濱口成則は幕末から明治期の実業家紀州湯浅の醤油商(現ヤマサ醤油株式会社)の7代目当主濱口儀兵衛通称「濱口梧陵」の名の方が有名ですねw文政3年(1820年)6月15日紀伊国広村の醤油商人の子として誕生しますw雅号は「梧陵」と言うんですよ! 若くして江戸に上って見聞を広め開国論者となります!! そんで海外留学を志願するけど開国直前の幕府に拒否されます… 嘉永3年(1850年)に30歳で帰郷して事業の傍ら故郷に学校を建設しますw 後にその学校は「耐久舎」(現和歌山県立耐久高等学校)と呼ばれましたw 和歌山県立耐久高等学校は現在150年以上の歴史を誇る和歌山県有数の伝統校にです! 安政元年(1854年)12月に安政の大地震が起こります!! その後に津波が来襲するんですよ! そんで村人に安全な避難路を示す為に大量の藁の山に火をつけ村人を救ったんですw この事は小泉八雲らによって通称『稲むらの火』として有名になったんです! そんで将来同様の災害が起こるのを慮り私財を投じ当時最大級の堤防を作ったんです!!4665両(現在の約4300万円相当)という莫大な費用です!!
その際に『百世の安堵を図る』と名言を残してます! 昭和21年(1946年)に広村を昭和南海地震の津波が襲ったんです!! でも堤防のおかげで被害を減らす事が出来ましたw 堤防完成の88年後の事ですw さらに破損した橋を修理したりもしてるんですよw 小泉八雲は彼を『生ける神』と賞賛してるんです!! 慶応4年(1868年)には商人身分で異例の紀州藩勘定奉行に任命されます! 後には藩校教授や大参事を歴任する等藩政改革の中心に立ってたんですよ! そんで紀州藩や和歌山県経済の近代化に尽力したんです!! 明治13年(1880年)に和歌山県の初代県会議長に就任しますw 明治18年(1885年)にかつての夢だった世界旅行に出発します! |
老舗の創業者(実業家)
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当初は「徳大寺隆麿」と名乗ってたんですよw 兄に徳大寺實則公爵(宮内大臣)・西園寺公望公爵(第12・14代内閣総理大臣)や 中院通規伯爵がいて弟に末弘威麿(財団法人立命館理事)がいたんですよw 明治23年(1890年)に12代目友親と13代目友忠が相次いで死去します…これで住友家の男系相続者が途絶してしまう非運に見舞われちゃうんです…そんで住友家総理人広瀬宰平と大阪本店支配人伊庭貞剛は12代目友親の妻登久を 14代目吉左衛門として襲名させるんですよ! 明治25年(1892年)13代目友忠の妹満寿サンの婿養子として住友家の命脈を繋ぎますw その際に「隆麿」から「友純」と改名しますw 明治30年(1897年)に15代目吉左衛門を継承し33歳で住友家の家督を相続しますw ちなみに…住友家当主が「吉左衛門」を名乗るようになったのは3代当主友信からですw 奥サン(満寿夫人)との間に4男1女を儲けたけどその後に長男寛一を廃嫡して次男厚に 16代目吉左衛門友成として住友家を継がせたんですよw 明治44年(1911年)8月25日に経済発展に尽力した功により男爵に叙任されますw 友純は「君臨すれども統治せず」の立場をとりましたw 財閥本社社長たる歴代吉左衛門の仕事は究極的には財閥の事実上の最高権力者である住友本社総理事(大番頭)の信認に尽きるといってよく個々の事業に口を差し挟む事はなかったんですwこの点は三井家や岩崎家等の他財閥と対照的だったんですよ!京都の公家で育ったイギリス貴族の生活に憧れ子女の教育のためイギリスから家庭教師を招いたり海外視察にも赴いてますw そんで建築に関心をもち貴族階層の社会的役割に関しても多くを学んでたんですよ! 中之島図書館の他に茶臼山の本邸敷地を美術館・公園用地として大阪府大阪市に寄付し その結果その場所には大阪市立美術館が誕生してるんですよw 大正8年(1919年)6月4日に兄徳大寺實則公爵が東京にて享年81歳で死去しました…大正15年(1926年)に東京にて享年62歳で死去しました…【その後の住友家】
16代目友成は元東宮職御用掛西園寺八郎公爵(西園寺公望の女婿で旧長州藩主毛利元徳公爵の8男)の次女春子サンと結婚してます!友成&春子夫妻は男子に恵まれなかったけど…2女を儲けそのうち1人は昭和電工元社長安西正夫の次男直之に嫁いでますw直之の兄孝之(元昭和エンジニアリング社長)は元日清製粉(現日清製粉グループ本社)社長正田英三郎の次女恵美子サンと結婚しましたw恵美子のお姉サンが美智子皇后なんですよ!ちなみに…西園寺八郎公爵の3男不二男サンは鮎川義介の長女を娶り自らも日産コンツェルン傘下の日産興業社長に就いてますw元参議院議員で日中友好に努めた西園寺公一サンは八郎の長男ですwこれに対し16代目友成の兄寛一はキミ夫人との間に4男2女を儲けましたwキミ夫人の弟は寿枝子夫人(旧小浜藩主家酒井忠克伯爵の子)との間に2男2女を儲けましたwちなみに…寿枝子サンの姉小枝子サンは三菱財閥の創業者岩崎弥太郎の孫に嫁ぎその娘由利子サンは古生物学者・理学博士の鎮西清高(京都大学名誉教授)に嫁いでいますwまた鎮西と同じく古生物学者・理学博士の岩崎泰頴(岩崎弥太郎の曾孫で熊本大学名誉教授)は由利子サンの兄であり寿枝子サンの甥にあたるんです!寛一の次男は浅野財閥総帥浅野八郎(浅野総一郎の弟)の長女を妻に迎えてるんですよw 住友家の先祖は越前国丸岡の武家で桓武平氏の流れを汲むとされてます!桓武天皇の曾孫高望王の22代目備中守忠重が「住友姓」を称し室町幕府将軍に仕えたとされてます!!この武家である住友忠重が「始祖」となるんですよ!天正年間に生まれた住友政友は次男だったんで出家し涅槃宗僧侶「文殊院空禅」となってます!でも…寛永年間に涅槃宗が天台宗に吸収されちゃったのを機に還俗し京都で書物と薬種を商った「富士屋」を開いたのが住友財閥のスタートとなるんです!政友は商売上の心得を『文殊院旨意書』にまとめててこれが現在に至るまで住友グループ各社の社是の原型となってるんです!! |



