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わりと人気の作家さんだけれど、
これまで北村薫の作品は読んだことがなかった。
特に避けていたわけでもなく、
ただ単に縁が無かっただけだ。
多分、確か最近直木賞をとったはずなので、
読者が増えて1ドルの棚にも下りてきたというめぐりあわせなのかな。
ものすごく爽やかで、面白い作品だった。
読んで全く後悔は無い。
実に面白かった。
大変に満足した。
と、これではあまりに酷い感想だ。
だけれど、あまり他に言葉がみあたらない。
それにしても、
わたし自身のことだけれど、
最近、エロくないなあ、と思う。
いや実際、エロくない。
フィジカルの面で、性欲が減退しているというわけではない、
と思うのだけれど、
頭の中でエロい妄想を膨らませたりすることが、最近無い。
恥ずかしい話だけれど、
わたしの妄想の傾向は大きく分けて二つパターンがあって、
ひとつは痴電もの。
要するに、電車内での痴漢のシーン。
今自分に触れている手の持ち主の顔も見えないという状況で、
完璧に純粋に身体的な生理的な反応で、
「感じて」しまうという現象のエロさ。
もうひとつは宅配便のお兄さんをレイプする主婦という設定。
初老という感じの倍賞千恵子もしくは田中美佐子くらい若くても良い。
これは確か『郵便配達は二度ベルを鳴らす』だったと思うが、
その映画のイメージだ。
発作的刹那的で制御不能な性欲の爆発。
恥ずかしい話だといいながらこういうことを書いてしまうあたり、
恥じらいというものが無くてすでに恥ずかしい。
とにかく、最近はそういう妄想をなんとなくぼんやりと思い描いていたりすることが
なくなったなあ、と思う。
なぜなのかは良くわからないのだけれど、
上記ふたつのパターンに共通しているのは、
上位システムが関与しない、身体のみの自動的な衝動であって、
美しい恋愛の過程がすっ飛ばされているということだ。
思えばわたしの性欲というのはどこか歪んでいて、
常にまず先にリアルな実存としての身体ありきで、
そのあとにほのかに恋心みたいなものが芽生えたりもするのだけれど、
先にほのかな恋心が芽生えた相手と性的な交わりを持った経験が極めて少ない。
というか、無い、かも。
ああ、恥ずかしいことだ。
この歳で、なんで急にこんなことをカミングアウトしてるんだろう。
北村薫の小説について書こうとしてなぜこんな恥を書いているのかというと、
この『ターン』が、面白い恋愛小説だと思ったからだ。
エロが無いのに面白いと思った恋愛小説は、
実はわたしにとってはそう多くは無い。
多分、エロが無いと、自身の恋愛経験とリンクしないから感情移入できないのだろう。
だけれど、『ターン』はエロが無いのに面白かった。
ストーリー展開の面白さだけでなく、
恋愛の要素に胸キュンすらしてしまった。
これはレアな体験だ。
そしてそれはわたしの現在のエロが、
痴電や宅配レイプの妄想を必要としなくなった、
やっと人間らしく、ある意味ではやっと大人になってきた、
ということかも知れないと、思ったりもするのだ。
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