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私は青年会議所という団体に入っている。
「明るい豊かな社会」を目指し
【 奉仕・修錬・友情 】を三信条とする団体です。
私達の団体は、毎年地元の祭りを盛り上げるため
『牛深ハイヤ』と『天草ハイヤ』に踊り手として参加している。
私が産まれて間もなく、五和地区出身の父はで本渡に店を出した。
物心つく頃は「天草ハイヤ」が店の前を通り
お酒をふるまい、みんなで騒いで
朝方まで騒がしかった事を覚えている。
小学生になるかならないかの時期に
東町に引っ越して来たけど
埋立地で出来た新興住宅地で
神社が近くに無く、
近所も移りすんで来た人たちばかりで
『祭り』から縁遠くなってしまった。
子ども会で「天草ハイヤ」には出ていたけど
大人のやる気のなさが伝わり
あまり楽しくもなく、だらだらと行進していた。
ので、『祭り』にさほど愛着が無かった。。。。
一度島外に出て修業した私は、修業先の博多で
『祭り』というものの考え方がすごく変わった。
博多の祭りと言えば『山笠』
昔っから『博多っ子』の心のよりどころであり、
『祭り』の日には全国各地から仕事を休んで
駆け付ける博多出身の人たち。
仕事もそっちのけで
2週間近くも『祭り一色』のまち。
商工会の年商何百億の社長さんやお偉いさんも
その時期は法被にへこ(ふんどし)で会議
『山笠ん時期に背広きとうとは馬鹿たい。博多っ子は水法被に締め込みやろうもん。』
と、櫛田神社の神紋に似ているキュウリが料理屋からは姿を消す。
『山』(山車)を担げるのはそこの流れ(地域)の人で
よそから入ってきた人は担ぐことが許されない。
担ぐには自分が一所懸命『山笠』の時に
その地域で奉仕をして
やっと、子どもの代で担ぐことが出来る。
「自分の子供に担がせたいから。」
と、新しく博多に店を出した兄さんは、
2週間近く、店にも出ずに、寝ずに山の番をしていた。
その間、「ごりょんさん」と呼ばれる女将さんたちは
主人がいない店を一人で切り盛り。
客もそれをわかっていて
ゆっくりと酒を呑む。
地域の絆、脈々と受け継がれる心。
「祭り」にたずさわる、その心が『郷土愛』だ、と深く感銘を受けた。
「自分も天草に帰ったら、子ども達と祭に出よう」
と心に決めた。
帰って来てから5年。
毎年ハイヤに出ているが
やはりお店はバタバタ。
だいぶお待たせしてしまいお客様にご迷惑が。。。。。
ハイヤ当日来て下さったお客さま、大変申し訳ございません(>人<)
が、地元を愛する私達の気持ちに免じて
どうかお許し下さい。
どうぞ、この事で「天草」を嫌いにならないで下さい。
勝手なわがままですが、
一年で一回だけ、
『祭り』の時だけ
ひらに、ひらに、ご容赦お願いいたします(>人<)
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