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(三)メジュゴリエに対する教皇様の態度
教皇ヨハネ-パウロ二世
パラグアイの大司教、モンシニョール フェリッペ サンティアゴ ベネテッツ(Felipe Santiago Benetez)は、1994年11月、教皇様に、自分がメジュゴリエの精神に、ことにメジュゴリエの司祭たちに賛同していることを、信者たちに話していよいかどうかという質問をされました。
教皇様は、このように答えられました。
「メジュゴリエでの出来事はなんでも賛同してください。」
教皇ヨハネ-パウロ二世と、クラカウの名声の高い新聞記者マレク スクヴァルニキ氏および彼の妻ソフィア(Zofia)との間に、個人的書簡がやり取りされていました。その書簡の中で、教皇様は、メジュゴリエの現象について大変肯定的ご意見を述べられています。
スクヴァルニキ夫妻は、教皇様とのやり取りから四通を「Spirit Daily」に渡し、手紙は公にされました。
これらは、メジュゴリエに対する前教皇様のお考えが残されたはじめての文書です。
手紙にはそれぞれ、1991年3月30日、1992年5月28日、1992年12月8日、1994年2月25日の日付があり、どの手紙にも手書きでヨハネ−パウロ二世(Johannes Paul ?鵺)というサインがあります。
1992年5月28日の手紙に前教皇様はこのように書かれています。
「ソフィア、わたしはメジュゴリエに起こることはなんでも感謝しています。
あそこで祈り、あそこによって祈りに招かれた人々、一人一人と、私は結ばれています。
私たちは、こんにち、あそこの呼びかけの意味をよりよく理解できます。」
また、1994年2月25日の手紙では、教皇ヨハネ-パウロ二世は、前ユーゴスラビアにおける戦争に関して言及されました。
「今、私たちはメジュゴリエをさらによく理解できます。この危機の規模を目前にして、今、私たちは、あの母としての根気強さの意味をよりよく理解できます。」
マレク スクヴァルニキ氏は、クラカウのカトリック週刊誌「Tygodnik Powszeehny」と月刊誌「Zank」の発行者です。前教皇様との出会いは、カロル ヴォイティラ(Karol Wojtyla)神父だった1958年のことです。スクヴァルニキ氏は、教皇様のご旅行にもそうとう数同行し、「Roemisches Tryptichon」を出版しました。
(Informationsbroschuere ueber die Marienerscheinungen より翻訳
Verein Gebetsaktion Medjugorje-Schweiz)
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