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渡辺勘兵衛了は近江国浅井郡の土豪渡辺任の養子で浅井家臣阿閉淡路守の家来なんですよw “汝は天下に聞こえた大名に仕えよ”との養父の遺言を胸に勘兵衛は槍術の腕を磨きますw 織田信長・信忠父子の甲州攻略に北近江浅井家臣阿閉淡路守貞征の家来として参加しますw その時に織田信忠の危機を救う武功で一躍その名を轟かせたんです!!でも…勘兵衛は織田信忠から拝領した名刀をねだるケチ臭い淡路守につくづく愛想が尽き果てます…羽柴秀勝病死後には秀吉の家臣中村一氏に仕えて小田原攻めで戦功をあげ名を轟かせます!! 秀吉から「捨てても一万石は取るべき」と賞賛されたんですよw でも一氏からの恩賞に不満を持ち再び浪人しちゃって増田長盛に仕えますwでも増田長盛は関ヶ原で西軍についちゃったんで主君の居城大和郡山城を守ってたんです!!敗戦後には城受け取りの藤堂高虎に「主君長盛の命以外で開城することはできぬ」と開城を拒否!! この時に武士の意地と名誉を貫いたんですよw これを惚れ込んだ高虎が2万石の破格の待遇で召抱えて藤堂家に仕官するんですw 今治城の普請奉行を務めたり槍働き以外の才能を見せ伊賀上野城代にまでなってるんですw 大坂の陣で長宗我部盛親を破り戦功をあげるけど軍令違反のため戦後に高虎と対立!! そんで戦後に藤堂家を出奔し浪人しちゃって隠居したんです……再び仕官の道を探すけど藤堂家から「奉公構え」の触れが出てて蒲生氏や幕府からも誘われるけど適うことはなかったんですよね…… ちなみに…「奉公構え」とは「他家で仕官をさせないようにする願い」のことなんですよw そんな「槍の勘兵衛」こと渡辺勘兵衛了のお話です!! 主君と対立しそのたびに出奔し仕えた主君は生涯5人! 戦国末期を一本気で生きた猛将だけどついに理想の主君とは出会えず時代の変化に合わず 己の信念を曲げなかった男の一代記です!!どっか佐々成政を髣髴とさせますよねw みなさんも参加しませんか?詳しくはこちら ⇒ 「時代もの、大好き」参加者募集!!
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読み物
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豊臣秀吉に仕えて一介の野武士から但馬国出石11万石の大名になるんだけど… 悲運の最期をとげちゃうのを新史料「武功夜話」を駆使して描く戦国ロマンなんです!! かなーりマイナーな武将前野長康だけど豊臣秀吉の最古参で譜代中の譜代で蜂須賀小六と組んでた土豪w 尾張と美濃の境に位置する木曽川に運搬や乱破を生業とする川並衆と呼ばれる集団がいましたw ちなみに……まるこ家のご先祖サマは川並衆蜂須賀党にお世話になってたんですよ!!ある川並衆前野家の次男将右衛門は織田家武将の木下藤吉郎の訪問を受けたんですよw当時の織田家は斎藤家と争ってて重要拠点として美濃木曽川の墨俣に砦を築く事を 木下藤吉郎より相談されるけどとっても難しい話で将右衛門は難渋を示しちゃいます… でも最終的には木下藤吉郎の話を受け援助する事にしたんですw 川並衆の活躍で墨俣に砦を築く事に成功した織田家は長年の宿敵斎藤家を倒し美濃を手に 入れる事に成功するんです!! そんでそのまま木下藤吉郎麾下となった将右衛門や小六を始めとする川並衆は各戦場で活躍します!! 信長が統一しかけた天下を木下藤吉郎改め豊臣秀吉が引き継ぐと将右衛門は秀吉の元で次々と合戦に 参加し戦功が認められて但馬国出石11万石の大名にまで出世しちゃうんですよ!! でも……川並衆といえば「蜂須賀小六正勝」が有名ですよねw 蜂須賀小六の作品が結構ある事を思えば…前野将右衛門が主人公の作品は数少なくて「珍」ですw 気の荒い地侍の印象があったけど作品中ではさすがに主人公らしくないという事だと思うけど… 頭のきれるの人物として描かれてるんですよ!!でも自然でわざとらしさがないんですw 物語の後半はかなーりの頑張りを見せてるんだけど空回りして追いつめられてっちゃいます… 雰囲気はかなーり重苦しいんだけど作品自体はとても読み易くてグーでしたw 兄と慕った蜂須賀小六を失い亡き妻のことを想い将右衛門は抜け殻っぽくなってます… そんな「鬱」の時に高山右近から在りし日の信長のことを聞かされるんですよ!! 信長に「神などどこにいるのか?眼にも見えぬものなど余は信じぬ」といわれ… ヴァリニャーノ神父は静かに答えたんですよ!! 「神は皆々サマの思われる如く人の外にあって人が仰ぎみる如き高き場所には在しませぬ!!
神は…実は人の心の奥深く密かに隠れて働くもの!! さよう人の心において働いておられるのが神でござります!!」 この時に将右衛門は何を思ったんでしょうか……天下人になった秀吉も年を負い昔優しく人の気持ちがわかってた時とはすっかり変わっちゃって そんな時に関白秀次付の家老に将右衛門がなるんですよ!! でも茶々に再び宿った拾丸を後継ぎにするため秀次を切腹に追いやることになっちゃうんです… そして自分も息子共々秀吉に切腹させられちゃうんですよ……あぁ…… まさに……今流行りのかなーり非情な「リストラ」です……あぁ……木曽川だけはその後も黙々と流れてるってのが言いようもなく哀切で胸しめつけられました…NHK大河ドラマ『功名が辻』では石倉三郎サンが演じてますよね!! ちなみに新史料「武功夜話」は昭和34年(1959年)に発見され従来の学説を根本的に覆す歴史的にみても非常に貴重な史料と一時は注目されたんだけどその後に偽書なのが明らかになってます……あぁ…… みなさんも参加しませんか?詳しくはこちら ⇒ 「時代もの、大好き」参加者募集!!
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これは藤原道長の生涯を描いた作品です。 栄耀栄華を誇った道長が、実は平凡な、どっちかっていうとうだつの上がらない、 情けない末っ子だった…そんな感じの話ですね。 そう言ってしまうと、なんか身も蓋もない感じですが、 でも、平凡だったからこそ、平衡感覚でうまく世の中を泳ぎ切った…って感じで描かれてます。 そして、栄華を支えるのが、母后・能吏・妻妃・帝・一の上(関白・摂政)の 連携プレーなんですね。 それのどれが欠けても安定した政治は行えないんです。 道長の場合は、これが全部そろってた時が一番安定してたんでしょうね。 例えば… 母后は東三条院詮子。 この人は道長の同母姉で、円融天皇の女御で一条天皇のお母さんです。 そして道長とは仲良かったみたいですね。 自分が育てた養女分の源明子を道長の奥さんにしてあげてますしね。 道隆や道兼とも同母の兄弟姉妹ですけど、道長と一番そりがあったらしく、 道隆の子供の伊周よりも道長の応援して、 最終的に道長が内覧(摂関に次ぐ権利を持つ人)になってますからね。 次の能吏は藤原行成。 この人は能筆家として有名ですけど、かなりの能吏だったみたいですね。 この人のおかげで、道長の娘の彰子が中宮になることができたらしいですし。 次の妻妃はもちろん、上東門院彰子。 この人は道長の長女で、一条天皇の中宮で、後一条・後朱雀天皇のお母さんですね。 で、帝は彰子の夫である一条天皇です。 一の上は道長本人。 この連携があって、はじめて安定した政治ができたみたいです。 っていうのも、一条天皇の後の三条天皇の時は、連携がうまくいかなかったから、 政治がめちゃくちゃになっちゃったみたいですし… 母后は道長の同母姉の超子ですが、三条が即位する前に死んじゃってますし、 能吏は…行成の地位が上がってしまって、逆にうまくいかなくなっちゃったみたいですし。 妻妃は、一応次女の研子が中宮にはなったものの、三条との間に皇子ができなかったせいで、 これまたうまくいかなかったみたいですしね。 それに彰子よりも研子の方ができがよくなかったというか… 帝は…三条天皇は実は、研子以外の女性との間の皇子を跡取りにしたくて、 道長とはかなり対立したみたいなんで、連携どころではなかったみたいですしね。 ま、そんなことが、人間描写と心理描写をまじえながら、かなり詳しく描かれてます。 読んでてかなり面白かったですね。 特に、登場人物が人間くさいところがかなりいい感じです。 綺麗ごとばかりだとしらけちゃいますもんね。 この作品はそれがないのがいいところ、でしょうか。 |
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慶長2(1597)年再び朝鮮の地に上陸した豊臣秀吉の征明軍は雪辱に燃えていましたw 5年前(文禄の役)亀船を操り我が水軍を撃破した敵将李舜臣を必ずや倒す! 水将藤堂高虎・来島通総らは舜臣を暗殺すべく密かに養成した秘密戦士団を放つのです… 一方講和派の将小西行長はそれを阻止するため極秘作戦を開始するんです!! その為別働隊を率いる強硬派の加藤清正との争い… ついに舜臣を巻き込む三つ巴の死闘に突入した… 綿密な取材・類稀な着想・圧倒的筆力で放つ鮮烈の歴史ロマン巨編です! 来島通総は村上水軍の分家来島村上家当主で 1567年父の通康が病死したため7歳という若さで家督を継いでますw 予州の名家河野家当主通直に男子が無く通直の孫である事により 後継候補に選ばれるが内紛・室町幕府公用金横領などの問題を抱えていた河野氏に見切りをつけ 1582年羽柴秀吉の勧誘などもあって秀吉の家臣となるんです…裏切りです!! このため河野氏や毛利氏 更には村上宗家 因島水軍などにも攻められる事になっちゃうんですけど これを持ち堪え1585年には四国征伐で先鋒を務めた功績により 風早14000石の所領を与えられるんですねw その後も九州征伐や小田原征伐に参戦してるんですけど 1592年からの朝鮮出兵でも水軍の将として参戦したが 李舜臣は文禄・慶長の役時の李氏朝鮮の将軍ですw 京畿道開豊郡の徳水李氏の出身で現北朝鮮領の開城に生まれてますw 1591年に全羅道左水軍節度使に抜擢されてますw 朝鮮出兵を開始されると水軍指揮官の一人として主に停泊中の艦を焼き払うゲリラ攻撃で功績を立て 後に水軍の全権を掌握し主として日本水軍の補給路を断つ戦術を展開し戦術的な成功を収めてますw しかし日本軍への全面的な攻撃命令を無視して動かなかったため解任され 1597年に彼の後任の水軍統制使(海軍総督)元均が巨済島海戦で大敗を喫し 戦死すると水軍統制使に返り咲いてます! 三道水軍統制使に復帰すると陸地での戦況の不利にもかかわらず 重要な局面で大きな戦勝を数多くあげてますw 更には秀吉の死で撤退する日本軍に周囲の制止を振り切って懸命な追撃戦を行い 今でも何かと物議を醸し出す秀吉の『朝鮮出兵』を日本・朝鮮両側から描いた珍しい一冊ですw
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今回は戦国史上では地味の部類(←スイマセン)に入るかもしれませんが…… 名門の生まれではありましたが生涯想像以上の苦労人ですw 佐々氏は尾張国春日井郡比良城に拠った土豪で宇多源氏佐々木氏の一族ですw 兄達の相次ぐ死により家督を継ぎましたw 信長公記首巻によれば成政は織田信長暗殺を企んだ事があったというが 信長の馬廻りから戦功を重ねて頭角を表し黒母衣衆の筆頭に抜擢されたんですw 成政は鉄砲の扱いに長けていたと言われ長篠の合戦では鉄砲隊を率いて活躍しましたw のちに北陸方面軍柴田勝家の与力となり前田利家・不破光治と共に越前府中3万3000石を 与えられ小丸城を築いて居城とし府中三人衆と称されてたんですねw 府中三人衆は柴田勝家の与力とはいえかなり独立した織田軍の遊撃軍的存在で 石山本願寺攻めや播磨平定・荒木村重征伐等に援軍として駆り出されることが多かったみたいです! そんな中本能寺の変で織田信長が倒れると一時は殉死も考えちゃうんですが・・・ 次の天下人として台頭して来た豊臣(当時は羽柴姓)秀吉の天下奪取に 織田信長への忠義の念から抵抗し続けたのがこの佐々成政なんですねw 『なんとしても家康に逢い秀吉討伐に立たねばならぬ。 それには敵陣の中越中から真冬の北アルプスを越えて行かねばならない』 佐々成政は必死の形相の従臣たちに向かってこう言い放った。 「佐々の存亡はこの一事にかかっている。皆の生命をわしにくれ」と―。 今の富山県から静岡県迄厳冬の北アルプス立山山系を越えて踏破するという壮挙を成し遂げたんです! これが世に言う「さらさら越え」ですwww この翌1585年秀吉自ら越中征伐に乗り出し富山城を10万の大軍で包囲 成政は織田信雄(織田信長の次男)の仲介により降伏しました! 秀吉の裁定により一命は助けられたものの越中国東部の新川郡を除く全ての領土を没収され 妻子と共に大坂に移住させられ以後御伽衆として秀吉に仕えたんです…かなりの屈辱でしょう… 1587年の九州平定で功をあげた事を契機に肥後国(熊本県)一国を与えられましたw そこで太閤検地を行おうとするが反対の国人一揆が起こり失政の責めを受け 摂津国尼崎法園寺にて切腹させられたんです…享年53歳…(T_T) 武人としての誠実さに殉じた男の生涯を描く書き下ろし歴史小説です…悲運の武将です…
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