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今日は田中正造の伝記を読みました。田中正造は天保12(1841)年11月に下野国阿蘇郡小中村(栃木県佐野市)に生まれました。正造という名はおじいさんの名を受け継いだものだそうです。小さい頃からわんぱくだったそうですが、畑仕事が大好きでとても誠実だったために17歳で名主になったそうです。正造の住んでいる家の近くに渡良瀬川という川があって、洪水が起こっても山のほうから来るため被害は比較的少なく、肥料に富んでいる土が流れてくるので洪水が起こったことを喜ぶ人もいたそうです。しかし足尾銅山から流れる鉱毒の為にその渡良瀬川に魚の死体が浮くようになり、草木は生えないようになりました。農民は政府に鉱毒の被害を訴えかけたが、相手にされませんでした。それを見て正造は鉱毒の被害を世に訴えかけるるために県議員になりました。何回も政府に質問しましたがろくな回答が得られませんでした。それでも農民と共に訴えかけたり、さらには議員を辞めた後に天皇に直接訴えかけたりもしたそうです。政府は鉱毒を防ぐために谷中村をつぶして貯水池にしようとしました。正造は断固として反対し、谷中村に住んで谷中村の人々にこの村を離れないよう説得して回りました。自分が寝不足になっても、すごい熱になっても第一に農民のことを考えみずほらしい格好をしながらも政府に訴えかけた田中正造はすごいなと思いました。 |

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