対外戦争・事件等
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戦争はまずオーストリアがスペイン領ミラノ奪還を目指してオイゲン公率いる軍を北イタリアに進撃させたことでスペイン継承戦争がついに始まっちゃいます!イギリスは新たに即位したアン女王のもとで女王の友人サラの夫であるマールバラ公ジョン・チャーチルが司令官に任命されて 大陸に派遣されイギリス軍はオランダ軍と連合してフランドルに迫っちゃいますw ポルトガルやドイツの諸領邦国家も同盟に加わったため フランスは孤立無援に陥ったけどバイエルン公国の同盟を得てアルザスを占領し 南ドイツに軍を派遣してオーストリアを脅かすんですw しかしこれに対して1704年イギリスのマールバラ公が長躯南ドイツに至り オイゲン公のオーストリア軍と連合してブレンハイムの戦いでフランスを破ります! フランスは反撃を謀りオーストリア側についたサヴォイア公国の首都トリノを攻囲したが 1706年にオイゲン公率いるオーストリア軍に敗れ北イタリアを制圧されたんですw またスペイン領ネーデルランド(現ベルギー)ではマールバラ公率いるイギリス軍に ラミリーの戦いで敗れちゃってます…連敗続き… スペインも1707年にイタリア半島を南下したオーストリア軍にスペイン領ナポリ王国を占領され 更にスペイン国内ではオーストリアの推す国王候補カール大公(画像)を支持して バレンシアとカタルーニャがスペイン王室に反旗を翻したので イギリス軍がジブラルタルを占領してこれを支援したんですよ! スペイン軍はジブラルタルを長期間包囲したがイギリス軍は執拗に持ち堪えるんですね! 1707年フランス軍はフランドルに軍を集めてイギリス・オランダ軍に対する反抗を開始wマールバラ公はこれに対してイギリス・オランダ・オーストリアの連合軍を結集しアウデナールデの戦いでフランス軍を破っちゃうんです!!翌年ルイ14世は和平を提案したがフェリペのスペイン王位継承を始めとして連合国の認められない要求が含まれていたため戦争は再開されちゃうんですw マールバラ公はパリ進撃を目指してフランス領フランドルに侵入!連合軍とフランス軍はマルプラーケの戦いで激突し連合軍はフランス軍を敗走させたものの死傷者数万人の大損害を被り戦線はフランドルで膠着しますw この頃迄にオランダやドイツ諸邦は既に戦争の継続に倦んでおり またイギリス国内でも和平を望む声が高まってました… 1710年自身がイギリスの戦争推進派の中心でもあるマールバラ公がアン女王の信任を失うと イギリス政府も和平に傾き始めちゃうんですよw |
スペイン継承戦争は18世紀初頭にスペイン王位の継承者を巡ってヨーロッパ諸国間で行われた大戦争(1702年〜1713年)なんですよ!またこの戦争において北アメリカ大陸で行われた局地戦はアン女王戦争と呼ばれてますwスペイン・ハプスブルク家のカルロス2世は生来虚弱体質で子孫出生が望めなかったんですよ… このためカルロス2世の実姉スペインのマリア・テレサとフランス王ルイ14世の実子であった フランス皇太子ルイ(後のルイ15世とは別人)が後継候補とされたんですw これに対してスペイン王家とは遠縁にあたるオーストリア・ハプスブルク家の レオポルト1世も候補になるんだけどこれもスペインとオーストリアの合体を招くため レオポルト1世は末子のカール大公を候補者に推してます… 各国の思惑が交錯する中スペイン王カルロス2世は1700年11月突如崩御しちゃいますが その遺言書にはフランス王孫フィリプに位を譲る旨が書いてあったんです!!! これはルイ14世の画策によるものであるという噂がいっぱーいw オーストリアはフランスの勢力拡大を恐れてイギリス・オランダと対フランス大同盟を結び
フェリペ5世の即位に反対してフランスとスペインに宣戦布告しちゃうんです… |
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ヴァレンヌ事件はヴァレンヌ逃亡事件とも呼ばれる フランス革命の先行きを憂慮していたルイ16世は 立憲君主派のオノーレ・ミラボーの死を機に 后マリー・アントワネットの実家であるオーストリアに逃亡することを企てたんですよ!! マリー・アントワネットはその後実家はもとより ――― 血族のいる諸外国武力による手助けを得て
フランスの革命派鎮圧を目論んでたという説もあるんですw
当時はフランス国外へ逃亡する貴族も多く 変装してそれに見せかける予定だったんです…1791年6月20日の夜 ――― ルイ16世一家は荷物をまとめて軟禁状態にあったテュイルリー宮殿を馬車で後にしましたw その背後にはアントワネットの愛人であるスウェーデン貴族フェルセン伯爵の策謀があって 彼は国王一家の逃亡費用として現在の日本円に換算して総額120億円以上を自腹で出資したんですよ! さらに当初マリー・アントワネットの言い分を認め馬車のサイズや内装を特注にしたことなどにより その時点で脱出が予定より1ヶ月以上遅れちゃってますぅ……急いで〜〜〜!!! この日は結局フェルセンにとっての運命の日となってしまうんです!! 翌日銀食器やワイン8樽・調理用暖炉2台などの過積載により 馬車の速度は全く出ず予定より4時間以上も遅れて国境近くのヴァレンヌに到着した為に 事前に雇用した憲兵が国王一家は来ないと思って全員解散し帰還した後だったんですよ! 事情を知らない国王は地元の住人に訳もわからずに尋ね歩いちゃうんですねw でも…変装していたにもかかわらず正体を見破られフランス軍に捕らえられて 6月25日テュイルリー宮殿に連れ戻されるんですね……まさに行って来いです…… 僻地ヴァレンヌの住人に『国王の顔が判明した理由』は ――― この事件の少し前に国家財政の赤字解消のために紙幣の大量造幣が行われたんですよw この事件はフランス国民に多大な衝撃を与えましたw だって国王自身が国を捨てようとしたんですからっ!!! 同時にルイ16世の反革命思考が暴露されることにもなっちゃいます! 結果それまでは比較的多数を占めていた国王擁護の立場をとっていた国民も含めて 革命は急進化し共和政の樹立につながることになったんです… ちなみにテュイルリー宮殿はのちにナポレオン・ボナパルトが再び王宮としましたが
1871年のパリ・コミューンの際に焼失し現在では庭園のみが当時の面影を伝えてますw その跡地にはルーヴル宮殿が建っていますよ!(画像) |
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