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もうすぐ父が亡くなって4年なんだけど、
とてもいろんな意味で確執があった父なのに、この頃よく思い出す。
愛情が深すぎて子どもにどんどん干渉して、思い通りに動かそうとする面倒な所のあるひとだったけど
愛の塊だったなって思う。
結局残った方の母は、非情なタイプなので、その後実家の隣で一緒にやってくの大変だったけど、
だんだん親は衰えていくわけで、
あんな母でも妙に信仰深くなったのを見ると、
「あ〜世の中みんな罪人だけど、そのうち死ぬときにはそれは許されるわけだわね〜。」なんて
思えるようになった自分がいる。
親子って難しい。
思えば人間の長い歴史って、こんな感じで生まれて死んで、恨んで許されて、そんなこと繰り返して続いてきたんだろうなあ、なんてね。
確執の最中だと、そんな風に思えなくて、つらいんだけど。。。
と、雪の降る夜のつぶやきでした。
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生育歴
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読み終わった本。
その最終章で、人生の宿題の提出としてとりあげてるのが、黒澤明の映画「雨あがる」。
私は色々考えさせられた。
私も、この夏、人生の宿題の提出をした。
今年は「負け組」なんて言葉に負けちゃられないと、ランニングしてマラソン大会に出てみたり、時間とお金と頭を使って資格も取った。随分頑張ったんだけれども、
そんななか、心の中にず〜っとタブーとしてしまいこんでいた幼い日の思い出を掘り起こし、夏休みの終わりにその思い出の中心人物二人(→今は全く親交のないひと・一人は60歳、一人は故人)に、「ありがとう」と「さようなら」を言いたくて手紙を書いたのだ。
それは私にとって、実は今年一番の出来事であった。返事はこないけど、手紙は届いたはず。
私が今でもその人たちに感謝していること、それから、亡くなってしまった方にサヨナラを言えないままなことが心残りであることをしたためた。
私の心は届いただろうと思う。
残った方の人は、きっと私が恨んでもいなければ嫌ってもいなくて、今でも感謝して会いたがっていることを知り、喜んでいてくれたらいいなと思う年の瀬である。
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って有名な絵本があるんですが、
方言があって結構子どもに読んで聞かせるのが難しいながら、
私は大好きな絵本でして、
子育て中、図書館で借りては、よく子どもたちに読んでおりました。
本日思うところがあり、2年前に亡くなった父の書斎を整理していたら、
驚いたことにこの絵本が出てきました。
私が小さい頃は、父は仕事でいつも家にいませんでしたし、
母は絵本を読んで聞かせてくれるなんて余裕も優しさもないひとでしたからね、
これは父が晩年何か興味があって買い、手元に置いておいたものと思われます。
さすが、パパやるじゃん!と私は思いました。
というわけで、母に了解をもらって、
今晩からこの絵本は、私の本棚へ場所を移したのでした。
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このベクトルカエル、イラストはrabbit Princessさんです。
ちょっとした誤変換から生まれた、賢いカエルさん。
人間関係のぐちゃぐちゃを解決するとき登場します。
登場させるには、ちょっと頭のかっかしたした人、あるいはドツボにハマってる人が冷静になる必要がありますが、きっとほかの皆さんのことも助けてくれることでしょう。
何せ専門家ですからね。
先日カウンセリング講座で学んだ「交流分析」という心理学療法で、私はベクトルのこと知りました。
人間の人格は、PとAとCの部分から成り立っているとのこと。 Pは親、Aは大人の自分、Cは子どもの自分です。 Pは厳しい規律を重んじるCPと、お母さんのように優しいNPに分類できます。Cも、自由奔放本能のままのFCと扱いやすい受動的なSCに分類できます。 自分はどんなパターンか知りたい方はこちら。私はまだ結果が出てないのです、正式には。 http://www.egogram-f.jp/seikaku/index.htm ある人たちの会話を例にとり、 こちらの人は「今何時?」とAの部分からベクトル(→)を発し、相手のAに質問しますと、相手のAが「今は午後5時」と答える。ベクトル(←)は並行です。しかし、機嫌の悪い相手だったりすると、AではなくCPの部分から質問者のSCに向けて「自分の時計で見ればわかるだろ。」なんてベクトル(←)が交差する形で答えを返したりするわけで。 こういう複雑なんだけど自分や相手との関係を分析する学問なんですな。 で、ぐちゃぐちゃになってしまった人間関係の場合、気づいた方がこのベクトルの向きをカエル(変える)ことで、関係がほぐれたりするそうで。 そこで出てきた言葉が「ベクトルカエル」なのでした。 |
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☆スピーチやブログの記事は、長くないほうがいい。
よくわかってるんですが、今日も長くなっちゃいました。自慢話かもしれません。
読みたくない方は、スルーして下さい☆
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私は生まれつき何でも積極的に行動する目立つ女の子だった。
クラスで一番強い女の子。
弱い子がいじめられてると、飛んで行って救出したり(これは正義感が強いということですな)、
○○をやりたい人、って先生が言うと、やりたいときはハイ!って手を挙げてしまうような。
(小2でシンデレラ役をやったときは、あれは推薦だったと思うよ、確か。
ですからあれは、普段から目立っていただけですね!
毒りんご食べて倒れた時、本当に死んじゃったと思ったよ、って真剣な顔であとから同級生の男の子に言われました。私はプレハブ校舎の木の床の匂いしか覚えてないけど。これは自慢話ジャン、あたし馬鹿。)
しかしそんな私を面白くないと思っていた人が沢山いたようなんだな。
でも私は気づかなかった。やりたいようにやっていた。
あるとき「すみれちゃんはでしゃばり」とみんなに指摘される出来事があり、
その晩私はよく眠れなかった。小学校4年の終わりのことである。
「あ〜私って悪い子だったんだ。周りの人の気持ちなんて全然気遣ったことなかった。」
と落ち込んでしまい、私は変わった。
いかに目立たなく暮らすかということに、小学校5,6年と中学時代は気を遣った。
今時の子どもたちみたいですね〜私。
しかし、本来の自分らしさを出さずに暮らすというのは、非常に窮屈なことである。
当時の私は暗かった。知恵のある大人に相談でもしていれば、
みんなからでしゃばりだと思われない方法で自分らしさを出す方法を見つけられたのだろうが、
当時の私は、傷つきやすく、悩み事を親きょうだいに相談する雰囲気なんてない家庭だったせいもあり、
独りで苦悩を抱えて暮らしていた。
ところが高校にあがり、担任と個人面談をした際に読書の話になり、まるで友だちどうしのように気が合って、
大人に認められて話をしている自分になんだか自信がついた。
その頃とある神父と出会い、信仰をもったことも、自分が元気になったきっかけだったように思う。
私は私でいいじゃん!って開き直ったっていうか、そんな変化があったのだった。
「私は悪い子だ」という自信のなさは、高校でその担任に出会うまで払しょくされなかったのだから、
本当に暗いトンネルを長いこと歩いていたんだなあって思う。
なんせ5年間だから!
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で、何が書きたいかというと、その暗いトンネル時代から、私は赤面症になってしまって、
授業中などに発言するときは、あがってしまって、うまくものが言えなかった。
20〜30人単位の人の目にどう自分がうつるのか、意識しすぎてしまったのである。
気心の知れた少人数なら、全然問題なかったのだけど…。
「目立たないようにしなくちゃ」というトンネルを抜けた高校でもその癖は治らなかったし、
大学時代もそうだった。
サークルの総会で熱い発言する時も、ドキドキしちゃって顔が赤くなっちゃってね〜。
意見はしっかり持っているし、言葉にすることもできるんだけど、何しろ苦手でした。
人前で発言するのが。
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しかし「スピーチをするのがうまい!」という素質が、実は私にはあったのです。
父親の遺伝子を、そのまんまもらったみたい。
社会人になった年に教会に行くようになり、すぐに信者になって教会学校の先生になってから、
その素質が開花しました。
それまでわからなかったんですよ、スピーチがうまいなんてね。
それが急に、人前で話をしても、全然あがらなくなっちゃったのです。
子どもたち相手だからってのもあったけど、子どもたちの後ろには立派な先輩たちが沢山見ていて、
聖書の話なんかを自分で一生懸命考えて、1年から6年の子どもたちにわかるように、
話して聞かせるんですから、難しかったんだけどね、大丈夫でした。
まるっきり人前で話すことが平気になってしまって、本当に自分では不思議でした。
そんな娘時代〜友人の結婚式でスピーチを頼まれると、終わった後みんなに随分誉められました。
話の内容がまとまってるし、話の雰囲気もよかったようです。
育児中〜子どもの幼稚園時代保護者会長をして、地域の幼稚園の総会の司会など頼まれますと、
度胸がすわってしまって、余計上手にこなしてしまったり。
我ながら、父からもらった遺伝子が開花するのが遅すぎたよ、って思ったりしたもんですが、
まぁ人の役に立ったわけなんで、よしって感じ。
それから十数年たち、今も教会は通っていますが、大勢の前で話す機会が結構めぐってきます。
すると、自分では必要事項を頭でまとめて適当にしゃべるんですが、上手だったねと言われます。
私は、あ〜これもみんな、お父さんのお陰だわ、と思います。
なんとか会の司会なんかしても、時間ピッタリに終わらせることができたり。
司会上手だった父親の血だわ、と、やっぱり思います。
今日は、高校の同窓会、どうしても出席してよ〜と幹事をしている友人から泣きのメールが来ました。
何でも3年前に私が出席したとき、20年ぶりぐらいだったのでスピーチしたんですが、
それが感動的だったからどうしてももう1回会いたいなんて書いてありまして、
あらま〜そんじゃ〜出るか!なんて、おだてられてつい出席と返事してしまった。
馬鹿ですな〜私。
3年前のスピーチが前向きで、その友はなんだか励まされたんだってさ。
何をしゃべったのか、あまり記憶にないけど確か、
人生色々あったけれども、この学校で学んだことがいかに自分を支えてくれたか、ということを
感謝の気持ちを込めて述べたような記憶がおぼろげながらあるんだけど。
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ここでは両親への文句や不満をよく書いてるくせに、
今日は父親への感謝とか、自画自賛とか、普段と違う内容になってしまいました。
ごめんなさい。
何より、長すぎます。
これが私の、なかなか克服できない短所なのです。わかっちゃいるんですが。。。。
〜おわり〜
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