メジュゴリエ 平和の歌

ドイツから、メジュゴリエのことを中心にお届けします。

証し

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シュテファン2.

『神様と一緒なら決して退屈しない』2


24才の彼は、行く末を真剣に考え始めます。
「退屈な仕事は嫌だなあ」と思いつつも、現実を見つめて就職活動をしなければなりません。色々な会社に履歴書を送りますが、どこからも良い返事はもらえず、彼は焦燥しはじめます。

そんな折り、母親が彼にいっしょに巡礼に行かないかと誘います。


「ボクが? 巡礼? とんでもないって!」


13才の時に母親に連れて行かれた巡礼を思い出して、彼は身震いします。大勢の「スーパーカトリック信者」と共に行く巡礼。バスの中では、いつ終わるのかも分からない ロザリオの祈りに付き合わなければならなかったのです。

あんな巡礼など、ごめん被る。

しかし、彼の母親はことあるごとに彼に巡礼を誘うのでした。
そのうち、 これからどうすればいいのか、まったく先が見えない状態の彼は、
「もしかすると、そんなに悪いアイディアでもないかもな。神様は、ボクにこれから何をすべきか教えてくれるかもしれない 」と思うようになります。


それに、
「正直言うと、毎日マリア様が出現されているということにも、興味があった」のでした。
「ま、大勢の若者がメジュゴリエへ行っているんだから、巡礼団の中には若者もいるはずだしね。」
と、自分を納得させるのでした。

こうして、彼は巡礼を承諾しますが、喜んだのは彼の母親だけではありませんでした。
巡礼者はバスの中で祈ったり歌ったりしますが、「これでギターを弾ける人がいっしょだ」と巡礼団長はほっとしたのでした。

巡礼当日がやってきました。
バスの中には彼が期待した「若者」の姿はなく、彼の次に若い人は、彼の母親でした。
かつては大勢の人々の前で、またテレビを通して何十万人もの人を前にして歌った彼は、25人の「若者でない」巡礼者たちのために、ギターを弾くはめになったのです。
おまけに、ただ歌うのではなくそれは「賛美」だとのことです。

「賛美だって? そんなことやったことないって! ま、とりあえず楽譜を見て弾くしかないか。」
でも、はじめてみると、

「さほどヒドくはない、いや、けっこういける・・。ハレルヤ! ホザンナ! おー、おばちゃんたちみんな、ノッテルねえ。」

こうして、走りに走り続けたバスはやがて目的地メジュゴリエに到着します。


ここからは、シュテファンの書いたものをそのまま訳させていただきます。

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やっと着いた。メジュゴリエだ。ここでは聖母が毎日出現されているのだそうだ。なんか、楽しみだ。
聖ジェームス教会を眺めつつ、バスは教会裏のバス専用の駐車場に向かった。
バスから降りると、ちょうど7時20分前だった。教会からスピーカーを通して声がした。「シレンチオ! サイレンス!」(沈黙!)。
そして、あたりは静けさに満たされた。
(註;シュテファンがバスから降りたとき、ちょうど毎日のご出現の時間でした。)

この瞬間、いったい何が起こったのか、今でもボクは説明できない。
突然、涙が溢れてきて、ボクは大泣きしてしまったのだ。
手で顔を隠して、ボクはバスから離れた。泣いている顔なんて、人に見られてたまるか!

だけど、いったい何が起きたんだろう? 
涙は止めどなく流れ続ける。努力しても止めることができない。
いつくしみ深い父親の腕に抱かれつつ、心の中は大きな喜びに満たされ、同時に痛悔の念にも満たされているような感じだ。まるで、自分が「放蕩息子」になったような気分だ。家に戻って来たような気分だ!

突然、神が、ありのままのボクを愛していらっしゃることがはっきりと分かった。
この地は、ボクの質問の答えが見つかる所、探しているものが見つかる場所だと感じた。

ボクは、清められる必要を感じて告解をした。
赦しの秘跡をいただいた瞬間、新しい人間に生まれ変わったように感じた。
できることなら、ボクは世界中を抱きしめたかった。
ちょうど母がそばにいたので、世界中の代わりにボクは母を抱きしめた。
母がボクをここに連れて来てくれたことを、どんなに感謝してもしたりなかった。

ボクは、ボクの人生を聖母の御手に置く事にした。
「あなたがボクを必要とされるところにボクの場所を見つけてください。あなたのためにボクが働ける場所をどうぞ示してください」と祈った。


このメジュゴリエ巡礼は、ボクの人生のターニングポイントとなった。
巡礼から帰ってすぐに、就職先が決まり、そこで、思いがけなく、メジュゴリエを知っている若者たちと知り合いになった。


=======================




この後、彼はこの職場を去る事になりますが、次の就職口は「ラジオ・ホレブ」に決まり、2005年から彼はここでマリア様のために働いています。

「ラジオ・ホレブ」は「ラジオ・マリア」系列のドイツの放送局です。
ラジオ・ホレブでは、朝から夜中まで、講話、ミサ、祈り、賛美、電話相談などでプログラムが組まれており、特に、病人やお年寄りでごミサに与れない人たちや、霊的指導者がいなくて相談できない人たちに多いに貢献しています。

まさに、彼はマリア様のために働く場所を見つけたようです。



「主のぶどう畑で働けることが嬉しくてたまりません。主はボクたちから何も多くのことを要求されません。ただ、いつもその状況に『はい』と言うことをお望みになるのです。」


そして、シュテファンは言います。

「神様と一緒なら、決して退屈はしない!」


(この意見に、私は同意します。ホントに退屈しません。ヨゼフィーネ)



また、元の記事の後記によりますと、シュテファンは、シスターマルガリタの黙想会で知り合った女性と昨年の9月13日に結婚式を挙げたということです。


メジュゴリエ–ドイチュランドのシュテファンの記事はこちらです。
http://www.medjugorje.de/medjugorje/zeugnisse/neubacher-2008.html
彼の写真を見ることができます。一番下の写真は当時のフィアンセ(今の奥様)と。

シュテファンの場合


今年の夏も、メジュゴリエでユースフェスティバルが開催されます。
(2009年8月1日〜6日)

今年のテーマは、
「わたしがあなた方を愛したように互いに愛し合いなさい」
です。

さて、去年のユースフェスティバルでのシュテファンの証しをここで紹介させていただきたいと思います。

彼の大変正直な告白を、私は自分の息子のことを思いながら微笑ましく読ませていただきました。
彼の報告は大変詳細で長いので、勝手ながら短くまとめさせていただきました。
それでも長いので、二回に分けることにします。     ヨゼフィーネ
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証し:「神様と一緒なら決して退屈しない」
     
シュテファン・ノイバッハー



シュテファンは父親がプレテスタント、母親がカトリックという家に育ちました。
父親は特に信仰に熱心ではなかったため、シュテファンの宗教教育は母親に任され,彼はカトリックの洗礼を受けました。

「他の人と同じように普通に初聖体を受け、普通に侍者をしていた」
と彼は語ります。

16才の頃から、土曜日の夜遊びに忙しくなったので--翌朝、ごミサに間に合うように起きるのが大変--という生活を送るようになりました。

アビトウア(卒業試験;ドイツではアビトウアをとらなければ大学へ進学できない)が近くなった頃、彼の「祈りの生活」が戻りました。
どうぞ試験にパスしますようにと、「主祷文」を祈りを始めまたのです。

「そのおかげかどうか知らないけど・・」
彼は、アビトウアをとることができました。

無事に高校を卒業した彼は、民間奉仕
(男子は高校卒業後、一年間軍隊に入るか、民間で奉仕の仕事をします)を終え、大学に進みました。

大学卒業後の自分の就く仕事について考えはじめる時期がやって来ました。仲間たちの話す職業に彼は少しも魅力を感じません。彼は、安定した、つまり退屈なものではなく、「何か特別な」職に就きたいと願っていました。

ある日も、そういうことを考えながら、彼は車で実家に向かっていました。ふと見ると、ほとんど使っていないロザリオが目に入りました。

その頃、彼はロザリオの祈りに慣れ親しんでいたわけではありませんでしたが、将来のことが何も見えずにいたので、
「正しい道を教えてください」とそのロザリオを手にとって祈りました。

この日から、彼は、 実家と大学のある町を往復する際、つまり月曜日の朝とと金曜日の夜に(誰も同乗者がいない場合のみ)ロザリオを祈るようになったのです。

「でも、信号で停まる時は、口を動かさないように気をつけた。だって、誰かが見たら、変なヤツだって思うだろう?」

ちょうど彼がロザリオを定期的に祈りはじめた2002年の夏、RTL局でキャステングショー、「ドイツはスーパースターを探している」(日本の「スター誕生」のような番組)が始まりました。

シュテファンはその番組を
「 名もない人にこんなチャンスが与えられているなんて、すごい、」と 最初から最期まで見ます。(番組は何週にも渡って続きます。大勢の中から毎週幾人かが振り落とされて行き、最期に残った数名が歌を競い、視聴者が電話で自分が気に入った人に投票し、最期に残った一人がデヴューできるというもの)

この年の優勝者が歌うのを見ながら彼は考えました。
「もしかすると、音楽で身をたてられるかもしれない。退屈な仕事ではないだろう。キリスト者のスーパースターっていうのもいいじゃないか。この次の優勝者としてあそこにいるのはボクかもしれない。」

こうして、彼は翌年、2万人の申込者のひとりとして、このスーパースター競争に彼も参加することになります。

何ヶ月もかけてのこの競争の様子は毎回テレビで放映され、しだいに候補者は振り落とされて行き ました。

ついに、最期の6名の中に彼は残りました。
大きな舞台で大勢の人の前で歌うのです。またその様子をドイツ中が注目しています。
審査員が視聴者なので、それぞれのひいきの歌い手にもっと親しみを持たせるための演出でしょうか、
一人ひとりが歌う前に、その人を取材した短いプロフィール映像が流されます。

シュテファンの番が来ました。
彼は歌う前に、会場の皆といっしょに自分のプロフィール映像を大スクリーンで見ますが、彼は大きなショックを受けてしまいます。
一時間以上ものインタヴューを受けて、スポーツのこと、女性のこと、他の趣味の事を多く語ったのにも関わらず、画面の中の彼の口からでるのは、「神、神、神」ばかりでした。

「ボクは神様を信じています」「神はいるのです」「もし、ボクが最終審査に残るなら、これは神様のご意志です。」

「イエズス、なんてこと!ドイツ中の人の家庭にこんなことが放送されるなんて!」
動揺した彼は、リハーサルの時とは雲泥の差の出来で歌ってしまいます。
結果は、落選。
最終審査に残る事はできませんでした。

彼は大変がっかりし、すっかりうちひしがれ、もう将来に何の希望も見いだせないような気持ちになってしまいます。
しかし、
「そうだ、敗者復活戦がある」と、彼はまた元気を取り戻します。

ところで、彼は、自分がキリスト者だということを皆が知ってしまったことが、恥ずかしくてたまりませんでした。

「イエズスはこのとき、イエズスのために証しをするとはどういうことなのかを垣間見せてくださった」
と、後に彼は語ります。
「それを知った他の人たちの態度にもボクは辛い思いをしました。自分で考えていたほど、イエズスのために証しをすることは簡単ではないと気づいたのです。」


この様な事を考えながら彼は帰途をたどります。
「イエズスを証しすることも、スーパースターになることもできなかった。」そして、彼はイエズスに言います。

「イエズス、もし、あなたが二度目のチャンスをくださるなら、がんばります。イエズス、どうかもう一度チャンスをください!」


イエズスは彼のこの願いを聞き入れてくださったようで、彼は敗者復活戦に臨むことができました。
彼は全力をつくします。
が、ここでも敗戦。


「スーパースターの夢は終わりだ!」

「また日常の生活に戻るなんて、とても我慢できやしない!」

(ここに至るまで、彼は専属の歌指導者について合宿訓練を続けてきました。その生活はまるですでにスターのそれのようで、毎日刺激に満ちあふれていました。)


「おい、上にいるお方! あんたのせいだ! どういうことか説明してくれないか! これがボクの道じゃないなら、最初に落としてくれって頼んだじゃないか! ところが、どうだ。こんなところまで、ドアが開いているところまでまでボクを連れて来て、鼻の先でピシャリと閉めるなんて! ボクの夢が叶って、ボクが幸せになるのを、あんたは望んでいないみたいだ! たいした神様だっ!」



つづく

ライナー神父の場合


ライナー神父のことがメジュゴリエ_ドイチュランドで紹介されています。
彼は盲目の司祭です。

http://www.medjugorje.de/medjugorje/news/show/kaplan-rainer-herteis.html



私の名はライナー ヘルテイスといいます。
1975年5月27日にバイエルン地方のノイマルクトで生まれました。

両親と妹と私の四人家族の我が家では、主日のミサに与ること、食前に皆で祈ることは当たり前のことでした。
私は、この両親に育てられたことを神に感謝しています。

私は幼稚園時代に、治療方法のない目の病気にかかっていることを告げられていました。
もし、このことがなければ、私も今の若者の多くが経験しているように、
いつの間にか信仰や教会に対する興味を失ってしまったことでしょう。

幼い頃はまだよく物を見る事ができました。
しかし、成長するに従い、しだいに視力は弱くなって来ました。
医者はすっかりと諦めてしまいましたので、私は信仰に助けを求め、そして見つけたのです。

ある女性が私のことを聞き知り、私のために祈ってくれるようになりました。

天に対する彼女の素直な姿勢は、少年時代の私の信仰に大きく影響しました。
私は、神が私の祈りを聞き入れてくださるということを体験しました。

彼女は守護の天使についてもたくさん話してくれました。
守護の天使は、いつも私の側にいて、問題が起こったときに助けてくれるというのです。

ある時、この女性は、私の家族にメジュゴリエへ行くようにと勧めました。
こうして、私たちは1991年、初めてメジュゴリエへ行くことになりました。
この巡礼を通して、私は、「イエズスは生きておられる!」ということを体験しました。

外側だけ見るなら、この巡礼は、まるで実りのないもののようでした。
しかし、聖母は私の心に、後に大きく育つはずの小さな種を置いてくださったのです。

この種が芽を出して私の中で感じられるほどに育つまで、1995年8月までかかりました。

あの女性は、今では私の「信仰のための母」となっていました。
その年は暑い夏でした。
その中、彼女は、私が(今はなき)エミリアン タルディ神父に会うために、私の家族の南フランスに行きを手配をしました。

タルディ神父は特別な癒しの賜物を持たれている方です。
私はもちろん、もう一度物がよく見えるようになることを期待しました。

しかし、イエズスには他の計画がおありでした。
私が心の目でイエズスを見、イエズスが生きておられることを心で識るようになることを望まれたのです。

私は、自分の周りで、足のなえた人が歩き、目の見えない人が見えるようになり、聞こえない人がまた聞こえるようになる様を体験しました。

イエズスは生きておられる!
もう、疑う余地はありません!

タルディ神父とのこの出会いは、同時にカトリックのカリスマ刷新運動に参加する信者たちとの最初の出会いでもありました。

おもしろいことに、この後すぐに、私の故郷でこの人たち(カリスマ刷新の人たち)がセミナー(黙想会)を開いたのです。
私はそれに参加し、その結果、私の人生をイエズスにプレゼントし、私の中での新たな聖霊の働きを願い、聖霊の賜物をご自由に置いてくださるようにと願いました。

こうして、私のすべてをイエズスに捧げ尽くした1996年以来、私の人生はすっかりと変わってしまいました。
それ以来、私の心には本物の喜びがあり、聖書が生きたものとなったのです。

まだかろうじて残っていた視力で、アビテュア
(>「ュ」よりも「小さいウ」の方が発音に近いのですが、私のPCでは「小さいウ」が打てないのです。ヨゼフィーネ)
(大学受験資格試験)に通り、ピアノの教師としての教育実習も大変良い成績で終了することができました。

このころ、たくさんの決定的なことが起こりました。
1997年の聖霊降臨に、ゴスパ(聖母)はもう一度カリスマ刷新の人々と一緒にメジュゴリエへと私を招いてくださいました。

私はそこで、カトリック教会の御国を尊重し、愛することを学びました。そして、私にはただひとつの願いしかなくなってしまいました。
それは、司祭になること・・・。

私はアイシュテッテ(町の名)のミクサー司教を打診しました。
司教様は、まもなく盲目になる青年を神学校に受け入れることに、少しも反対ではありませんでした。

教会と司祭職に対する愛がますます大きく育ったメジュゴリエ、もし、メジュゴリエに毎年行っていなければ、大学で哲学のどの道に進めば良いか分からなかったでしょう。

ついに、2005年のちょうど6月25日、つまりご出現の記念日に、アイシュテッテで私は助祭に叙階されました。

そして、ゴスパの力強い御助けに感謝しつつ、司祭に叙階される日5月6日が数週間後に迫っているのです。

アヴェ マリア!

「わたしがここにおります。
わたしを遣わしてください」(イザヤ6章8節)

          ライナー ヘルテイス 2006年3月

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