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今日は、父のことを書こうかな。
私の自慢のお父さん。
曲がったことが大嫌いな正義感の塊みたいなお父さん。
小さい頃は抱っこして貰った記憶がありません。
仕事人間でした。
姉は父とうまくいってなかったけど(今でも…)
私は父が大好きで、父に大きな声で叱られた記憶はありません。
家にあまり居ないので、私が起きてる間に父が帰ってきた時は
ずっと横に座っていたのを覚えています。
そのまま寝てしまい、抱っこでベッドまで連れていってもらったりしてました。
それが嬉しいもんだからわざと寝たふりをしたりして…
あんまり家に居ないもんだから
「お父さんってどろぼう?」
って本気で母に尋ねたのは小学1年の時だったかな。
3大新聞社のひとつの新聞記者でした。
本社勤務の時は、
朝刊、夕刊、3交代くらいの勤務で、
朝方に帰ってくる日は、出来たてほやほやの朝刊を持って帰ってきてたな。。
父の名前入りの記事をみつけると嬉しかったもんです。
私が父に遊びに連れて行ってもらったのは、
ポートピア88が開催された時にポートピアへ行ったくらいかな。
これも、内覧会でご招待に私を連れて行ってくれたのであって純粋な遊びじゃなかったな。
出世街道まっしぐら。
お正月はお年始にわさわさ人が集まり、私はお年玉がわんさか集まりにこにこ。
クイーンエリザベスみたいなのの内覧会ご招待やら
ホテルのパーティーやら…
取れないチケットも父に頼めばなんとかなった。
スーツはオーダーメイド。
靴はいつも母が磨いていたからぴかぴか。
車は外車。
娘はそこそこの私立に通い、3歳から習っているピアノはショパンがなんとか弾ける程度。
父と母は大の仲良しで、
家族4人で食事に行く時も腕を組んで前を歩く。
ワインでカンパイ。
絵に描いたような幸せな風景。
どこから歯車が違ったかな。
少し、父と母の仲がおかしくなったのは
父が新聞社の役員で残れなかった時。
畑違いもいいとこの
子会社の不動産会社の役員になった。
その頃から、母は父に反撃しだした。
母にしてみれば、父の女遊びを容認してたのも
ボーナスが全てバーやクラブのツケに消えていくのも
新聞社の役員で残れると思えばこそ?
母は父の何をみてたのかな。
そりゃぁ、仕事がばりばり出来る男性は素敵。
いえ、男性に限らないか。。。
でも、私は旦那さんに求めるものはそこじゃないな。
尊敬できること。
私を大切にしてくれること。
穏やかなこと。
あ〜横道にそれちゃった。。
母は父をとっても尊敬していたし、
子供の私から見てもとても愛していたと思う。
だから今の状態が余計に我慢ならないのかな。
「私の愛した人がこんな情けない人だったなんて」
でもちっとも情けなくないし、みっともなくもない。
父は父で、昔の自分と今の自分の差に愕然としながら
こんなじゃいけない、こんなはずではなかった
そう思いながら日々を過ごしていると思う。
もっといい加減な人間なら、もっと気楽に生きれただろうな。
認知症も、記銘が多少落ちている程度。
いっそ、もっと進めば父も楽になれるのかな。
でも、問題行動が出れば、その時点で母は父をどこかに入れてしまうだろう。。。
変われなかった父が悪いのか
変わってしまった母が悪いのか…
この仕事をしていて。
仲の良い高齢のご夫婦がとても羨ましい。
お互いを労わりあい、思いやり、感謝の気持ちを忘れない。
そんな幸せな夫婦はドラマの中だけ?
いいえ、私のまわりにはたくさんいてはるよ。。。
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