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無痛文明

『myb』第12号 みやび出版 2006年11月15日 16〜21頁
無痛文明という病 
森岡正博

 私たちは、物質的に豊かになることによって、ほんとうに幸せになったのだろうか。いまの社会を見渡してみよう。飢えて死ぬ人はいなくなり、キラキラした商品が至るところに飾られ、私たちの多くは、もう物質的に困窮することはなくなった。しかしそのかわりに、私たちの心の中には、なんとも言えない空洞が広がっており、そうした物質的な富によってはけっして埋められなくなっているのではないのか。
  これまでも、このような問いかけはしきりになされてきた。だが、いまや私たちの文明は、新たな次元へと突入し始めているのではないかと私は思うのである。文明が進歩することによって、何か大切なものを置き忘れてきてしまった、というような牧歌的な次元はもう終わったのではないか。文明は、私たちに「快楽」と「快適さ」を惜しみなく与え、それと引き替えに、私たちから「生きることの深いよろこび」とでも言うべきものをシステマティックに奪い去ろうとしている、というふうに私には感じられるのである。そして、私たちは、その事実から目をそらすための仕組みを、社会に中に張り巡らせて、私たちがみずからの「空虚」に気づかなくて済むようにしているのである。
  私は、このような次元に突入しようとしている現代社会のことを、「無痛文明」と呼んできた。無痛文明へと向かう社会においては、痛いこと、苦しいこと、つらいことをなるべく経験しなくて済むような仕組みや技術が発達する。将来降りかかるかもしれない苦しみについては、それをあらかじめ察知して、予防的にその苦しみの原因を消去するというテクニックが発達する。これを私は「予防的無痛化」と呼んでいる。
  もっとも分かりやすい例は、出生前の胎児診断である。高齢出産や、何かの遺伝病のおそれがあるときに、妊婦のお腹の中の胎児に障害がないかどうかを、あらかじめチェックする技術が進んできた。胎児がまだ小さいときにこのような検査をすることができるから、もし胎児に障害が見つかったら、親は中絶することが可能となる。実際に、胎児診断によって障害があると分かった場合、多くの親は中絶を選択するのである。
  これは何を意味しているのか。それは、赤ちゃんが障害をもって生まれてきたとき、親や子ども本人に大きな「苦しみ」や「つらさ」が降りかかるであろうと親が考え、その結果、そのような苦しみが降りかかってくるくらいなら、あらかじめその苦しみの原因となる胎児の存在を消去しておいたほうがいい、と決断するということなのである。
  こうやって、苦しみやつらさが、予防的に回避される。しかしもちろん中絶というのは、親に大きな心理的なダメージを与えることだろう。そこで考え出されたのが、受精卵診断という技術である。これは、精子と卵子を身体の外で結合させ、受精卵を作り出し、その受精卵を検査して、障害がない場合にだけ子宮に戻して赤ちゃんを産むという技術である。もし受精卵に障害が見つかれば、その受精卵は廃棄される。受精卵は目に見えないくらい小さな存在であるし、母親は中絶をしなくてもいいから、心理的なダメージはかなり少なくなるだろう。かくして、無痛化の技術はどんどんと洗練の度合いを高めていくのである。
  無痛文明とは、このような仕組みが社会全体に張りめぐらされ、私たちの身の回りから「苦しみ」や「つらさ」が次々と消去されていくような社会のことである。日本やアメリカ合衆国は、無痛文明に向かって邁進している。無痛文明においては、人生は、あらかじめ予想された人生プランの内側へとコントロールされる。予想もしなかったような人生の大失敗というものが、けっして起きないように、様々な仕組みが整備されるようになる。健康保険、社会保障、人間ドックなどがその好例であろう。人々は人生プランをあらかじめ選択する。平穏無事な人生を望む人に対してはそのような人生を用意し、破天荒でスリリングな人生を望む人に対してはそのような人生を用意するような社会が出来上がる。そしてたとえ後者のような人生を望む人であっても、その人が人生の途中で突如死亡したり、解決できない苦しみにあえいだりすることはけっしてないように、人生全体が調整される。
  もちろん、現在の社会ではそのようなことは実現されていない。しかしながら、いまの社会のうねりが無痛化の方向へと進んでいくかぎり、いずれはこのような社会が徐々に実現し始めることだろう。すなわち、自分の人生全体がひっくり返るほどの「苦しみ」や「つらさ」は慎重に排除されるとともに、人生の味付けとなる程度の「苦しみ」や「つらさ」はむしろ積極的に味わえるような社会が到来するのである。ちょうど、誰も死なないように整備された急流におけるカヌー遊びのような生が、社会全体に広まっていくのが、無痛化する社会なのである。
  現代文明は、このような方向へと進もうとしている。先に述べたように、これは、「何か大切なものを置き忘れてきた」という次元の話ではない。そうではなくて、私たちの文明が積極的にこのようなシステムを増殖させようとしているということなのである。そして、ほかならぬ私たち一人ひとりが、このようなシステムを裏側から支えているということなのである。ここに無痛文明の強靱さがある。
  このような一見すばらしい文明のただ中で生きる人々の心の中に、何とも言えない空洞が広がっている。その空洞は、物質的豊かさや、単純な心のケアによっても埋めることができない。
  快楽と快適さの追求へと突き進む現代社会がもらたす心の空虚に対して、身をもって抵抗しているのが、若い人々であると私は思う。最近、若い人たちのあいだに、リストカットなどの自傷行為が広まっているが、これは無痛化する現代社会へのぎりぎりの抵抗ではないかと思うのである。つまり、彼らは、坑道のカナリアのように、無痛化する現代社会の病理をまっさきに知覚し、そこから逃れようと必死になっているのである。
  無痛文明の病理とは、快楽と快適さの追求と引き替えに、生きることの深いよろこびが奪われていくことであった。しかし無痛化を望むわれわれの中の欲望は、この大きな流れを押し進めるばかりである。社会に適応しきった大人たちは、その流れを疑うことをしない。そのなかで、一部の若者たちは、自分たちが飲み込まれている文明の大きな病に気づき、それに抵抗しようとする。
  無痛化とは、快楽と快適さを追い求めることであり、そこから無痛文明の病理が出現しているのだから、それを食い止めるためには、快楽と快適さを求めるわれわれ自身の行為に対して、異議申し立てをするしかない。すなわち、快楽と快適さを追い求めるわれわれ自身に対して、否定の刃を向けなければならなくなる。
  その結果、彼らは、彼ら自身の身体に「痛み」や「苦しみ」をみずから与えることによって、彼ら自身が支えているところの無痛文明に対して反抗ののろしをあげようとしているのである。つまり、若者の自傷行為とは、みずからに「痛み」や「苦しみ」を与えることによって、無痛化する現代社会を支えている自分自身を否定し、無痛文明から脱出しようとする営みなのである。
  だとすれば、自傷行為とは、けっして食い止めるべき病理なのではないということになる。この現代文明全体が病んでいるのだから、そこから脱出しようとする自傷行為は、病からの治癒を目指した試みであると言わねばならない。自傷行為を行なおうとする動機や情念は、けっして否定されるべきものではない。われわれが考えるべきは、彼らの自傷行為のエネルギーを、もっと別の方角へと差し向ける仕組みを考案することではないだろうか。
  常識とはまったく逆になるのであるが、無痛文明論の視点から見れば、この社会の中において自分自身をきちんと守り、人生をうまくコントロールしている人々よりも、この社会に適応できずに自分自身を自傷し、自分自身を暗黒の未来に向けて投げ出している人々のほうに、希望があるということになる。なぜそこに希望があるのかと言えば、彼らこそが、無痛文明の病に対して「自傷」という正面からの応答をしているからであり、その真摯たる態度にこそこの社会の閉塞を打ち破る可能性が秘められていると思われるからである。
  ただし、自傷に苛まれている彼らの内面は、希望とはまったく逆の風景に彩られているはずだ。彼らの内面にあるのは、希望ではなく絶望であり、脱出ではなく繰り返しの徒労感である。彼らに向かって希望を説くのは、彼らをよけいに追い詰めることになるだろう。ではどこに脱出口があるのか。
  この社会では、実は、若者だけではなく、老いも若きも、様々な人々がいろんな種類の自傷行為を行なっている。私は拙著『感じない男』のなかで、男性のポルノ視聴は一種の自傷行為であるという説を展開した。つまり、男である自分が性的に女よりも感じていないということを繰り返し自分に突きつける自傷行為こそが、男にとってのポルノの意味であると考えた。自傷行為というものをここまで広く捉え直すとすれば、ほかにもいろいろな行動が視野に入ってくるだろう。
  たとえば、やってはいけないと分かっているのに、どうしてもしてしまうという経験はすべての人にあるのではないだろうか。これもまた、自分を傷つけると分かっていながら行為するわけだから、自傷行為であるとも言える。
  これらのことは、従来は、人間の「弱さ」や「愚かさ」として理解されてきた。もちろんそのような面は厳然としてあるが、それだけではこれらの行為の意味は捉えきれない。自分自身を傷つけてしまうという、弱く愚かな行為の中にこそ、快楽と快適さへと邁進する現代社会への異議申し立ての片鱗を見ることができるはずだと私は思うのである。
  この社会全体が無痛化という病理に冒されているのだから、この社会の標準から見たときに病として見えるものの中にこそ、この社会全体を乗り越えるための光明が隠されているはずなのである。どうしようもなく自分を傷つけてしまうことは、けっして悪くはない。その行為の中に希望があるのだから、自傷を否定するのではなく、そこを乗り超えてさらに先に進むための道筋を探していくべきだ。そのための哲学を私は作り出したいと思っているのである。




「文明が進歩することによって、何か大切なものを置き忘れてきてしまった、というような牧歌的な次元はもう終わったのではないか。」
そうなのだ。こういう議論をするとき、ノスタルジーばかりが幅を利かせてきた。
そのことに、わたしは疑問を持ってきた。
森岡氏は「無痛文明論は、未来に向かって進めという思想です」と言っている。
一見唐突に見えるかもしれないこのエッセイの引用だけれど、
わたしのなかでは、前記事の「男前」「紫煙」なんかとも
密接につながっている。
条件つきの愛、とか、無条件の健康志向とかいうものへの違和感。
映画『ファイト・クラブ』では「破壊」したけれど、
森岡氏はこれを「破壊」ではなく、ボルトを一本づつピンセットで抜くように「解体」すべき、と唱える。
では具体的な解体作業はどうやって行われていくのだろう。
わたしにはまだイメージができない。



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『告白』 その2

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以前の記事で、いくつかレスを書いているうちに、
少しだけ、考えが整理されてきたので、追加しておこうと思う。

「普通」と「普通じゃない」の境界は万国共通ではなくて、
主観的なものなのだと思う。
いむさんへのレスでも書いたが、
日本は総合的に考えて、住みやすい国だといえると思う。
安全な食べ物がたくさんあるし、水道水が飲めるし、
日本製品はきちんとしていて精巧だし、
あらゆるところで清潔のレベルが高い。
モノを売る人は買う人に対して、気持ちの良いサービスをするよう努力している。

しかし当然ながら、日本で「普通」のことが、
世界中どこへ行っても「普通」とは限らない。
わたしは日本は住みやすい国だと思うけれど、
例えば北欧の女性が日本で暮らすと、
女性の働く環境の厳しさにウンザリして「普通じゃない!」と思うかも知れない。
アメリカ人にとっては、空気を読むことを強制されたりすると耐え難く、
「ありえない!」と思うかもしれない。

そもそも、
「普通」という言葉にはほとんど意味などない。
「普通」が誰にでも通じる言葉ならば、
「健康で文化的な最低限度の生活」なんていう表現をしなくても、
「普通の生活」と言ってしまえば良いのである。

良いこと、悪いこと、と言う言葉の意味が万国共通ではないのと同じで、
「痛い」という基準が人それぞれで、まったく主観的なのにも似て、
「普通」と言う言葉も万国共通ではない。
だから、ほとんど意味のない言葉だ。
色んな環境、立場にある人たちが、それぞれの基準の「普通」を持っているのであって、
非常に個人的あるいは同じ環境内でのみ通用する言葉なのである。

ジェンキンス氏が北朝鮮を「普通じゃない」というとき、
それは彼が以前住んでいたアメリカや韓国と比べてのことであって、
個人的な比較基準の上での評価なのだ。

そのように、「普通」の基準はさまざまではあっても、
自由を奪われ、情報を制限され、思想をコントロールされる世界が、
「普通」と思って育った美花さんが、
日本へ来てはじめてそれが「普通じゃない」ことに気付いたこと、
そのことは、普遍的な「普通」も存在することを示唆しているのではないか、
とは考えられないか。

ジェンキンス氏は、食べものの不足や、上水下水の不備、電気や暖房の不備などといった、
生活の不自由さ、貧しさが本当に辛かったことを書いており、実際大変な苦労だったろう。
日本へ来てから、そういう苦労がないだけでも、
美花さんの変化の理由になるのだろう。
生活が豊かであることが、苦痛なわけがない。

しかし、美花さんは北朝鮮を離れたくない理由として、
「北朝鮮の人たちに裏切り者と言われる」と言っていたという。
それを一番気にしていたのだとしたら、生活が豊かになっても解決する問題ではない。
しかし二日で考えは変わったのだ。
ということは、
「こんなに豊かな生活ができるのなら、北朝鮮の人たちに裏切り者と言われたってかまわない」と思ったのかも知れない。
しかしそれよりも、北朝鮮では、
行動の自由は制限され、得られる情報も限られていて正確さに欠き、
思想はコントロールされ、発言の自由もなかった、そのことが
「普通じゃない」ことであったことに気付いたのではないだろうか。

それにしても、北朝鮮国内で、そのことが「普通じゃない」ことに気付く人が
どれほどいるのだろう。クーデターや内乱が起こらないのは、
そういうコントロールが非常に上手く機能している(専制君主側からみて)
からなのだろう。
実際、美花さんが北朝鮮のプロパガンダを信じていたように。
金総書記の健康異常説で、今後どうなるのかはわからないが…

政治ネタは苦手なので、この辺でやめておく。


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日本に居る親友のひとりからのオススメ。
あまりノンフィクションや暴露本みたいなものは、熱心に読めないのだけれど、
彼女のオススメは昔からほぼ例外なく面白いので、
しぶしぶ、どうせ無いだろうと1ドルの棚を探したら、
残念ながら、あったのだ。
しぶしぶ、読んでみた。

しかしながら、面白かった。
と言ってはいけないのだろうが、
予想外なほどに予想通りの内容だった。
ジェンキンス氏は、北朝鮮を、「普通の世界」の対極にあるものとして書いている。
彼は1965年に非武装地帯を越えて北朝鮮へ逃亡して以来、
2004年にインドネシアを経由して日本へ入国するまで、
約40年間を、自らの意思に反してその「普通じゃない世界」で過ごしてきた。

繰り返しになるが、ジェンキンス氏が北朝鮮を「普通じゃない世界」と言い、
元居た世界を「普通の世界」と呼ぶ、そのことがわたしには興味深く感じられ、
また、とても考えさせられた。

2004年の日本入国時、ジェンキンス氏とひとみさんの二人の娘、
長女の美花さんは21歳、次女のブリンダさんは19歳だった。
同じような教育を受けて育った姉妹だが、
なぜか次女のブリンダさんは日本へ行くことを積極的に望み、
美花さんは北朝鮮に残ることを望んだらしい。

キャンプ座間の売店は米国や日本の普通のデパートなどに比べれば何のへんてつもない店だ。しかし娘たちにとっては初めて目にするまともな店だった。平壌では一番ましな商店でも、ほこりだらけのみすぼらしい店ばかりで、棚はほとんど空っぽだった。それがこの基地の売店には、衣料品、電化製品、化粧品など、棚からあふれんばかりに商品が並んでいた。目の前には娘たちが見たこともないような品物がずらりと待ちかまえていたのだ。娘たちはとたんに夢中になった。   (中略)   娘たちに五十ドル札を一枚づつやることにした。娘たちはそんな大金は手にしたこともなかった。キャーッと叫び声をあげて、私の手からさっと五十ドル札を取ったかと思うと、もう棚の間を駆け出して商品を物色し始めていた。それを見て大尉は言った―「見てごらんよ。北朝鮮の連中はなんと言うだろうね?あなたに二千ドル渡したばっかりに、娘たちに対する共産主義教育の成果はあっという間に消えてなくなってしまったんだから。米軍基地でたった数分買い物をしただけでね!」。
 金銭に限ったことではなかった。日本に着いて二日としないうちに、娘たちは北朝鮮を離れたのは人生で最高の決断だったと確信するようになっていた。私は最近よく冗談に、「やっぱり北朝鮮に戻ることにしようか?」と美花に言ってみることがある。するといつも答えは決まっている。「お父さんだけどうぞご勝手に。私は絶対に行かないわ」。            p231-232

日本へ行くことを反対していた美花さんが、
二日としないうちに考えが変わったのはなぜなのか。
そんなことは問うまでもないことなのかもしれない。

しかしそれをこそ、きちんと理解しておきたいと、わたしは思う。



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