『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

対外戦争・事件等

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1711年

イギリスのマールバラ公軍資金横領が発覚して失脚し
また同年にオーストリアのレオポルト1世の後を継いでいたヨーゼフ1世が崩御して
弟でスペイン国王候補だったカール大公がオーストリア大公位と神聖ローマ皇帝に即位すると
イギリスのアン女王(画像)はカールのスペイン王位継承で
ハプスブルク家の大帝国が誕生することを恐れて
フェリペ5世のスペイン王退位要求に消極的となっちゃうんです…


1712年

イギリスとフランスとの間で和平交渉が開始されて
フェリペ5世は将来のフランスとスペインは一体化しない事を約束して
フランス王位継承権を放棄することを宣言しちゃいます!
同年散発的に続いていたオーストリアとフランスとの戦闘でフランスが勝利を収めたことにより

全面的な和平の機運が高まるんですねw

これによりスペイン王家に反逆したバレンシアカタルーニャは反フランス同盟側から見捨てられ
フランス・スペイン軍に鎮圧されちゃうんです…利用されたんですね…


1713年

各国はユトレヒト条約を結び長年に及んだ戦争を終結させました!

この条約でスペインはオーストリアにスペイン領ネーデルラント(ベルギー)
ナポリ王国にミラノ
サヴォイア公国にシチリア(後にサルディニアと交換)を割譲し
イギリスはジブラルタルとミノルカ島及び北アメリカのハドソン湾・アカディアを獲得
反フランス同盟はその代償として ――――

フランス王孫フィリプ(フェリペ5世)のスペイン王位即位を承認w



1714年

フランス王国と神聖ローマ帝国の間でラシュタット条約が結ばれました!



スペイン継承戦争はマールバラ公やオイゲン公の活躍によりフランスは各地で敗戦を重ねたけど
反フランス同盟は足並みが揃わず全面的な勝利を収めることができなかったんですよ!!
特にオランダはフランスの軍事的な強大化を恐れる一方で
貿易立国としてフランスとの経済関係が重視されてたから
フランスを完全に敗北させることを望んでいなかったみたいですw

その結果反フランス同盟の最大の目的であったフェリペ5世のスペイン王位継承は
阻止することができなかったが
この戦争で17世紀の西ヨーロッパで最強を誇ったルイ14世のフランス軍のヘゲモニーは抑制され

ヨーロッパの国際関係は新時代を迎えることになったんです…

イギリスのアン女王は1714年5月1日に崩御しました享年49歳
アン女王は肥満でどこへ行くにも輿に乗っていたけど晩年は全く歩くことが出来ないほど肥満が進み
宮殿内を移動するにも車イスを使ってたんだって!!
彼女が崩御した時 その棺おけは正方形だったみたいです…マジで!

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戦争はまずオーストリアがスペイン領ミラノ奪還を目指して

オイゲン公率いる軍を北イタリアに進撃させたことで

スペイン継承戦争がついに始まっちゃいます!

イギリスは新たに即位したアン女王のもとで
女王の友人サラの夫であるマールバラ公ジョン・チャーチルが司令官に任命されて
大陸に派遣されイギリス軍はオランダ軍と連合してフランドルに迫っちゃいますw

ポルトガルドイツの諸領邦国家も同盟に加わったため
フランスは孤立無援に陥ったけどバイエルン公国の同盟を得てアルザスを占領
南ドイツに軍を派遣してオーストリアを脅かすんですw
しかしこれに対して1704年イギリスのマールバラ公が長躯南ドイツに至り
オイゲン公のオーストリア軍と連合してブレンハイムの戦いでフランスを破ります!

フランスは反撃を謀りオーストリア側についたサヴォイア公国の首都トリノを攻囲したが
1706年にオイゲン公率いるオーストリア軍に敗れ北イタリアを制圧されたんですw
またスペイン領ネーデルランド(現ベルギー)ではマールバラ公率いるイギリス軍に
ラミリーの戦いで敗れちゃってます…連敗続き

スペインも1707年にイタリア半島を南下したオーストリア軍にスペイン領ナポリ王国を占領され
更にスペイン国内ではオーストリアの推す国王候補カール大公(画像)を支持して
バレンシアカタルーニャがスペイン王室に反旗を翻したので
イギリス軍がジブラルタルを占領してこれを支援したんですよ!
スペイン軍はジブラルタルを長期間包囲したがイギリス軍は執拗に持ち堪えるんですね!

1707年フランス軍はフランドルに軍を集めてイギリス・オランダ軍に対する反抗を開始w

マールバラ公はこれに対してイギリス・オランダ・オーストリアの連合軍を結集し

アウデナールデの戦いでフランス軍を破っちゃうんです!!

翌年ルイ14世は和平を提案したがフェリペのスペイン王位継承を始めとして
連合国の認められない要求が含まれていたため戦争は再開されちゃうんですw

マールバラ公はパリ進撃を目指してフランス領フランドルに侵入!

連合軍とフランス軍はマルプラーケの戦いで激突し連合軍はフランス軍を敗走させたものの
死傷者数万人の大損害を被り戦線はフランドルで膠着しますw

この頃迄にオランダドイツ諸邦は既に戦争の継続に倦んでおり
またイギリス国内でも和平を望む声が高まってました…
1710年自身がイギリスの戦争推進派の中心でもあるマールバラ公がアン女王の信任を失う
イギリス政府も和平に傾き始めちゃうんですよw

ヨーロッパで戦争が繰り広げられている間 イギリスとフランスの間で ―――

アメリカ大陸では植民地を巡るアン女王戦争が開始されてました!!

イギリスはフランス領カナダのケベックを狙い………
フランスはニューイングランドの英国植民地を狙ったがいずれも成功しなかったんです…
ただイギリスはフランス領アカディアの占領に成功してましたw

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スペイン継承戦争は18世紀初頭に

スペイン王位の継承者を巡ってヨーロッパ諸国間で

行われた大戦争(1702年〜1713年)なんですよ!

またこの戦争において北アメリカ大陸で行われた局地戦はアン女王戦争と呼ばれてますw


スペイン・ハプスブルク家のカルロス2世は生来虚弱体質で子孫出生が望めなかったんですよ…

このためカルロス2世実姉スペインのマリア・テレサフランス王ルイ14世の実子であった
フランス皇太子ルイ(後のルイ15世とは別人)が後継候補とされたんですw

しかしフランス王位継承者がスペイン王となれば ―――

フランス・スペインが将来合体してしまうから反対が多く
フランス側からも皇太子ルイの傍子アンジュー公フィリプを後継に押しちゃうんです…

これに対してスペイン王家とは遠縁にあたるオーストリア・ハプスブルク家
レオポルト1世も候補になるんだけどこれもスペインとオーストリアの合体を招くため
レオポルト1世は末子のカール大公を候補者に推してます…

各国の思惑が交錯する中スペイン王カルロス2世は1700年11月突如崩御しちゃいます
その遺言書にはフランス王孫フィリプに位を譲る旨が書いてあったんです!!!
これはルイ14世の画策によるものであるという噂がいっぱーいw

これでフランス・ブルボン家のアンジュー公フィリプが

スペイン王フェリペ5世として即位!(画像)


オーストリアはフランスの勢力拡大を恐れてイギリス・オランダと対フランス大同盟を結び
フェリペ5世の即位に反対してフランスとスペインに宣戦布告しちゃうんです…

ヴァレンヌ事件

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ヴァレンヌ事件ヴァレンヌ逃亡事件とも呼ばれる

フランス革命最中に起きたルイ16世一家の国外脱出未遂事件!



フランス革命の先行きを憂慮していたルイ16世

立憲君主派のオノーレ・ミラボーの死を機に

マリー・アントワネットの実家であるオーストリアに逃亡することを企てたんですよ!!

マリー・アントワネットはその後実家はもとより ―――

血族のいる諸外国武力による手助けを得て
フランスの革命派鎮圧を目論んでたという説もあるんですw

当時はフランス国外へ逃亡する貴族も多く 変装してそれに見せかける予定だったんです…


1791年6月20日の夜 ―――


ルイ16世一家は荷物をまとめて軟禁状態にあったテュイルリー宮殿を馬車で後にしましたw

その背後にはアントワネットの愛人であるスウェーデン貴族フェルセン伯爵の策謀があって

彼は国王一家の逃亡費用として現在の日本円に換算して総額120億円以上を自腹で出資したんですよ!


まるこにはそんなお金はありませんが…

最愛の人を助ける為なら全てを投げ出せるかも!



さらに当初マリー・アントワネットの言い分を認め馬車のサイズや内装を特注にしたことなどにより

その時点で脱出が予定より1ヶ月以上遅れちゃってますぅ……急いで〜〜〜!!!


フェルセン…優し過ぎぃ…ってか大丈夫かぁ?


この日は結局フェルセンにとっての運命の日となってしまうんです!!

翌日銀食器やワイン8樽・調理用暖炉2台などの過積載により

馬車の速度は全く出ず予定より4時間以上も遅れて国境近くのヴァレンヌに到着した為に

事前に雇用した憲兵が国王一家は来ないと思って全員解散し帰還した後だったんですよ!

事情を知らない国王は地元の住人に訳もわからずに尋ね歩いちゃうんですねw

でも…変装していたにもかかわらず正体を見破られフランス軍に捕らえられて

6月25日テュイルリー宮殿に連れ戻されるんですね……まさに行って来いです……


僻地ヴァレンヌの住人に『国王の顔が判明した理由』は ―――

この事件の少し前に国家財政の赤字解消のために紙幣の大量造幣が行われたんですよw

…………そこに国王の肖像が描かれてましたぁ…………あらまぁ………


この事件はフランス国民に多大な衝撃を与えましたw

だって国王自身が国を捨てようとしたんですからっ!!!

同時にルイ16世の反革命思考が暴露されることにもなっちゃいます!

結果それまでは比較的多数を占めていた国王擁護の立場をとっていた国民も含めて

革命は急進化し共和政の樹立につながることになったんです…


ちなみにテュイルリー宮殿はのちにナポレオン・ボナパルトが再び王宮としましたが
1871年のパリ・コミューンの際に焼失し現在では庭園のみが当時の面影を伝えてますw
その跡地にはルーヴル宮殿が建っていますよ!(画像)

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