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--- 平野啓一郎の文庫が1ドルに紛れ込んでいたので、読んでみた。 2000年から2003年にかけて書かれた「文明」に関わるごく短い随筆が五十編収められている。 短いのでひとつ書き写してみる。 憂国「語」談議 日本語の乱れに対する嘆き節というのは何時の時代にでもあるのでしょうが、現政府官僚が好んで繰り返しているあの「骨太の方針」という言葉などは、恥ずかしいというより、やはり嘆かわしいというべき類の誤用となるのでしょう。「骨太」とは言うまでもなく、骨が太い様、骨格ががっちりしている様という意味で、転じて「骨太な男」というような気骨があるという意味での比喩的な用い方くらいまでは認められるでしょうが、それを「骨子となるべき」だとか、「骨格となるべき基本の」といった意味で使用することは誤りです。或いは、改革の揺るぎない決意を表すために敢えてその言葉を選んだのかもしれませんが、それを考慮してみてもやはり違和感は否めません。私的な会話であるならまだしも、一国の政治の方針を示すものとしてそうした明らかな言葉の誤用が平然と罷り通っているというのは、この国の文化水準そのものをうたがわしめる何ともやるせない事態ではないでしょうか。 誤用とはまた違いますが、よくテレヴィのアナウンサーなどが口にする「真相は『闇の中』です」という表現も、やはり気になるところです。この場合、特に言葉の用法に間違いがあるというわけではなく、意味も一応通じますが、それをわざわざ言うのであれば『闇の中』ではなく『藪の中』でしょう。複数の証言が錯綜して事件の真相が分かり辛い状況にあることを表すその慣例的言い回しは、元々は映画『羅生門』の原作としても有名な芥川龍之介の同名の小説に由来したものです。「骨太の方針」に比べればまだしも多少は高尚な類の話かもしれませんが、いずれにせよ、そうした不適切な表現に窺われるのは現代人の教養の深刻な欠如です。これは、自戒を込めつつ打ち鳴らす警鐘ですが。 今年度から新しく改訂された小中学校の国語の教科書からは漱石、鷗外の作品が姿を消していますが、大人の多くが自分達のリテラシーの低さに危機感を抱き、慌てて本屋に駆け込んで昨今話題の日本語に関する本などを買い漁っているというような今日に於いて、依然としてそうした内容空疎な教科書を子供に押しつけようとしている文部科学省及び教科書出版社に対し、私は非常に強い憤りを覚えますし、そもそも「ゆとり教育」などどいうものには断固として反対ですが、百歩譲ってそれを認めるにせよ、何を切り捨て、何を残すかについてはもっとまじめに考えてもらいたいものです。 国際化などとはよく言いますが、外国語を話せるようになったところで、話すべき自国の文化については何も知らないというのであれば、どの道、外国に行ってもバカにされるのがオチです。イギリス人がシェイクスピアについて語り、フランス人がゾラやバルザックについて語っている間、日本人はただ額に汗を掻きながら黙っている。それでどうして彼らの尊敬を勝ち得ることが出来るでしょうか? 国語というのは文化の基礎です。私たちは、今こそ改めてそのことを真剣に考えてみなければなりません。 (「京都新聞 (夕刊)」二00二年八月二三日) 正論です。 「で、君いくつ?」と聞きたくなってしまう…にじゅうななさいでしゅ(当時)。 「テレヴィ」って。(これ、突っ込むところ?いえ、「V」は「ヴ」ですから正しいです。) やはり、小説を読んでみないことにはわからない。 正直にいって、この本は面白くなかった。 偏差値の高い人の随筆は、あまり好きになれないのかも知れない。 なんというか、つかみどころがない。 酷く老成したような古臭い文章だけれど、 良く噛み砕いて読むと年下のおとこのこの思考らしいようにも思えてくる。 偏差値の高い文章。 偏差値の高い文章とか、無知を憎むような文章を読むと、 自分の無知に焦りのようなものを感じると同時に、いつも思い出す人がいる。 幼馴染みのIちゃんだ。 Iちゃんは良く日本語を間違って使う。 人一倍勉強熱心で真面目だったけれど、 仲良くしていた友達のなかでは一番偏差値が低かった。 「OL」になって、適齢期に結婚して、子供を二人くらい産む。 子供のときからそういう将来を描いていて、今までその通りに実現してきている。 何にでも一生懸命だし、明るくておしゃべりでとてもかわいい人だ。 でも、無知なのである。 日々自然に流れてくるメディアからの情報に無批判に流される人なのである。 『世界の中心で愛を叫ぶ』に泣き、『あいのり』を毎週欠かさず観る。 どうしたって、彼女の無知を責められない。 彼女の無知を責めるなら、彼女のような人が興味を持って読めて、 理解できるような文章を書いてからいうべきだ。 ---
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イリさんも邪推?するようなことなんてあるんですか?文章拝見してると素直で純粋なひとだな〜と感じますよー。わたしなんか、自分がバカで単純なくせに、Iちゃんみたいな人に対して「俺様」な気分でいる自分に気付いたりして、ゾッとすることありますよ。
イヤだイヤだ^^;
2008/9/6(土) 午後 4:18
めいべる堂さん、中学生くらい(高校か?)まで、本当にそう思ってました。
ネタじゃないですよ(^ω^)
2008/9/6(土) 午後 4:20
それから、しつこいようですけど、私はメディアに対して「素直」でいようとは思いません。根が涙腺がもろいほうですから、せめてニュースぐらいは勘ぐってみたくなるのです。
2008/9/6(土) 午後 4:20 [ 吉田ツグオミa.k.a.伊丹甚左 ]
情にもろい人が、情報をちゃんと批判的にとらえられたら、それはもう最良ではないでしょうか。がんばりましょうね(何を?ていうかわたしががんばれ)
2008/9/6(土) 午後 4:58
いわゆるひとつのオヤジの文化論ってやつですね。
牛男さんの言うように,パロディじゃないかと思うほどのオヤジの文化論です。バリバリの。結びの一文なんか,高校生の小論文並みに陳腐(…なんて言ったら高校生に失礼かもしれません)。平野啓一郎が本気でこんな文章を書いているのだとしたら,世も末ですねぇ。困ったもんだ。
2008/9/6(土) 午後 10:47
「木の実気のまま」って確かに面白いですねぇ。「木の実木のママ」とか「木の実木のナナ」とか「木の実ママ」とか,さらに劣化させてみたくなっちゃいます。
2008/9/6(土) 午後 10:52
この記事は傑作です。この記事そのものを国語の教科書に使って欲しくなるくらい。「どうしたって、彼女の無知を責められない」ってところが一番好きです。
2008/9/7(日) 午前 2:07
日本語の正しい規格というものがあって、それに従ってこそ意思疎通が出来るのだったら、僕らは古代の言葉のままのはずだ。だけどそうはならなかったのは「通じる」からなんだと思う。今日もどこかで誰かが今までに無かった言葉や言い回しをつくっている。多くはそのまま忘れ去られ消えてゆくだろうが、中には強く生き残るものがいて、それが次の世代のスタンダードとなっていく。乱れのある日本語の方が豊かな森みたいでいい感じじゃないかな。
2008/9/7(日) 午前 10:31
NONAJUNさん、そうですねえ。定型的オヤジ的文化論ですよねえ。
ウケ狙ってるのかと思いますよね。
当時27歳ですよぉ?全然かわいくないですね。でもやっぱり、小説家は小説で評価するべきなんでしょうから、小説を読まずに嫌いにならないようにしようと思ってます…努力。
2008/9/7(日) 午後 1:58
「木の実ママ」かわいいです。
2008/9/7(日) 午後 2:06
ごくろう君、ぽちありがとうございますm(--)m
殿方に好きなんて言われたの久しぶりだわ…(*´∀`*)(突っ込むところです)
2008/9/7(日) 午後 2:10
そうですね、言葉ってとても流動的なものですよね。古い日本語が本当に美しいと感じることも多々ありますから、オヤジ的に現代の言葉の乱れを憂うのもわからなくはないです。わたしは古臭い言い回しも好きですし、女子高生の新しい話し方も好きです。どちらもマネしたくなってがんばりますが、結局は自分の世代、自分が受けてきた教育の範囲でしか自由に語れない感じがします。いずれにしても、日本語の間違った使い方にガミガミ言うのは、若い小説家の仕事じゃないと思います。
「木の実気のまま」も次の世代のスタンダードになりますかね?
2008/9/7(日) 午後 2:21
骨太の方針!!確かに意味不明ですよね〜(汗)
政治家はひ弱なのにね〜!!
最近はビジュアル志向で文字は読みませんね〜!!
反省です。。。
2008/9/7(日) 午後 4:48
「骨太の方針」って、やっぱり意味不明なんですかねぇ。
単純な肉まんは何とも思わなかったです…
この説教くさい文章読んで反省なさるなんて、ティアナさんは謙虚でステキですね(^ω^)
見習わねば。
2008/9/8(月) 午前 11:39
kobacyouさんが平野啓一郎に注ぎ目してる理由は、おそらく漢文です。浅田次郎の『蒼穹の昴』も、浅田が読めない漢文を読む努力をしたというやりとりが、私との中で残ってます。
で、この文章はたしかに官僚が書いたような文章ですけど、少し視点をずらして、私たちが生きているのと違う世界の価値観を持っている人の絶望感と読めばそうかもなぁと思える所あります。芥川も漢文から始まっております。はい。
2008/9/8(月) 午後 9:41
漢文の理解というのは簡単ではないですよ。中島敦はおやじが漢学者だったので、かなり深い漢文の素養があります。漱石はもともと二松学者出なので、幕末志士的な漢詩を書きます。戦後では、高橋和己ですか。芥川は英文学です。僕は漢文読めます。少なくとも、平野よりはと、見えはっちゃった、あははです。低人さんには申し訳ないけど、芥川が漢文だというのは、納得できないです。
2008/9/9(火) 午前 2:44
低人さん、そうです、きっかけはkobachouさんだったのでした。平野啓一郎は「特別」という言葉が気になっていて。でも、漢文を知っているということが、どういう意味を持つことなのかすら、わからない肉まんです。「漢文をすらすら読める人=私たちが生きているのと違う世界の価値観を持っている人」という意味なのでしょうか…?亡くなった祖母が中国の歴史や漢文が大好きで、90歳過ぎてもいつも漢文を読んでいました。祖母はガッコの先生でした。こんなにわたし漢文苦手なのに、なんで祖母に教わらなかったんだろう…って今更思ったりします。
2008/9/9(火) 午後 0:11
牛男さん、いまだに漢文恐怖の肉まんです。牛男さんも漢文読めるんですかーーー??別の世界の人ですかぁぁそんなに漢文ってすごいものなのですかぁぁ
実際、正しく美しい日本語の理解と使用において、漢文の理解は重要な要素なのでしょうか?だとしたら、わたしなんか日本語において完全な劣等生ですね。
2008/9/9(火) 午後 0:51
肉まんさん、猫男ちゃう牛男さん。^ω^
芥川は漢語で原稿を書き、日本語に直すということをやっていたと読んだことありますが、出先を思い出せんのですまんです。
芥川の「杜子春」は唐の小説「杜子春伝」からのものですし、そういう点では芥川は語学の才が凄かった様に思います。ただの翻訳家やんけ!という悪口もたまに聞きます。
そうそう、高橋和己は、白川静が学者として多大な期待を持ていたそうですが「作家なんぞになりおって」とゆうたそうです。
いずれにしても、牛男さんの漢文の素養が羨ましいなぁ。はい。
2008/9/9(火) 午後 5:31
芥川龍之介のwikipedia読んできましたが、確かに漢文にも通じていたと書いてありますね。そもそも当時の東京帝大の英文科はべらぼうに難しかったみたいですし、英語の素養はすごく、また神経衰弱になる前に中国に半年近く行っていて、どうやら中国語も話せたのではないかと。とにかく頭の良い人でさらに勤勉ということは窺い知れます。
関係ないですが、芥川は煙草一日180本と書いてありました。20本入りとして9箱???……そりゃ胃潰瘍にもなるし身体具合悪くなりますよね。
2008/9/17(水) 午前 11:40