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実は、観てからかなり日数が経ってしまったので、
新鮮な感想が書けそうにない。
それでも、新鮮ではないという状態もまた、
そぎ落とされた記憶は熟成されて良い場合もあるかも知れない。
なんでも自由に物が手に入るのだとしたら、
多くの女性がやはり彼女のように夢中になって次々ドレスを新調し、
髪の毛を膨らませ、夜中にケーキをほうばるだろう。
明るく天真爛漫でお洒落が大好きな少女がたまたま女王になってしまった、
そしてそれがたまたま革命の時代に当たってしまった、
そういうことだ。
一番印象に残っているのは、
たくさんの、カラフルな靴のコレクションだ。
無意識にドレスに合わせて選んでいる自分が居た。
天蓋つきのベッド、ふわふわのネグリジェ、ドレスやお菓子の数々も、
ノリノリの音楽とともに見ていて楽しかった。
ソフィア・コッポラ自身も、
幼い頃憧れたお姫様ごっこ的なものを映像化するのに夢中になったのだろうと思った。
お洒落で、可愛く、綺麗、
それプラスちょっとだけマリーの悲しみ、不幸?みたいなものも
描かれていた?ような。
観ていてまあまあ楽しい映画ではあったけれど、
好きな作品とは言い難い。
なぜなら、登場人物が全員流暢な英語で話しているのがとても違和感があった。
たとえば日本の江戸時代の時代劇をアメリカ人が作ったとして、
出演者が中国系や韓国系ごちゃまぜで、
登場人物皆が英語で話していたらどう感じるだろう。
マリーの出身国オーストリア人はもちろん、フランス人がこの映画を観たら、
やはりアメリカ人の傲慢を感じるだろうか。
わりとヒットしているアメリカドラマ、『HEROES』でも、
登場する日本人の男性が明らかに日本語のネイティブではなくて、
あまりにも発音が悪くて思わず英語の字幕を必死で読んでしまう、
そういう事態に苛立って途中放棄してしまった日本人はわたしだけではないだろう。
多くのアメリカ人にとっては、中国人も韓国人も日本人も同じ、
(実際アジア人を全部一まとめに「Chinese」と呼ぶ人も多い)
南米人は南米人、ヨーロッパ人はヨーロッパ人、
全部一まとめにしか考えられないし、
英語は世界語だからどの国の人にも通じて当然、という
なんともオレ様的な感覚が歴然とあるように思う。
実際には人それぞれだし、
特にニューヨークは色んな人種が入り混じっているから、
そういうアメリカ人のオレ様的な感覚をさほど感じずに過ごせてはいるのだけれど。
だから、アメリカ人に対しても一般化して決め付けることは止めようと思うけれど、
でもやはり、この映画はフランス語で作るべきだった。
それができないのなら「お姫様ごっこ映画」という評価に甘んじる覚悟だと理解したけれど、
それでいいだろうか。
そぎ落とされ、熟成した記憶は、そういう感じだ。
たぶん、流暢に英語を話せないことと、
物欲が満たされずに居ることでいつの間にか溜まった欲求不満が、
この映画の厳しい評価につながってしまったのだろうと思う。
要するに、八つ当たりである。
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