ライバル!!
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カンポ・フォルミオの和約でオーストリアが脱落した事で第1次対仏大同盟は崩壊したけど 海の向こうに強力な海軍を有するイギリスが睨みを利かしてて制海権を握ってるイギリスに フランスは決定的な打撃を与えられなかったんですよw そこでナポレオンはイギリスにとって最も重要な植民地であるインドとの連携を絶つことを 企図しエジプト遠征を総裁政府に進言しこれを認めさせちゃいます! ナポレオン軍はエジプトに上陸し1798年7月20日にピラミッドの戦いで勝利して カイロに入城するんですけど8月1日のアブキールの海戦(ナイルの戦い)で ネルソン率いるイギリス艦隊にフランス艦隊が大敗した事でナポレオンが率いる軍は エジプトで孤立し12月24日に第2次対仏大同盟が結成されて再びフランスは 危機に陥っちゃうんですね! |
イングランドテューダー朝4代目の王(在位1558〜1603年)大英帝国繁栄の基礎を築いた女王wそれが“エリザベス1世”―― 彼女です!!1534年9月ヘンリー8世と二番目の王妃アン・ブーリンの間に生まれましたw父のヘンリー8世はアン・ブーリンと結婚するため 最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚を教皇庁に要請したが キャサリンの従姉妹であったカール5世が横槍をいれたため許可がおりなかったんです… ヘンリー8世はこれを契機にローマ教皇庁と断絶!イングランドが「独立したエンパイア」であることを宣言して新たに「英国国教会」を樹立wそして「国王至上法」(首長令)でイングランド国内においては イギリス国王こそが政治的・宗教的に至高の存在であると位置づけちゃうんですよw 父ヘンリー8世の死後過激なプロテスタント優遇政策をとってた兄エドワード6世と カトリックへの回帰を宣言してプロテスタントを迫害した姉メアリー1世の後を継いで 1558年11月17日に即位しますwエリザベスは父の政策を踏襲して再び「国王至上法」を発令し「礼拝統一法」によって英国国教会を国家の主柱として位置づけるんですw 1569年にはカトリックを信仰する北部諸侯の乱を鎮圧し 翌年教皇ピウス5世から正式に破門宣告されちゃいます以後エリザベスは国内のカトリック勢力により何度となく暗殺の危険にさらされるんです…同時にこの時代フランシス・ドレークやホーキンスなど優れた航海士が生まれてます!! その一方1587年自らの英国王位を主張していたスコットランド女王メアリー・ステュアートを 女王暗殺未遂の容疑で逮捕し処刑してスペインとの対立が深刻化! 結果1588年スペイン無敵艦隊の侵攻を受けちゃうんですよ!!英国の艦隊は必ずしも盤石ではなかったけど当時無敵艦隊を率いて世界各国に植民地を持ちヨーロッパの最強国となっていたスペイン・ハプスブルグ家に挑戦するんですよw エリザベスはスペインからの独立を目指して戦っていたオランダの独立戦争を支持し援助しますw スペイン国王フェリペ2世はこれに対してイングランド攻略を目指して 無敵艦隊を送ったが1588年のアルマダの海戦において ――― 私掠船を中心とした軽快な小型艦と威力ある大砲を操るイングランド海軍に大敗北 スペイン海軍は嵐にも巻込まれスペインに戻ることができた軍艦はほとんどなかったみたいですよ… スペインの海軍力はこの後大幅に低下してっちゃうんですねぇ… 逆にイングランドの海軍力はこの後の大英帝国を維持するイギリス海軍に発展するまで上昇!! 当時ヨーロッパの最強国の一つであったスペインを軍事的に打ち負かしたことで イングランドはスペインに変わりイギリスが 世界貿易を一手に握るようになっていき国際的地位は高まって行くことになります!晩年は「囲い込み」によって発生した大量の難民に対処しきれず発布した「貧民救済法」も効果がなかったんですよぉ… また対スペイン戦争やアイルランドの反乱鎮圧のために軍事費が増大して 社会不安が増加して逼迫した財政立て直しのため独占許可状を乱発するけど 議会の猛反対にあいやむなく撤回するはめとなっちゃうんですよ… ちなみに……既に立憲君主制度を導入してたイギリスって凄いかも… 文化的にはウィリアム・シェイクスピアをはじめとする文筆家を多数輩出して一大文化が花開く! 1603年3月後継者に遠戚にあたるスコットランド王ジェームス6世を指名してから 1603年3月24日崩御しちゃうんですよ…享年70歳…一生独身だったんで『処女王』と呼ばれてますがレスター伯ロバート・ダドリーやエセックス伯ロバート・デヴァルー(義理父)等の愛人がいて 彼女実は……“処女”ではなかったんですよw特にレスター伯ロバート・ダドリーとは一時は結婚まで考えてたんですけど彼の妻のエイミーが階段から落ち死亡する事件が起こりダドリーとの共謀説が流れて 彼との結婚は断念しちゃいます……(T_T) エセックス伯は1601年2月エリザベスに対して反逆を起こし処刑されてますぅ… |
ハプスブルグ家と300年の長きに渡り敵対するブルボン朝の第3代フランス王ですwルイ13世の嫡子で奥サンはスペイン王フェリペ4世の娘のマリア・テレサwブルボン朝最盛期の王で「太陽王」と呼ばれたんです!「朕は国家なり (L'état, c'est moi)」は有名な言葉ですねwルイ13世が王妃アンヌ・ドートリッシュを迎えてから23年目にしてやっと生まれた長子であり 宰相リシュリューやマザランの子であるとの噂もあるが どうやらリシュリューが一方的に思いを寄せてたみたいです…片思い… 彼が「王妃が自分の好意に応えてくれない」と書いた日記も発見されてます…恥ずかしっ… またアンヌがルイ14世を妊娠した1637年12月5日は まだマザランがイタリアにいた時期でありこのマザランが父親という話の方も単なる噂話ですね! 当時ブルボン王家の男子はルイ13世の舎弟オルレアン公ジャン・バプリスト・ガストンのみで ブルボン家はルイ14世の誕生で辛うじて命脈をつないだんですw 父王の死後は幼くしてフランス国王に即位し母后アンヌが摂政となり リシュリューに代り宰相となったマザランの補佐を得てフロンドの乱を鎮圧してますw 1659年にスペイン王女マリー・テレーズと結婚!!1661年にマザランが死ぬと宰相を置かずに親政を開始するんです!高等法院の建言権を制限してコルベールを登用し治世術を勉強し中央集権と重商主義政策に基づき ボシュエの唱える王権神授説ガリカニスムを掲げ絶対王政を確立してます…難しい… フランス国内のプロテスタントやジャンセニストに対しては 礼拝の制限や官職やギルドからの追放など弾圧を行い 20万に及ぶ新教徒はヨーロッパ各国や新大陸(アメリカ)に亡命結果的にフランス資本の海外流出を招いちゃいますwルイ14世は国内には新教徒は存在しないとして 1685年にはフォンテーヌブロー王令を下してナントの勅令を廃止しちゃいます! フランスに残った新教徒の反乱であるカミザールの乱に対しては武力鎮圧を加えてます… 軍制を整備しフランドル戦争(1667〜1668年)・ネーデルラント(オランダ)戦争(1672年〜1678年) ファルツ継承(アウクスブルク同盟)戦争(1688年〜1696年)・スペイン継承戦争(1702年〜1713年)等に 参加して領土を拡張と国境の画定を行ってますw 対外戦争はフランスの国益にもなるけど徴兵による民兵制度や食糧問題でフランス国民は疲弊し ルイ14世の覇権主義は新教徒弾圧と合わせて周辺諸国からの警戒を呼んじゃうんですよw 死後は曾孫に当たるルイ15世が王位を継承し甥のオルレアン公フィリップが摂政に着いてますw
http://ja.wikipedia.org/upload/thumb/4/49/Chateau-de-versailles-cour.jpg/275px-Chateau-de-versailles-cour.jpg
ルイ14世はパリにヴェルサイユ宮殿(上画像)を建設しラシーヌやボワローなどの詩人を優遇するなど文化の興隆も見たが 戦費調達のための新税や放漫経営が国家財政を苦しめるようになるんですねw この事が早くも後年フランス革命の遠因となちゃってます… |





