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数ページ捲ってすぐに、花村萬月の『ゲルマニウムの夜』を思い出した。
読みすすめると、これかな、という文章が見つかった。
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「俺は、神の子かもしれない」
無表情で、シュールギャグをかますシバさん。
「カミノコ?何かノコギリみたい」
「人間に命を与えるなんて、神は絶対サディストだ」
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花村萬月は直木賞の方が適当だったのではという意見もあるようだが、
わたしは『ゲルマニウムの夜』は正当な純文学だと思った。
それと同じ感覚で、この『蛇にピアス』もやはり、正当な純文学だと思う。
ネット上で花村萬月と金原ひとみの対談を見つけた。
刺青の、機械彫りは痛いぞ、とか、手彫りは色が落ちにくいとか
花村氏ばかりがはしゃいでしゃべっている。
しかしこの対談から、
金原氏がやはりスプリットタンや刺青を一種の自傷行為としてとらえていることがわかった。
まさに、受賞時20歳の金原ひとみが、
生きにくさを感じながら、命を実感するアイテムとしての、「自傷」を語っているのだ。
彼女自身、腕に幾筋かの傷跡を残している。
でもわたしは、自傷を語るのに、この作品ではあまりに物足りないと思うのだ。
青春の只中にいるものが、その青春を客観的に語ることなどできないはずなのだ。
リストカットがこれだけ今の若者たちに蔓延していて、
こういう作品が生まれるのは、全く奇跡的なことではなく、
あまりにも想定範囲内だと思われてならない。
当然だ、と。
瀬戸内寂聴さんが、この作品を
「(谷崎潤一郎の)『刺青』が霞んで見える」と評したそうだ。
寂聴さんは好きだけれど、谷崎潤一郎と比較するのは賛成できない。
少なくとも餓える人がいた時代と比較することはできないと思うのだ。
現代の自傷の背景に何があるのか、
わたしに明らかな見解があるわけではないけれど、
ひとつはっきりしているのは、
餓えることのない社会に特有の病理だということ。
金原ひとみ。
写真をみると、ずいぶんきれいな子だ。
キャバ嬢っぽい。
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