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東京の幽霊坂を訪ねて、足掛け1年半。 ようやく最後の幽霊坂にたどり着きました。 ・・・とはいっても、ここが一番簡単に行ける幽霊坂です。 メトロのこの駅は何度となく乗り降りしてて、いつでも行けるし・・と思い最後になってしまっただけだったりして。 そこは、乃木坂。 「東京の坂道」という書籍によると、 「なだれ坂、行合坂、膝折坂、幽霊坂などの別名がある。赤坂八丁目と9丁目の境を北東に乃木神社前へ下る坂で・・・・」とかかれています。 近くにミッドタウンもあって、この道のどこが幽霊坂? 昔は淋しい坂道だったんでしょうけど、今や、まったくイメージできません。 乃木坂といえば陸軍の乃木大将。 明治天皇の御大喪の日に日の夜、夫妻ともに殉死。 乃木神社は旧邸の下に大正12年に建立されて大将夫妻を祭っているそうです。 過去の東京の幽霊坂の記事はこちらからどうぞ!→http://blogs.yahoo.co.jp/mearjo/folder/1491792.html
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東京の幽霊坂
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去年の夏前にシリーズ化(笑)していた「幽霊坂めぐり」ですが、昨年はあと2箇所というところで頓挫してしまってました。 あと2箇所というのが、今回の宝竜寺坂と、ミッドタウンで今をときめく乃木坂です。 前者の宝竜寺坂は、実は去年の7月末ごろ訪問はしたんですが、記事にしないまま放置していましたが、 今日、用事を済ませた帰り、神楽坂からこの近辺を歩いたついでに再度訪問してきました。 最新の宝竜寺坂をお伝えします(・・って、だれも期待してねぇよ(笑)) 周辺の風景は去年と全然変わってません。頼りない記憶でしたがすぐ見つけられました。 場所は新宿区弁天町、都営大江戸線の牛込柳町駅から外苑東通りを早稲田方向にあるいてすぐのところです。 坂も全然変わってません。 坂の下には道標があって、坂の由縁がかかれてます。 「昔、この辺りは七軒寺町という寺町で、この坂の上に宝竜寺という寺があったためこう呼ばれた。 また、明治頃、寺の樹木が繁り、淋しい坂であり、幽霊が出るといわれたため、幽霊坂とも呼ばれた。」 坂の上にあったという宝竜寺は今はもうありません。 淋しげな坂は立派な階段になっていて、樹木の替わりに両側にマンション、そのうえ、人通りもかなり多かったです。 神楽坂が近いせいでしょうか、着物を着た人を数人見かけました。 あとは、なぜか登山に行くような格好で坂を上ったり降りたりしてる人も・・・トレーニングですかね??? 写真でもわかるように、「明治時代の幽霊が出そうな坂」といった趣は全く偲べません(笑) このあたりは確かにお寺が多いですから、現代では裏通りのほうが不気味かもしれません。 |
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いろいろとブログを見ると、先日訪れた日本女子大横の幽霊坂のすぐ近くに もう1つ幽霊坂と呼ばれている坂があるとのことで、訪ねてみました。 目白通りから神田川方向におりる消防署分室?と和敬塾の間の坂です。 ここも、道路に苔が生えてます(笑) 苔が生えてるってことは「じめじめ」してて「人通りが少ない」ということで妙にそれっぽい雰囲気をかもし出してます。 左側は学生寮で、グラウンドからの声も聞こえてくるのでまったく怖い感じはしません。 しかし、もし左の建物が廃墟と化していたら・・とか思うとちょっと薄ら寒いですね。 途中で自転車にのった女性とすれ違いました。 こんな道(失礼)でも人が普通に通ってるんでちょっと和んだり(笑) 坂の下からみると。 進入禁止の看板の壊れ具合。雰囲気でてますね。 さらに車止めとうっそうとした両側の木々。 こりゃ、夜は通れません。 気温と湿度が高かったせいか、熱中症で?頭がちょっと痛くなりました。
水分補給が足らなかったようです。 |
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今日訪ねた「幽霊坂」は、田端駅からすぐのところにあります。 坂の上には真新しい大きなマンションがあって、 マンションの横の道を進むと急な坂になっています。 坂の上から見てみましょう。 坂の上からみて右手にはお寺「与楽寺」があります。 右手はうっそうと木々が茂る大きなお屋敷です。 ・・・うらさびしい感じがしますね。 坂の下から見てみます。 左手のお寺の敷地内に幼稚園があるようなんですが、今日は休日なので子供の声もなく静まり返っていました。 さすがに、ここは夜はちょっと勘弁してほしいかな。 今日は湿度と温度も高くて汗をかきかき、
いまにも雨が降り出しそうなお天気だったこともあって、 気分も晴れないまま、幽霊坂をあとにしました。 |
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御茶ノ水駅方向から坂の上にあるニコライ堂の脇を通ります。 絵を描いてる方が数人いらっしゃいました。 絵になる建物ですね。 ニコライ堂下から幽霊坂に入ります。 角のところに道標が立っていて「幽霊坂」と書かれています。 バックの白い建物が日立の本社ですね。 坂を下って見返しすると、 角のところにゴミが散らかっていて、日影なこともあって 多少、荒廃した感じが幽霊坂って感じがしなくもありません。 先週の日曜日に訪ねたんですけど、 坂をおりたところに学習塾があり、そこに行く子供たちで一時は人通りがすごかったです。 子供たち、大変だなぁ〜。 さて、この坂、「東京の坂道」という本を見ると、 紅梅坂が本当の名前だと書かれています。 このあたりをもとは紅梅町と称していたのは坂の名にちなんだものであったが、 さらに古くは光感寺という寺があって光感寺坂とよばれたという。 ほかにも、埃坂(ごみざか)、または幽霊坂と呼ばれてきて、今の土地の人たちには 幽霊坂の名で通っており、維新後の一時期は荒廃した武家屋敷の間を抜けるさびしい 坂道だったのだろう。 この坂上には、江戸時代には幕府の定火消しの火消組屋敷があり、火のみやぐらが そびえていたというが、維新後官収されて空き地となっていたのを、ロシアの宣教師 ニコライ主教が買い取って、ここに明治17年から24年まで7年がかりでニコライ堂 の大伽藍をたてて、そのエキゾチックな威容と打ち鳴らす鐘の詩情は多くの歌に詠まれてきた。 ニコライの大釣鐘の鳴りいでて夕さりくればつねにたずねき 若山牧水
ニコライのドオムに見ゆる小二階の手すりの下の朝がほの花 与謝野晶子 |







