|
---
以前書いた、よぼよぼの祖父と、母とは相性が良かったようだ。
祖母は誇り高く厳格な夫のオムツを直視できなかったし、
そもそも学問好きで家事が得意ではなかったので、
祖父の身の回りの世話は嫁である母がそのほとんどを担っていた。
祖父は嫁を信頼して可愛がっていたし、母も祖父を尊敬していたようだ。
祖父が身の回りのあらゆることに手伝いを必要とするようになった頃、
母方の祖母が倒れた。
脳梗塞で、半身が不自由になったが、
リハビリで一時は退院が可能なほどになった。
倒れるまでは一人暮らしで、帰る家は母のところしかなかったが、
祖父の世話があったから、連れ帰ることは叶わなかった。
母は毎日祖母の病院へ通い、
顔や手を拭いたり、食事の手伝いをしたり、
身の回りの世話を焼いて数時間を過ごし、
あわただしく家へ戻ってまた祖父のオムツを交換した。
高齢の人にとって、住み慣れた環境以外での生活は、
想像を絶するストレスになる。
慣れない環境で、痛みを伴う処置を受けたり、
色んなチューブやコードに囲まれた生活をすると、
一夜にして自分を見失うこともまれではない。
祖母も例外ではなく、夜中に病院のトイレにトイレットペーパーを丸ごと突っ込み周囲を水浸しにしたり、
オムツ内に排便したものをこねくり回してあちこちに撫で付けたりするようになり、
両手に白い布でできた野球のグローブみたいなものをはめられた。
グローブで両手が不自由になると、
歯の無い口でどうやったのか点滴を噛み千切ったりもした。
病院を転々とし、ベッドに縛り付けられるような生活をするうち、
点滴を噛み千切る元気は次第になくなり、
病院のベッドの上で身体はだんだん小さくなり、
自らゆっくり命をフェイドアウトするように息をひきとった。
約一年後祖父も亡くなり、絶望した祖母が何もできなくなった。
次の日から母は、祖母の身の回りの世話を始めた。
それからが長かった。
祖母は母を頼りにはしていたけれど、娘のようには思えなかった。
母も祖母を大切にしたけれど、母のようには思えなかった。
祖父の世話から始まり、その祖母が亡くなるまで、
二十年以上、母にとっていわゆる介護が生活の中心だった。
母がかけもち介護をしていたころ、わたしは中学生になったばかりで、
信じられないほど子供だった。
煙草を吸ったり、万引きをしたり、テレクラに電話したり、
髪にオキシドールをかけたり、要するに『積み木崩し』の真似事をしていた。
父は仕事、兄は勉強、わたしは積み木崩し、
母はどれほど孤独だったろう。
でも、祖父が亡くなったとき、一番悲しんでいたのは母だったから、
あるいは祖父との関わりは母にとって安らぎだったのか。
雫井脩介の『火の粉』は非常に良くできた長編ミステリーだ。
終始はらはらドキドキと読ませてくれる。
心理サスペンスとしての面白さはもとより、
何より凄いのが女性の生活に寄り添った心理描写だ。
一日の全てを布団の中で過ごす義母の介護をするひとりの女性の孤独が、
ドキドキのサスペンスの中に非常に上手く織り込まれている。
雫井脩介がこの作品を書いたのはまだ彼が三十代前半の頃だから、
いわゆる介護に関わる文献を読み漁ったか、あるいは
彼自身の家族、もしくは彼自身が介護に関わったことがあるのか、
そのいずれであったとしても、その若さでしかも男性でありながら
この女性心理への寄り添い方はただごとではない、と、思う。
実の親の介護を許されず、看取ることさえ叶わなかった嫁が、
大事にされた記憶のない義理の母を、実の親の分もと熱心に介護をする。
愛していない人の介護をするということ。
見返りのない奉仕をするということ。
それがどういうことなのか、雫井脩介は普通に理解していると思う。
---
|