『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

幕末の女性

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幕末から明治維新迄女性も一生懸命頑張ってたんです!!そんな女性にスポットを当てましたw
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近藤 つね

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近藤つねは新撰組局長近藤勇の奥サン

天保8年9月10日(1837年10月9日)幕臣松井八十五郎の長女として誕生w

万延元年(1860年)3月29日天然理心流次期4代目近藤勇とお見合結婚したんですw

つねはあんまし美人じゃなくて勇によれば「だからこそ妻に選んだ」んだそーですw

文久2年(1862年)に長女たまを出産しました…

勇が試衛館で道場をやってる頃に ―――

つねが勇の為にドクロの刺繍を施した稽古着を作ってプレゼントしてますw

その稽古着は今は東京都町田市にある小島資料館に現存してます!

文久3年(1863年)に夫勇が浪士組として上洛して新選組を結成しました!

その間留守宅を任されたけどよく義兄音五郎に愚痴を綴った手紙を書いてたみたいですw

慶応4年(1867年)1月3日の鳥羽伏見の敗戦で江戸へ海路帰還する事になった勇は

船中幕臣榎本対馬に向かって ―――
「京都へ行く時はもう2度と妻子には会うまいと決心してたものを今こうして帰る事になって妻子に会えるかと思うと嬉しいような気持ちです…全くお恥ずかしい」と語ってたと言います…
またこの時土産として“銀の指輪”をつねへ渡した事が伝わってます!

でも残念ながらこの指輪は現存はしてないんですよ…

慶応4年4月25日(1867年5月17日)戊辰戦争のさなか夫勇は斬首になっちゃいます…

つねは娘たま(6歳)と婿養子宮川勇五郎(17歳)と共に本郷村成願寺に身を隠します!!

維新後は義兄(勇の兄)宮川音五郎の元へ身を寄せて暮らしたんです…

その後家族らに再婚を勧められたけど断り続け自殺を図った事も何度かあったんです…

明治25年(1892年)7月20日に近藤勇の故郷多摩にて享年55歳で死去しました…

坂本 龍

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坂本龍こと「お龍」は幕末の英雄坂本龍馬の奥サン

天保12年6月6日(1841年7月23日)医師の楢崎将作の長女として誕生しますw

父将作は大老井伊直弼による「安政の大獄」で捕らえられ獄死してます…

この為お龍と母と幼い4人の弟妹は生活に困窮しお龍は家族を養う為に旅館扇岩に勤務!!

でも間もなく旅館を辞めて天誅組残党の賂いをやってたんですよ!

だけど天誅組が幕府の追討を受けちゃうと…各地を放浪する生活を送るんです…

この頃に運命の人となる“坂本龍馬”と出会うんです!

龍馬から自由奔放なところを気に入られて愛人になり世話を受け寺田屋に奉公しますw

慶応2年(1866年)薩長同盟の成立を悟った新撰組により寺田屋が包囲されちゃったとき

お龍は風呂に入ってたけど裸のままで風呂から出て龍馬に危機を知らせて救ってます!

その直後に龍馬と結婚し西郷隆盛の勧めで薩摩藩へ新婚旅行を楽しんでるんですよw

一説には龍馬が寺田屋事件の際に負った怪我の養生だったとも言われてます!!

慶応3年11月15日(1867年12月10日)に京都にある醤油商「近江屋」の母屋の2階で盟友中岡慎太郎と夫坂本龍馬が暗殺されちゃいます…享年32歳だったんです…盟友中岡は29歳でした…

お龍はこのとき豪商伊藤助太夫のもとにいたんで助かったんですよ…

お龍は龍馬の死を深く悲しんだんです…この時お龍は26歳だったんです…

その後は龍馬の姉坂本乙女に引き取られたけど間もなく去って各地を放浪します…

その後商人西村松兵衛と再婚したんですよw

明治39年(1906年)11月15日に横須賀にて享年66歳で死去してます…

龍馬と同じく土佐藩士だった佐々木高行はお龍のことを「大変な美人だけど賢婦と言えるかどうかは疑わしい…ただ悪人じゃないことは確かである」と評してます!お龍の墓には「贈正四位坂本龍馬…」と龍馬の妻として墓碑が刻まれてます!!再婚相手の西村松兵衛サンも切ないですよね…西村サンの優しさかもw

木戸 松子

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木戸松子は幕末の維新三傑「桂小五郎(後の木戸孝允)」の正妻

天保14年(1843年)に誕生してますw

父は若狭国小浜藩士木崎市兵衛で母は小浜藩医師細川太仲の娘末子ですw

名は「計(かず)」で号は「翠香院」なんですw

京都三本木(現京都市上京区三本木通)の芸者「幾松」としても知られてますよね!

実家である木崎家が生活苦になっちゃったんで公家サンの九条家の諸太夫の難波家

次男難波恒次郎の養女となるんですよ!!

でも養父恒次郎が享楽に耽り遊ぶ金が底をついちゃったんですよ…

そんで三本木の芸者にさせられ「2代目幾松」を名乗らされるんです!
そんなこんなで文久元年(1861年)頃に桂小五郎と出会ったみたいですよw
元治元年7月19日(1864年8月20日)の「禁門の変」以降は長州藩が朝敵とされて

幕府に追われる身となって隠れ潜んでた桂によく握り飯を持ってったみたいですw

それとか新撰組局長近藤勇に桂の居場所を聞かれた事もあったみたいなんです…

明治維新後に桂の正妻となり「木戸松子」と名乗ってます!

明治10年(1877年)5月26日西郷隆盛が起こした西南戦争の最中に夫孝允が病死します…

そんでもって尼となり「翠香院」と称したんですw

木戸家は義妹治子(夫孝允の実妹)と来原良蔵との間に生まれた次男孝正が継いでますw

明治17年(1884年)の華族令施行で夫孝允の功績により養子孝正は侯爵に叙されます!

明治19年(1886年)4月10日に享年44歳で死去しました…

ちなみに…上画像は和装の松子サンで下画像は洋装の松子サンですwとっても綺麗ですw

英照皇太后

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英照皇太后は孝明天皇の女御にして明治天皇の嫡母

天保4年11月13日(1833年12月23日)山城国愛宕郡下鴨村の南大路家で誕生w

父は関白左大臣九条尚忠で母は賀茂神社氏人南大路長尹の娘菅山サンで旧名は「九条夙子」ですw

左大臣九条道孝の実姉で貞明皇后の伯母にあたるんですよ!!

弘化2年(1845年)9月14日13歳の時2歳上の東宮統仁親王(後の孝明天皇)の妃に!!

弘化3年(1846年)には孝明天皇が即位しますw

嘉永元年(1848年)12月7日従三位となり同月15日入内して女御宣下を!!

孝明帝は夙子の立后を望んだけど「先ず准三宮に叙すべし」と幕府に反対されます…

嘉永3年(1850年)に第1皇女順子内親王が誕生するけど…………

嘉永3年(1852年)には幼児期に夭折しちゃいます…………

嘉永6年(1853年)5月7日に夙子は正三位・准三宮に上ったんですw

安政5年(1858年)に第2皇女富貴宮が誕生するけど安政6年(1859年)に夭折……

万延元年(1860年)7月10日に勅令により9歳の第2皇子祐宮を「実子」と称しますw

慶応2年12月25日(1867年1月30日)に夫孝明帝が享年36歳で崩御します……

ちなみに…京都大宮御所は皇太后夙子のために慶応3年(1867年)造営されたものです!!

明治天皇即位後に慶応4年(1868年)3月18日に皇太后に冊立!!

東京遷都後に明治5年(1872年)赤坂離宮に遷御してますw

明治7年(1874年)には青山御所に移ってるんですよw

明治21年(1888年)11月1日には勲一等宝冠章!!

明治30年(1897年)1月11日に東京にて享年65歳で崩御します………

明治30年(1897年)1月30日に「英照皇太后」の追号を奉られたんです…

御陵は京都市東山区今熊野の後月輪東山陵で孝明帝と同所になってます…

昭憲皇太后

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昭憲皇太后は明治天皇の皇后

嘉永2年(1849年)4月17日従一位左大臣一条忠香と側室新畑民子の3女として誕生w

初名は「勝子」「富貴君」「富美君」などで旧名は「一条美子」なんですよ!!

右大臣一条実良の妹で徳川慶喜夫人となる徳川美賀子の義妹になるんですw

安政5年(1858年)6月に「寿栄君」と改名します!!

慶応3年(1867年)5月18日に明治天皇の女御に治定しますw

そんで慶応3年(1867年)6月28日に女御の宣旨を被ったんですよw

この際に明治天皇より3歳上であることを忌避して嘉永3年(1850年)の出生とされます!!

明治元年旧暦12月28日(1869年2月6日)立后の時に改めて名を「美子」とし

皇后宮職を付されたけどこれと共に従来帝の正妃に付された中宮職が廃止されたんですよ!!

生涯に3万首を超える和歌を詠みその一部が『昭憲皇太后御集』として伝わってますw

明治9年(1876年)2月に東京女子高等師範学校に下賜した校歌 ――

「磨かずば 玉も鏡も なにかせむ 学びの道も かくこそありけれ」が著名ですw

華族女学校の教育指針を詠んだ「金剛石」「水は器」等も尋常小学校唱歌として広く歌われてますw

維新期の皇后として社会事業振興の先頭に立ち学習院女子部の前身である華族女学校や

お茶の水の東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)の設立とか日本赤十字社の発展など

大きく寄与し津田梅子らの女子留学生の派遣にも関わったんですよw
病弱で実子はなかったから明治12年(1879年)8月31日大正天皇の「嫡母」となりますw
明治37年(1904年)2月日露戦争の前夜に葉山の御用邸に皇后が滞在してた時……

37〜8歳の武士が白衣で皇后の夢枕に立ち戦いの際の海軍守護を誓い申し上げます!!

皇后が侍臣に下問したところ「坂本龍馬」の霊だと判ったんですよ……何で!?

このことが新聞記事に載って士気を鼓舞したんですよ!!

そんで霊山官祭招魂社内にある坂本龍馬の墓前に忠魂碑が立てられたんですよw

明治45年(1912年)7月30日に東京にて明治天皇が享年59歳で崩御します………

大正3年(1914年)4月11日に東京にて享年64歳で崩御します………

大正3年(1914年)5月9日宮内省告示第9号により「昭憲皇太后」と追号されます…

崩御に際して「ロンドンタイムズ」は彼女を高く評価したんですよw

大正4年(1915年)5月1日に明治天皇と共に明治神宮の祭神とされました……

陵墓は伏見桃山東陵です……

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