7月あたま。
養育費を払ってくれている元夫が、九州にやってきた。
私がもし先に死んだら、子どもたちがお金で困ると思い、
もう何年も一同が会する機会もなかったし、勇気を出して、
「息子も引っ越してきたし、一度遊びに来る?」
と誘っていた結果である。
相手は「日程を調整しないと。」ともったいぶりながら結局やってきた。
ただし、飛行機が大の苦手らしく、手に汗握っての空港での再会であった。
娘はあらかじめ、
「ママ嫌なんでしょう?なんで呼んだの?」
と聞いてきたので、ママが死んだらあんたたちが困るからよ、と話しておいた。
だがだが、案の定、何かというと気まずい雰囲気になるのは昔と同じ、
その晩はお金なら払うと言ってくれたので、山道を元夫と交代で運転して温泉へ。
「パパの運転だと酔うけど、嫌と言えないから。」
と後部座席で我慢していたわが子たち。ごめんよ、ごめん。
温泉で贅沢をしても、心が休まることは私はなかったが、
子どもたちは、私が寝ちゃったあとパパとトランプした時間だけは楽しかったらしい。
自分が子どもになっても構わない時だけ、元夫はよい人になる。
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これは娘が旅行後じっくり考えて、私に教えてくれた洞察である。」
なるほど、あたっている。
結局、二日目の昼頃にはどうにもならないぐらい一行の雰囲気が悪くなったので、
雨も強くなったしとにかく子どもたちを自宅に送り届け、私は元夫のホテルに彼を送って行った。
もう何しろ疲れて疲れて、ぐったりしたが、娘が一番気疲れたらしい。
のちに国語の宿題で作ったという詩のタイトルは「遺伝」。
何を書いたのかは気になるが、見ないでおいた。
一週間たっても疲れは取れないが、
もう彼は関東に帰って行ったので、脅威はない。
ただただ、母親としての責任を感じ、子どもたちには申し訳ないと思う日々である。
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