勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり

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ゲーミフィケーションの時代?

ゲーミフィケーションという言葉が流行っている。「ゲーミフィケーションはゲームの考え方やデザイン・メカニクスなどの要素を、ゲーム以外の社会的な活動やサービスに利用するもの。そのテクノロジーの総体あるいはこれを促す運動」を指す言葉。つまり、仕事などにゲーム的な要素を持ち込むことで、その効率化を図ろうとすることを意味している。よく仕事を「ゲームライクで」なんていうことがある。つまり「仕事をやっているというよりも、ゲームをやっているような感覚で」というのがそれだけれど、これを大々的にフィーチャーした提案がゲーミフィケーションだ。

ゲーミフィケーションは今に始まった話ではない

で、ちょっとこれを勉強してやろうと、サイトをチェックしてみたり文献をあさってみたりした。ところが……「なんだかなぁ」という感じなのだ。というのも、議論のほとんどがものすごく矮小化されたレベルで語られているからだ。う〜ん、これじゃ、ダメかな?

ゲーミフィケーションという考え方は、古くからあるはずだ。仕事の中でゲーム的な要素を発見し、これを楽しんでしまうということは、僕らの誰にも経験があることだからだ。ただし、労働とゲームというのは一般的に相容れないという印象が強い。だから「仕事をゲーム感覚でやるなんてのは不謹慎」なんて言われかねない。ところが、ゲーミフィケーションは、この「遊び感覚」(ゲーミフィケーションには他にもさまざまな要素があるけれど、それについては後述)のすばらしさを全面的に展開しようとしている。こういった発想の転換、パラダイムシフトを提唱しているという点で、ゲーミフィケーションという運動?は非常に高く評価できる。

ゲーミフィケーションがゲーム屋さんの道具に成り下がる

ところが、だ。現在、この言葉で語られているのは、ゲーム的要素をインターネットなどの電子メディア上に展開するということばかりなのだ(とりわけケータイやスマホにl)。典型的なのはソーシャルネットワーク上にソーシャルゲームを展開するような考え方だ。

で、こういった発想。僕にはゲーミフィケーションからはいちばん遠いところにある発想のように思える。とどのつまり、こういった議論展開の基本は「新しいビジネス市場の発見、開拓」という言葉に収斂してしまうからだ。つまりゲーム=遊びじゃなくてビジネス=業績原理。電子メディア=インターネットの発展によって、われわれの日常生活が変容しようとしている。とりわけスマートフォンの普及の勢いは凄まじく、だったら、これを利用して一儲けしてやろうじゃないか。その際にゲーム的要素をブチ込んでいくと、ものすごく儲かるから、やろうぜ!という議論なのだ。

はっきりいって、アホとしか思えない。というのも、こういう議論をする連中というのは、要するに人々をゲームの世界に巻き込んで、自分たちはそのゲームとは異なった「金儲け」を企てているわけで。言い換えれば、本人たちは「金儲けのゲーム」には関心があるけれど、そのための「人々の意識や行動を変えるゲーム」、ゲームの持つ本質的な効用にはほとんど関心を寄せていない。つまり、ゲーミフィケーションが金儲けの道具になりさがっている。

このままではゲーミフィケーションはバズワードで終わる?

で、こういった発想をする連中がゲーミフィケーションという言葉を吹聴し続けるとどうなるか?それは「いつか来た道」「いつも来た道」ということになる。つまり、流行って、ある程度これで金を儲ける連中が出現し、やがて飽きられ、儲けたヤツもダメになり、ゲーミフィケーションという言葉も忘れ去られるバズワードとなり、そして誰も語らなくなるという状態になるのだ。

まあ、それは金儲けのゲーム、ビジネス上のゲーミフィケーションだからか勝手にやってもらえばいい(まあ、そこそこ儲かりはするだろう。ただし、ゲーミフィケーションが備える可能性を一部のビジネスに換言したくらいの機能しか社会的貢献はないだろう。こっちの場合は、昔風の”たかがゲーム”という表現の域を出そうもない)。しかし、困ることがひとつある。こんなゲーム屋さんたちが考えているよりもゲーミフィケーションはもっとずっと大きな可能性を秘めているのだけれど、それがゲーム屋さんたちのビジネスゲームによって矮小化されることで、最終的に根こぎにされてしまう可能性があるということだ。というか、このパターンでやっていれば、いずれ必ずそうなる。「そういえば、昔、ゲーミフィケーションとかあったよねえ」ってな具合に。

ゲーミフィケーションを、まず電子メディア抜きで考えてみる

だから、今回はこのゲーミフィケーションをもっと本質的なところから考えてみたいと思う。もちろん電子メディアの発展はゲーミフィケーションを考えるにあたってもはや前提であり、これを抜きに語ることはできない。ただし、ゲーミフィケーションの本質自体は必ずしも電子メディアを用いなくても実現可能なはずだ。だから、今回の特集では、先ずゲーミフィケーションから電子メディアに関する議論、そしてゲーム屋さんを一旦、一切排除し、「電子メディア抜きのゲーミフィケーション」を考察することで、ゲーミフィケーションの本当のところを明らかにし、その後に電子メディア、とりわけソーシャルメディアを用いることの有用性について改めて考察するという段取りを採りたいと思う。(続く)

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