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子供のころから国語は好きだったけれど、
古文・漢文は苦手、日本史にいたっては大の苦手、
という私なので、
もともと時代物の小説は一切読んだことがなかった。
想像力が乏しいからなのか、
古いものには全く興味が持てず、
水戸黄門や大岡越前、遠山の金さんの類も
お年寄りの専売特許だと思い込んでいた。
そんな私が、藤沢周平や山本周五郎を楽しむことができるようになったのは、
ひとえに宮部みゆき先生のお陰である。
確か『火車』から読んで、
当時すでに本屋の平台には宮部みゆきの文庫が
ずらっと並んでいたので
(いつも話題の人気作家のものは文庫が平台にずらっと並んでからはじめて読むことが多いです)
たいへんに気に入ったので片端から、
もちろん現代ものだけを読んでいくと
時代物だけが残ってしまった。
仕方なく(失礼極まりない)
『本所深川ふしぎ草紙』を読み、
『かまいたち』を読み、そうこうしているうちに
『ぼんくら』『日暮し』(この辺はこらえきれずにやむを得ず単行本で)と
どんどん面白くなるではありませんか。
まず「精進」とか「堪忍」とかの言葉が、
新鮮で、たまらなく心地よく感じた。
次に「煮豆屋」と「一膳飯屋」にあこがれた。
一通り読み終えて、
気づくと藤沢周平にハマっていた。
宮部みゆきのまだ読んでいない新作はまだ文庫になっていないので、
しばらく離れてしまっていたが、
久々にまた読みたくなって、
『かまいたち』を買ってしまった。
もちろん1ドル。
2度以上読んだ本で、
1度目より2度目のほうが面白いと思ったことは
ほとんどといっていほど、無い。
残念ながら今回もそうだった。
宮部みゆきはすごーく才能があって、
すばらしい作家だけれど、
それは疑いようもないけれど、
藤沢、山本と並べて、この
彼女のごく初期の作品を改めて読んでみるなんてことは
やっぱりフェアじゃなかった。
でもがっかりはしていない。
宮部みゆきは生きていて、若くて、まだまだ書いてくれているから。
そのことは変わらず嬉しい。
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