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そもそも、ある個人的な体験もあって、
ずっと考え続けていることであったのです。
そこへ、とても勇気をもって非常に真摯に向き合ってこの問題を取り上げておられる方の記事を読んで
非常に感銘を受け、わたしも何か書きたい、けれど勇気がない、とか最近動揺しっぱなしなのであります。
それを、なんと表現したら良いのでしょう。
一般には、バイオエシックス(生命倫理)といわれ、ひとつの学問の分野としても確立しています。
哲学、宗教学、医学、法学、社会学などなど色んな学問が知恵を絞りあって答えの出ない答えを模索する学問であります。
学問とは何か、と言う話になってしまうと難しいのですが、
わたしは、この分野は特にある一定の真実を導き出すためにある学問ではなく、
多様な考えをそれぞれの人が学び、また自らの考えを整理するために
「考えの道筋を系統立てる」ことにその目的があるのではないかと思っています。
しかし、わたしたちは多くの多様な人々が共存する社会に住んでいます。
好むと好まざるとにかかわらず、そこにはルールが必要です。
多様性を尊重するためにこそ、ルールが必要であるともいえます。
実際には、法律が必要です。
わたしたちのゆりかごから墓場まで、ほとんど全ての行動において、
法律というルールに守られているといえると思います。
わたしは、子供のころから、ルールとか校則とか「きまりごと」とかいうことに
無条件に反発する悪ガキでしたから、昔から
法律というとなんとなく嫌なもののように感じていました。
人々をルールで縛り付ける悪いやつ。
権力の象徴。
自由の反対語。
しかしさすがに大人になってからは、自分がルールに守られていることにも気づき始めました。
自分の欲望に甘いたちですから、法律がなければ、わたしは麻薬中毒になっていたかも知れない。
泥棒もしたかも知れない。
詐欺とかもありえる。
そもそも、なぜ他者の人権を尊重しないといけないのか、
他者の人権を蔑ろにする行為とはいったいどういうものなのか、
きちんと答えられる人がどれほどいるだろう。
そういう難しい質問に答えられなくても、法律がわたしたちを
他者を蔑ろにする罪から守ってくれているという面はあると思います。
人の最期のありかたについても、やはり、現実問題として、法律が必要です。
「人を殺してはいけません」
「自殺を手助けしてはいけません」
このきまりに反対する人はほとんど居ないとしても、
「コンドームをつけてセックスすること」 命の誕生を阻害すること?
「不妊手術を受けること」 命の神秘を冒涜すること?
「堕胎すること」 子供の人権?親の人権?
「生まれた赤ちゃんを遺棄すること」 堕胎はOK?産んだ後は罪?
「妊娠中にモーツァルトを聴くこと」 自分好みの命にしようとする行為?
「妊娠中に赤ちゃんの性別を知ること」 性別くらい知りたい?
「妊娠中に赤ちゃんの病気を診断すること」 心配でたまらないから?
「病気の赤ちゃんを堕胎すること」 赤ちゃんのため?親のため?
「脳死の人の人工呼吸器をはずすこと」 身体はまだ温かいけど…?
「脳死の人から臓器を摘出すること」 魂がもうここに無いのなら誰かのために…?
「脳死の人から臓器を移植してもらうこと」
「健康な人から臓器を移植してもらうこと」 人からもらってまで生きたくない?
「輸血を受けること」 宗教的に許されない人もいる
「動物を殺して作った医薬品を使うこと」 豚や牛を食べることとどう違う?
「化粧品の開発のために動物を殺すこと」
「医薬品を開発のために動物を殺すこと」
「医学のために死体を解剖すること」 死体も人には変わりない…?
こういう具体的な事柄になると百人百様の意見が出てくるでしょう。
上記すべてにルールが必要とは思わないけれど、
個人の信念だけで全て判断しなければならないとしたら、
現代の複雑で多様な科学技術はわたしたちに個人の判断という重荷を与えるだけのものになってしまう。
だから、具体的な法律がないとわたしたちは守られない。
法律は、自己責任とか自己判断とかいう個人の重荷から開放してくれたりする。
多様性を蔑ろにすることとは、違う。
だけど、それだけに、いくら議論してもしすぎということはない。
いつまでも議論していて結論が出ないというのは、悪いことでもないのかもしれないと思います。
「人として、心でどう感じるかで答えは出るだろう」
そういう人もいるかも知れません。
そう言わざるを得ない位、強烈な嫌悪感で一杯になることもあると思います。
でも、わたしは冷たいのかも知れないのですが、
こういう色んな意見があって当然と思われる議論のときに
「心」のことを言われるととても困ってしまう。
もちろん、わたしにだって感情はある。
でも、ここで自分の感情とか「心」の動きについて訴えても
それは他の人の「心」を蔑ろにすることにつながる気がするから、
できるだけ、理論的に、冷静に話したいと思う。
それでも、誰にでも納得のいくひとつの真実を導き出すことは不可能だとわかっているし、
そして人の命の話をするときにどうしようもなく無力である自分を前提として
そしてただ在ることへの畏怖も実感しながら
それでいて、そうでありながらも、藻掻くしかないし生きるために議論が必要だという立ち居地でありたい。
というわけで、ひとくちにバイオエシックスといっても
現代においては実に多様なテーマがあって、
日々色んなところで議論されているわけで、
しかも議論の前提として専門的な知識を必要とする案件も多くあるので、
気になるテーマをひとつづつ考えてみようかと今のところ考えています。
当然、法律を作るためじゃないし、
啓蒙もしたくはないので、肩肘張らずに素直に書きたいと思ってますが、
さて、ちゃんとやれるかな。
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楽しそうなお話なので、何だかとても楽しみに思ってしまいます。が、その反面「こういうことを楽しみに思ってちゃいかんのかも…」という感じもします。
2009/2/18(水) 午前 0:57
ごくろう君、楽しみにしてもいいのではないでしょうか。
英語でいうところのfunnyではなくinterestingという感じかなーと。
これから少しまとめて書こうと思っている(あくまで、思っている)ので、もし読んでくださったら、引っかかることや反対意見も含めて気になったらコメくださるとありがたいです。
2009/2/18(水) 午後 4:08
わたしの方も記事が溜って来たので、TB貼らせて下さい。
同じ問題を考えてても、やっぱり切り口は個別で多様なんだということが
個人的にはとても嬉しいです。
2009/2/25(水) 午後 2:33 [ MoranAoki ]
モランさん、そうですね、切り口は多様で面白いです。
モランさんの記事もとても興味深く読ませてもらってます。
TBありがとうございます。
2009/2/27(金) 午前 11:45