退けてます!先祖伝来の積極外交政策を継承して満州の権益獲得や遼東半島の租借等で極東への進出を確実に押し進めるけど同じ頃朝鮮半島に勢力を延し始めた日本と利害が対立し出し1904年に両国の間に日露戦争が勃発!莫大な戦費や戦役に苦しんだ民衆が1905年1月に血の日曜日事件を起こすとニコライ2世はウィッテを再登用して戦争の早期終結に当たらせますw10月にはゼネストが発生すると皇帝の専制権が残存する憲法を発布して国会開設を国民に約束しますw国会が開催され初代首相にストルイピンが登用されたけど後にニコライ2世は彼と対立して罷免しちゃいますw 同じ頃皇帝夫婦は当時不治の病であった血友病患者アレクセイ皇太子の将来の身を案じてますwある時ラスプーチンという祈祷僧が宮廷に呼ばれてラスプーチンが祈祷を施すとアレクセイ皇太子の病状が好転したんだって!!この事からアレクサンドラ皇后が熱烈にラスプーチンを信用するよーになり愛妻家であった皇帝も皇后に同調!その後もラスプーチンは度々宮殿に呼び寄せられ皇太子の命を救うw皇帝一家がラスプーチンを「我らの友」と呼び絶大な信頼を寄せた事からラスプーチンもいつしか政治に迄口を挟むようになっちゃってました… 1914年6月に第一次世界大戦が勃発するとロシアは連合国に参加してドイツと戦いを開始!近代兵器を擁するドイツに大敗した事から彼は司令官ニコライ・ニコラエヴィチ大公を罷免し自ら前線に出て指揮を執ります!皇帝不在の都ペテログラードでは彼から留守を託されたアレクサンドラ皇后とラスプーチンが政府を主導w人気のない2人に対し貴族〜民衆迄がドイツ女・怪物と蔑んで憎悪の対象としてます! 1916年12月ラスプーチンが暗殺され翌年1月に改善しない戦況に苦しむ民衆が蜂起!軍隊の一部も反乱に合流してロシアは完全に混乱に陥っちゃいますw アレクサンドル・ケレンスキーが指導する2月革命が発生し1917年3月2日ニコライ2世はプスコフで退位させられ8月に皇后と5人の子供達とともにシベリアのトボリスクに流されるんですwさらにボルシェビキによる十月革命が発生しケレンスキー政権が倒されるとエカテリンブルクへ移されイパチェフ館に監禁されるんですw レーニンの命令を受けたチェーカー次席のヤコフ・ユロフスキー率いる処刑隊により1918年7月16日に皇帝一家はイパチェフ館の地下室で全員銃殺されて近くの村に埋められちゃうんです(ロシア革命)…
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最後の皇帝
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1887年8月17日オーストリア・ハプスブルク家の皇族オットー・フランツ・ヨーゼフ大公と ザクセン王女マリア・ヨーゼファの長男として生まれてますw祖父カール・ルートヴィヒ大公はフランツ・カール大公の三男で皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟に当たる人物なんですです!フランツ・ヨーゼフ1世皇帝の甥で皇位継承者に指定されていたフランツ・フェルディナント大公(オットー大公の兄でカール1世の伯父)はボヘミアのホテク伯爵令嬢のゾフィー・ホーヘンベルク公爵夫人(大公妃の称号は認められてません)との貴賎結婚がフランツ・ヨーゼフ1世の忌避にあってたんですwフランツ・フェルディナント大公の次の皇位継承者と目されていたんですよ! 1901年にツィタ・フォン・ブルボン・パルマ公女と結婚してますw早くから軍務につきオーストリア軍陸軍少将まで累進してますねw表面的には平穏な日常が続いてたけど1914年サラエボ事件でフランツ・フェルディナント大公夫妻が暗殺されたんで運命の歯車が回り出すんですw大公の死後皇位継承者に指名されちゃうんです!1916年第一次世界大戦中にフランツ・ヨーゼフ1世が86歳で崩御…29歳の若さで皇帝に即位しちゃいます! 義理の弟であるシクスタス・ド・ブルボン・パルマ公子を通して秘密裏に連合国側との平和交渉に着手した1917年にシクスタス公子と弟のグザビエ公子はフランスとの単独講和について秘密交渉の結果合意を得たけど1918年に独墺間の離反を謀ったフランス側によって暴露されちゃって交渉は水の泡となるんですよ!またこの事は同盟国だったドイツの信用も失う結果となるんです… 1918年無条件降伏を強いられシェーンブルン宮殿内の「青き支那の間」において皇位にまつわる権限を破棄する文書に署名・退位しちゃいます…その後ハンガリーにおける主権を取り戻そうとするけど失敗して亡命先のポルトガル領マデイラ島で肺炎の為崩御…35歳の若さでしたぁ… 死後82年目の2004年10月3日カール1世は教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福されてますw
福者として20世紀の元首では彼が始めてであったんですよ! |




