メジュゴリエ 平和の歌

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幻視者

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ミリアナ


幻視者について

ミリアナ ドラグチェヴィッチ–ソルド
Mirjana Dragicevic-Soldo



http://www.medjugorje.de/medjugorje/seher/mirjana-dragicevic-soldo.html
メジュゴリエドイチュランドのHP、ミリアナのページです。
(上のHPの記事は邦訳し公開してよしとの許可をいただいています。)



ミリアナは1965年3月18日に生まれで、弟が一人います。
最初のご出現の時、彼女は16才でした。

彼女はサラエボの大学に通い、1989年9月16日の結婚式を挙げるまで、サラエボに住んでいました。

夫、マルコ ソルドは、スラヴコ バルバリッチ神父の甥です。
彼ら夫婦には三人の子供がいます。

1982年のクリスマス、ミリアナへの毎日のご出現は終了しました。
彼女も最期のご出現のときに、聖母から、人類に対する10番目の秘密を打ち明けられました。
彼女の年に一度のご出現の日は3月18日(ミリアナの誕生日)です。

1987年8月2日以来、毎月2日に、聖母の御声を聞くようになり
(時々は、聖母のお姿を見る事もあります)、
聖母と共にミリアナは、まだ神の愛を体験していない人々のために祈ります。


《平和の元后のミリアナへの毎日のご出現の最終日》
 1982年 クリスマス

「私への毎日の出現の最期の日は1982年12月25日でした。
最期の日、聖母は45分間、私といてくださいました。
聖母はこの最期の日を一ヶ月かけて準備してくださり、
母親らしく、すべてを教えてくださいました。

聖母は、私が聖母のためにできることは完了した、
私は同年代の女の子たちと同じような普通の生活に戻らなければならない、とおっしゃいました。
普通の女の子のように、私は聖母の母親のような導きなしに生きなければならず、私には必要な聖母との会話なしに生きなければならないのです。
聖母は、いつも私のそばにいてくださる、困難なときには助けてくださると約束されました。
私が神と共に生きるかぎり、聖母はいつもそばにいて助けてくださるのです。
今回が、私たちが今まで毎日続けて来た最期の会話だと言われました。
でも、私にプレゼントをくださるとおっしゃいました。
それは、生きているかぎり、私の誕生日にお会いできるというのです。

この最期の日は、私にとって大変辛いものでした。
私の霊魂が味わったこの苦しみを言葉で現すことはできません。
もう、私は毎日聖母にお会いすることはできないのです。
その気持ちをうまく言い表せませんが、
例えば、人生の中で何か特別に素晴らしいものを手に入れ、
突然それを失ってしまった、と考えてみてください。
そんな感じです。

聖母は私の苦しみをご存知でした。
聖母は私とご一緒に祈られ、神を賛美するために私も聖母と一緒に歌うようにと言われました。
私は、いつも聖母とふたりっきりの時に祈る祈り、
サルベ レジナを祈りました。

私はいつも聖母がおっしゃったこの言葉を思い出します。

『ミリアナ、私はあなたを選び、必要なことはすべて話しました。
私はあなたに嫌悪すべきことに関する知識を与えました。
この知識は威厳をもって担わなければならないものです。
私のことを考えてください。
そのため(嫌悪すべきことのため)に、
どれほど私が涙したかを考えてください。

あなたはいつも勇敢でいなければなりません。
あなたは私のメッセージをすぐに理解しました。
ですから、私が行かなければならないことも理解してください。
勇敢でありなさい!』


他にも聖母はお話しになりましたが、後は個人的な内容です。

ご出現が終わってからの最初の月は私にとって大変に辛いものでした。
聖母はそのことをあらかじめおっしゃっていました。
まるで大きな穴の中に落ちたような感じでした。
私はすべてのことから逃避し、
いつも聖母がいらっしゃるのをお待ちしていた自分の部屋に閉じこもりました。
私は泣いて、聖母を呼びました。
聖母の御助けを感じましたが、自分の誕生日を待ちわびました。

1987年8月2日から、私は毎月2日に聖母の御声を聞くようになり、
時々はお姿も見ることもあります。
私は、この時、聖母と共に、まだ神の信じていない人のために祈ります。」

ミリアナ Mirjana Dragicevic-Soldo

イヴァンカ


幻視者について

イヴァンカ イヴァンコヴィッチ-エレズ
Ivanka Ivankovic-Elez



http://www.medjugorje.de/medjugorje/seher/ivanka-ivankovic-elez.html
↑は、メジュゴリエドイチュランドのHP、イヴァンカのページです。
(このHPの記事は邦訳し公開してよしとの許可をいただいています。)



イヴァンカ イヴァンコヴィッチは1966年6月21日生まれです。
最初のご出現のとき、彼女は15才でした。
イヴァンカの父親はドイツで働いていました。
また、母親はご出現の始まる一か月前に亡くなっていました。
彼女は三人兄弟のひとりで、幻視者のヴィツカのいとこです。

イヴァンカは、1986年12月28日、聖家族の祝日に
ライコ エレズと結婚し、三人の子供を授かりました。

ご出現は、彼女をまったく別人に変えた、とイヴァンカは語ります。
それ以前は、彼女は両親が言うので教会に行っていました。
ご出現後は、よく祈るようになり、神と聖母マリアと繋がっていることを感じ、ごミサ中は神の現存を感じるようになりました。



《平和の元后のイヴァンカへの毎日のご出現最終日》
 1985年5月7日


1985年5月6日にイヴァン、ヤコヴ、イヴァンカの三人にご出現がありました。
イヴァンカへのご出現は8分間(他の二人よりも6分間長く)続きました。
このご出現中に、聖母はイヴァンカに10番目の秘密を打ち明けられ、
世界の未来について説明されました。
聖母は、翌日は彼女ひとりでご出現を待つようにと言われました。

1985年5月7日、イヴァンカは自宅でご出現を受けました。
彼女は次のようにしたためたものを、スラヴコ バルバリッチ神父に渡しました。

「聖母はいつものようにおいでになり、『主イエズス キリストは 賛美されますように!』と挨拶をされましたので、私もいつものようにお応えしました。『イエズスとマリアはとこしえに!』。
今夜のような美しい聖母を、私はこれまで見た事がありませんでした。
なんという優しさ、なんという美しさ!
今夜、聖母は最高に美しい衣をお召しになっていました。
このようなものを、私はかつて見た事がありません。
聖母の衣も、ベールと冠も、銀色と金色に輝いていました。
聖母と同じような装いをした二位の天使が聖母に付き添っていました。
聖母と天使の美しさは、言葉で言い表すことができません。
この美しさを理解するためには、自分の目で見るしかありません。

聖母は、私に何か望みがあるかどうかを尋ねられましたので、
私は、母に会いたい、と申し上げました。
聖母は微笑まれ、うなずかれました。

すると、私の母が突然そこにいました。
母は微笑んでいました。
聖母が立つように言われましたので、私は立ち上がりました。
すると、母が私を抱きしめてくれました。
母は私にキスをして言いました。
「私の子よ、あなたは私の自慢ですよ!」
そして、またキスをして、消えてしまいました。

その後、聖母は私にこの様に言われました。

『私の愛する子よ、今日は私たちが会う最期の日です。
どうか、悲しまないで。
私は、今年を除いて、出現記念日には毎年あなたに会いに来ますから。

私の愛する子よ、自分が何か間違いをしたので私が
あなたに会いに来ないのではないかなどと考えないように。
いいえ、そうではありませんよ。
私の息子と私の計画を、あなたは心から承諾し、行いました。

幸せでいなさい。
私は、あなたの母なのですから。
心の底からあなたを愛している母なのですから。

イヴァンカ、あなたが私の息子の呼びかけに応えてくれたことに感謝します。
あなたは、それを一生懸命行いました。
御子があなたに望む間、いつも御子のそばにい続けてくれたことに感謝します。

あなたの友人たちに伝えなさい。
彼らが私たちを探し、呼ぶ時、私たちはいつも彼らのそばにいますと。

私がこれまであなたに伝えた秘密を、私が言うまでは、
あなたはまだ誰にも明かしてはなりません。

イヴァンカ、あなたとあなたの兄がいただいた恵は、
これまで、地上の誰も受けたことがないのですよ!』

この後、私は聖母に、キスをしてもいいかどうかとお聞きしました。
聖母はうなずかれましたので、私はキスをさせていただきました。
私は祝福を願い、聖母はそれをくださり、微笑んで
『神の平和のうちに行きなさい』と言われました。

聖母と二位の天使はゆっくりと消えていかれました。
聖母は喜びに満ちていらっしゃいました。
聖母は、一時間、私のそばにいてくださいました。」
Ivanka Ivankovic-Elez イヴァンカ イヴァンコヴィッチ–エレズ

ヤコヴ


幻視者について

ヤコヴ コロ
Jakov Colo


http://www.medjugorje.de/medjugorje/seher/jakov-colo.html
(上はメジュゴリエ–ドイチュランドのHP、ヤコヴのページ。)
メジュゴリエ-ドイチュランドのHPの記事は邦訳し公開してよしとの許可をいただいています。)



ヤコヴ コロは1971年3月6日に生まれました。
最初のご出現の時、彼は幻視者の中で最年少の10才でした。
ヤコヴは幻視者マリヤのいとこです。

ヤコヴの母親は1983年の9月に亡くなり、父親は1986年4月にサラエボで働いていた頃に亡くなりました。
両親を失った後、ヤコヴは母方のおじの家に引き取られました。
彼は村の技術関係の学校を良い成績で卒業しています。

1993年4月11日、ヤコヴはイタリア人のアナリザとメジュゴリエで結婚し、現在もメジュゴリエに住んでいます。彼らには、三人の子供(アリヤナ マリヤ、ダヴィッド エマヌエル、ミリアム)がいます。

「青少年たちに対してどのような助言を与えてくれますか?」という質問に対して、ヤコヴはこのように答えています。

「彼らが集中して祈るのは、素晴らしいことだと思います。
これは、一番大切なことです。その後、信仰について教えてくれるコースを訪ね、両親や宗教の先生に従順でいましょう。また、若者たちもしょっちゅう聖なるミサに参加すべきです。」

彼は、以前にも増して祈るようになったと言います。
私たちは聖なるミサ中に生ける神に出会うのです。
彼は、毎日与るごミサの中で、祭壇の上に現存される神を生きるように努力している、と語ります。

聖母はヤコヴに対して、特に巡礼者と病人のために祈るようにと願われました。
ヤコヴは教区内で子供たちのための祈りのグループを指導しています。

1998年9月12日、ヤコヴへの聖母の毎日のご出現が終了しました。
それ以来、彼は年に一度、12月25日にのみ、聖母のご出現を受けています。



《平和の元后のヤコヴへの毎日のご出現の最終日:
  1998年9月12日》


当時、アメリカ旅行中だったヤコヴは、マイアミからメジュゴリエに次のような文書を送って来ました。

「9月11日 金曜日、いつものご出現の際に、聖母は私に、翌日のご出現のためによく祈り、準備をするようにと言われました。翌日、10の秘密を打ち明けるとのことでした。
9月12日 土曜日、聖母は11時15分(マイアミの時間)においでになり、
『イエズスは褒め讃えられますように』と、いつもと同じようにご挨拶されました。
10の秘密をお明かしになっているとき、聖母は悲しそうなご様子でした。

とても優しい笑顔で聖母は私に言われました。

「可愛い子よ! 私はあなたの母親です。条件などなしに私はあなたを愛しています。
今日からは、あなたに毎日ではなく、クリスマスにだけ、
我が子のお生まれになった日にだけ現れるようになります。
悲しまないでください。私はいつも母としてあなたと共にいるのですから。
本物の母親がそうであるように、私も決してあなたを一人にはしません。
あなたは、我が子の道を、平和と愛の道を続けて歩んでください。
そして、私があなたに託した道に確固と留まってください。
神と神の愛を体験した男性として、模範となってください。
神が人の中でどのようにお働きになるかを、
神を体験した人を通して神がどうお働きになるかを、
人々があなたの中に見る事ができるように。
私は母なる祝福をあなたに与えます。
そして、ありがとう。私の呼びかけに応えてくれて。』

ご出現は11時45分に終わりました。」


その後、イヴァンはスラヴコ神父と電話で話した際に、彼は長い間泣き、とても悲しかったと伝えました。

マリヤ


幻視者について

Marija Pavlovic-Lunetti
マリヤ パヴロヴィッチ–ルネッティ

http://www.medjugorje.de/medjugorje/seher/marija-pavlovic-lunetti.html
(上はメジュゴリエ–ドイチュランドのHP、マリヤのページ。)
このHPの記事は邦訳し公開してよしとの許可をいただいています。)

マリヤは現在も毎日ご出現を受けています。
ご出現の時間は、ヴィツカ、イヴァン、マリヤ共、毎夕、午後5時40分(夏時間は午後6時40分)です。
(参照のため、毎日のプログラム)
http://blogs.yahoo.co.jp/medjugorje_japan/folder/841407.html


マリヤ バヴロヴィッチは1965年4月1日生まれです。
最初のご出現のとき、彼女は16才でした。当時、マリヤはモスタの美容師養成の学校に通っていました。彼女は幻視者のヤコヴのいとこです。

聖母はマリヤを通して教区と世界にメッセージを送られます。
1985年まで、このメッセージは毎週木曜日に与えられていました。
1987年1月25日以来、月に一度、毎月25日に与えられるようになりました。

マリヤに出会う人は皆、彼女の従順かつ謙虚でありながらも確固としたものをもつ性格、生まれながらの内気な性格からにじみでる霊的な深さを感ぜずにはいられません。

1993年9月8日、マリヤはパオロ ルネッティとイタリアのミラノにて結婚し、ミラノの近郊に引っ越しました。彼らには、4人の子供(ミッシェル、フランチェスコ マリア、マルコ、ジョヴァン二 マリア)がいます。

聖母はある時、幻視者の子供たちに向かってこのように言われました.
「巡礼者に対しては、私があなた方にするようになさい。決して疲れないように。誰に対しても気を落とさないように。」

マリヤは巡礼者に向かうとき、聖母のこの言葉を守ろうと努力しています。
彼女は巡礼者に回心するようにと励まし、祈ること、週に二度(水曜日と金曜日)のパンと水での断食を実行するようにと激励します。
もし、この断食が健康上の理由で実行できないのなら、水曜日と金曜日にはタバコやアルコールを断つこと、あるいは、自分の好きな食べ物やテレビを断つ事を勧めています。

イヴァン


幻視者について

イヴァン ドラギチェヴィッチ
Ivan Dragicevic


http://www.medjugorje.de/medjugorje/seher/ivan-dragicevic.html
メジュゴリエドイチュランドのHP、イワンのページです。
(このHPの記事は邦訳し公開してよしとの許可をいただいています。)

イヴァンは現在も毎日ご出現を受けています。
ご出現の時間は、ヴィツカ、イヴァン、マリア共、毎夕、午後5時40分(夏時間は午後6時40分)です。
(参照のため、毎日のプログラム)
http://blogs.yahoo.co.jp/medjugorje_japan/folder/841407.html


イヴァンは1965年5月25日生まれです。最初のご出現の時、イヴァンは16才でした。
イヴァンの両親は農業を営んでいました。イヴァンは三人兄弟の長男です。
1994年10月23日、アメリカのボストンでラウレンと結婚しました。
ラウレンは二度、ミス・マサチューセッツに選ばれた後、回心し、それ以来自分の自由時間を青年たちの間に聖母のメッセージを普及することにつとめていました。

イヴァンとラウレン夫婦は、メジュゴリエ、ミリアナの家の近所に住んでいます。
1995年10月20日に長女 クリスティネ–マリヤが生まれ、2000年1月15日に次女 ミカエラが生まれました。2001年9月9日には、長男のダニエルが生まれました。

1982年8月、聖母がイヴァンにご出現になり、「あなたの信仰が強められるように、あなたにしるしを与えましょう」と言われたとき、イヴァンは数人の友人たちと一緒に丘の上に留まっていました。
そして、彼は、天から二本の光線が降りて来るのを見ました。一本は教会の上に、もう一本はクリチェヴァツ(十字架の山)のてっぺんにある十字架の上に降りました。
これが起こった時、イヴァンの友人たちも居合わせました。

ご出現の最初のころは、たくさんのしるしが与えられました。聖母は、それらのしるしは、もうしるしを送らなくなる時まで、彼らの信仰を強めるためであると説明されました。

イヴァンは祈りのグループを指導しています。彼は、巡礼者の回心を呼び覚ますという特別な賜物があります。彼は祈りは口先でするのではない、心から祈ることが必要だと語ります。
心で祈るとは、ゆっくりと、そして、祈る言葉に細心の注意をはらいつつ祈るということです。

彼は毎夕のご出現を、ご出現の丘の上で、彼の祈りのグループとともに受けます。聖母は彼に、特に若者たちに対する教示を与えられます。


祈りのグループが成長するための基礎は愛である、と聖母はイヴァンに教えられました。
イヴァンは、祈りのグループの中には、常に愛があるべきであり、従って、祈りは決して単調であってはならない、と語ります。

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