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武田信玄

今日は「武田信玄」の伝記を読みました。武田信玄は1521(大永1)年11月3日、武田信虎の長男として甲斐の国の石水寺に生まれる。幼名を太朗(または勝千代)といいます。最初は信虎からとてもかわいがられていたが、次男信繁が生まれると、信繁をかわいがるようになり、信玄を嫌うようになりました。1536(天文5)年には3月に元服して武田太朗晴信と名のる。従五位下に叙せられ、大膳大夫兼信濃守の称号を受けました。信濃の国の海野口城を攻めて初陣を飾ります。退く時に自らしんがりを引き受けて、わざと海野口城に300余りの兵と共に残り、早朝に攻撃を仕掛け見事海野口城を攻め落としました。このころ父信虎は攻め落とすのに夢中で、農民の事などお構いなしに戦に出し度々戦わせました。これでは米が育たず甲斐の国が滅んでしまうため、1541(天文10)年6月に板垣信方と綿密に計画を立てた後、父信虎を駿河の国に追放しました。そして第一に農民のことを考え、足軽大将の意見でも取り入れたり川の治水工事をしたりして領民の人気を集めました。また討ちとった敵でも情けをかけました。そして味方になりました。信玄は戦上手で有名な軍師山本勘介と共に、有名な「風林火山」やきつつき戦法で様々な敵を討ちとっていきました。そして上杉謙信とは5回にもわたる川中島の戦いがありました。3ヶ月も続いたり、7000人も死んだりしたそうです。敵に情けをかけたり、農民のことを第一に考えたりする武田信玄は器の大きい人なんだと思いました。


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