勝手にメディア社会論

メディア論、記号論を武器に、現代社会を社会学者の端くれが、政治経済から風俗まで分析します。テレビ・ラジオ番組、新聞記事の転載あり

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常見陽平は『「意識高い系」という病』(ベスト新書)の中で「意識が高い人(笑)」ということばをあげている。もともと学生主体の就職活動イベントなどの謳い文句が「意識の高い学生たちが集まるイベントです」であったことから、これを揶揄するようなかたちでネットで使われ始めた。つまり、学生の就活にまつわることばなのだが、それが現在では一般にも使われるようになっているという。特徴は、常見によれば1.やたらと学生団体を立ち上げようとする、2.やたらとプロフィールを「盛る」、3.全ては自己アピール、質問が長い、4.ソーシャルメディアで意識の高い発言を連発、5.人脈をやたらと自慢、そして利用する、6.やたらと前のめりの学生生活を送る、7.人を見下す、の七つ。こうした人物が「痛い」ということで、常見は「意識が高い人」「意識が高い学生」の末尾に(笑)をつけて批判している(ただし常見は「意識が高い」こと自体はむしろ推奨している。だから、ここで指摘する「意識高い系」は「なーんちゃってで意識が高い人」ということになる)。

常見のこの本は自らの経歴が語られたり、全く関係のない分野に話が逸れたり、意識高い系(笑)に支持される論者にケチを付けたり、本筋から逸れるインタビューが掲載されていたりと、ややまとまりに欠ける「痛い」「香ばしい」ものとなっているが、「意識高い系」ということばをメジャーにしたという事実は評価されていいだろう。確かに僕の周りにも「意識の高い学生(笑)」は存在する。ただし常見も指摘するように、それは若者全体のごく一部でしかない。ということは現代の若者の一部を象徴してはいるが、若者の典型=代表と考えるのは間違っている。そう、この話は常見がタイトルに「病」ということばを振っているように社会病理的な現象、そして一部の人間に現れた事態と考えるべきなのだ。もうちょっとはっきり表現すれば「いまどきの若者にはこんなヤツらもいる」といったところ。

そこで、今回は、この「意識高い系=意識の高い学生(笑)」についてもう少しツッコンで考えてみよう。

「香ばしく」「痛い」意識高い系(笑)

前述の常見があげた意識高い系の特徴は、集約すれば「自己実現、具体的には一流企業への就職に向けてソーシャルメディアを活用しながらアクティブに活動する学生」ということになる。選民意識が高い、つまり「オレは他のヤツよりイケている」という感覚が強く、そのイケているという認識を確実なものとするために一流企業へ就職することを目指すのだが、そのためにはどんな手も使おうとする(とりわけSNS)。ただし、その活動全般が「香ばしく」「痛い」。

なぜか、それはキャリアというものをデジタル的にしか捉えられないからと理解するとわかりやすい。つまり、自らのスキルが他者からも自分からもビジュアルに確認できる活動だけに注力する。常見はこういった行為をセルフ・ブランディングと呼んでいる。つまり、視覚的に差異が了解可能な記号をちりばめることで自らのブランド性を自他に向けて高めようとするわけだ。だが、その行動自体が浅薄で滑稽。にもかかわらず、そのことに気づいていないで、自分はイケていると思いこみ、振り返ることをしない。それが「香ばしく」「痛い」というわけだ。そして常見は、こうやって何とか就活に成功し一流企業に入ったところで、彼らの将来は暗いとまで推測している。

僕もこの推測に賛成だ。というのも、そもそもこういった「意識高い系(笑)」には、根本的に二つの大きな「低いところ」が存在し、それが就職後、じわじわとボディ・ブローとして効いてくる可能性が考えられるからだ。

社会性が涵養されない

一つは「社会性」。とにかく自己実現=就職に躍起になっている。そのためにマニュアル=デジタル的に就職に都合のよい様々なアクティビティーに手を伸ばしていくのだけれど、いかんせんこれは「企業の名前=仕事に付着している一流という記号」にのみ関心がある。そしてそれをゲットする=一流企業に就職することだけが目標。ということは、仕事の本筋である、就職してから何をするのかということについては一切考えていないのだ。

意識高い系(笑)?(泣)?のダイバー

ちょっと話は逸れるが、以前、タイでダイビングをやったとき、こういった「意識高い系(笑)」に遭遇したことがある。ダイビングを趣味にされている方はご存知だろうが、ダイビングにあたっては必ずバディ・システムが設定されている。安全を考えダイビングを楽しみたい人はインストラクターとともに海に入っていくという制度。で、この時、僕はダイビングにあたってインストラクターと、僕ともう一人のダイブ客という組み合わせとなった。

で、この客の男が「痛い」存在だったのだ。こちらから訊ねもしないのに出身大学名を学部までフルで語り(W大学政治経済学部政治学科)、ダイビングの際にはもっぱらダイブメーターに目をやり、タンク内の窒素量の減少をチェックし、水深とのバランス(深くなったり、運動量が激しくなったりするほど窒素の消費量が多くなる)を計算し、ダイブ終了後には、やはり訊ねもしないのにこれまでのダイブの経過と窒素の消費量を報告してきた(当然、僕よりは使わなかったことを告げるためにこれをやっている)。

「あ〜、ウザい!、痛い!」

「あのね、あんた何のためにダイビングやってるの?鯛やヒラメの舞い踊りを見てハッピーになるためなんじゃないの?」

ま、考え方は人それぞれだろうけれど、少なくともこの学生が海ではなくダイブ・メーターの方をもっぱら気にかけていたことだけは確か。そして、僕の方を見ていたことは確か。もちろん上から目線で見る対象として。なんのことはない、海(という社会?)も、他人の空気を読むということもまったく眼中にない社会性のないヤツだったのだ。

当然こんなヤツは会社に入ったら、さぞかし迷惑だろう。やたらと前のめりだから、仕事のある側面については自分は人より仕事ができると思っている。ただし、空気が全く読めていないので大迷惑の勘違い。全然関係のないこと、周りからしたらやってもらっては困るようなことをものすごいスピードでやるなんてことになるだろう。そう、意識高い系(笑)は、デジタル化しビジュアル化可能なものにしか目が行かないので、必然的に空気が読めないのだ。

スキル=経験として培われた技術がない

もう一つの低いところは、一つ目とやや重複するが無意識がものすごく鈍い、というか弱いところだ。前述したように、とにかくデジタル的。視覚化されるものにしか目が行かない。だから勉強会の開催とか、資格取得だとか、やたらと質問してアピールするだとか、プロフィールを誇張するとか、これらをSNSを使って拡散するとかということに心血を注ぐ。

だが、これは要するにパフォーマンス。言い換えれば「付け焼き刃」。もちろん、就活に付け焼き刃は必要(ちゃんと挨拶できたり、言葉遣いがおかしくなかったりするように練習しておくのはあたりまえだからだ)。ただし、それは「真剣」がそれなりに切れて初めて利用可能と言うことでもある。で、こういった本当の実力は、意識高い系の人間のやり方ではなかなか獲得が難しいというのが正直なところだ。本当の実力というのはマニュアルで学べるものではない。経験の中で総合的に身につけるもの。そして、それこそがスキルなのだけれど、意識高い系(笑)の場合、スキルとはほとんど「スタンプ・ラリー」感覚。だから飲み屋の短冊みたいに付け焼き刃がずらっと並ぶことになるのだけれど、収集することが目的でそれぞれについての深みがないので、全部280円均一の酒の肴みたいな中身のないスカスカのものになる。いわば「付け焼き刃のオンパレード」。だから、就職した後、記載されているキャリアはほとんど役に立たない可能性が高い(ただし、この付け焼き刃だけで見事に一流企業をゲットしてしまう意識高い系(笑)も存在する。この場合、企業としては目利きが悪かったということになる。ババを引かされたのだ)。つまり意識高い系(笑)は、無意識に蓄積されたスキルがものすごく弱い「無意識低い系(泣)」なのだ。

意識高い系(笑)の存在論的不安

デジタル的で、自らの存在をセルフ・ブランディングして、その能力を外部から可視化するような行為を行う意識高い系(笑)。実は、その背後には存在論的不安、つまり、根本的な自信のなさがあるように僕には思える。多様化、細分化した社会の原子的な生活の中で育ったことによって、とにかく社会がみえない。また、自らを承認してくれる社会的背景もない。これでは孤立無援だし、自分が何者なのかもわからない。そんなとき就職という「社会的評価が下されるイベント」は、いわば「自分さがし」の、「自己実現」の、そして「社会的承認獲得」の格好の機会とみえるのではないか?しかも、それがビジュアルなかたちで獲得できると彼らは考える(実際にはそうではないのだけれど)。だから意識高い系(笑)になってしまう。

20年ほど前、日本では海外バックパッキングが若者たちの間で流行した。自分でカスタマイズこの旅のスタイルはパックツアーの押しつけがましさがなく自由に満ちているように見えた。しかし、その実、バックパッカーたちの旅のスタイルの多くはそうではなかった。他のバックパッカーとほぼ同じルートを辿り、バックパッカー御用達の安宿に宿泊する「もう一つのパックツアー」だったのだ。ただひとつパックツアーと違っていたのは、たくさんの国を訪れることができたこと、そしてパックツアーには含まれないような国を訪れることだった。しかし、これも実は意識高い系(笑)の若者たちがそのほとんどだった。つまり人がなかなか行かない国々を訪れることで差異化を行い、バックパッキングをするということで差異化を行い、なるべく多くの国を訪れることで差異化を行い、さらになるべくアブなさそうな国に行くことで差異化する。そう、バックパッカーの多くが、こういったバックパッキングを使ったセルフ・ブランディングを行っていたのだ(まあ、実際、当時はこういったバックパッキング経験=「武勇談」を就職面接で語れば強力な付け焼き刃になったことも確かだったが)。で、こういった差異化を行う80年代の若者(一部)もまた、存在論的不安がこういった活動を促していた。

意識高い系(笑)いの無意識には深くて広い闇(泣)が存在しているのだ。

要するに意識高い系(笑)の若者は実は今に始まった話ではなく、ず〜っと以前から存在した。ただ、それが現在「就活」というジャンルで流行っている。それがたまたま「意識高い系(笑)」ということばで表されるようになった。いいかえれば、意識高い系(笑)が今日的なのは「就職」というきわめて俗的な活動が、こういった差異化消費を行うステージになったことだろう。それはもちろんネット社会(スマホというウェアラブルコンピュータでSNSやネットを利用して就活する)が実現したことなのだけれど。

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中堅以下文系私大をでたら半分以上はフリーターになる時代なのに、学校をでたら都会の企業で日勤の正社員になるべきという親世代の固定概念が今、就活生をおいつめています。就活生はまずそこから自己分析をするべきなのです。厳しい都会での正社員生活が自分に向いているのか?どこにはいってもノルマや残業、ハラスメント(パワハラ、セクハラ)が必ずあります。入社後受け流して40年ちかくやっていけるのか?大丈夫だとおもうなら都会で正社員を目指して就活すればよろしい。正直難しいとおもうなら田舎で大自然あいてのスローライフを探す就活をするべきなのです。地方の第一次産業は若者大歓迎です。 削除

2013/6/7(金) 午前 5:44 [ やまだ ] 返信する

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社会参画や人を助けたいって意識があれば、理系いったり技術身につけたりして、別段就職活動にそんなに熱をいれなくともいいところに就職できるような優れた人材になろうって考えるわな。

超絶営業テクニックを習得したり、度外れに営業に力をいれなくちゃ生きていけないような、そんな三流芸能人になりたいです!って夢を語っている芸人なんてこの世にひとりもいない。

2015/3/25(水) 午前 10:00 [ かつらぎ ] 返信する

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