㈣ 「誠ひとつが天の理」・・・この世は心がすべての原動力となる 教祖は「誠ひとつが天の理」と仰せられます。 また「人をたすけるが真の誠」と仰せられました。 「人をたすけるが真の誠」ということは、人間が互いにたすけ合う姿こそが真の誠であり、そうした生き方が陽気ぐらしの世界だということです。 そして「人をたすけて我が身たすかる」とも仰せられ、人を助けることは自らが真にたすかる道でもあるのです。 おたすけは先ず一番身近な人である家族を大切にし、一家団欒に心を配ることから始まります。 また周囲に身上事情に苦しむ人、悩む人があれば、進んでお願いづとめを勤めましょう。 病む人には真実を込めておさづけを取次ぎ、一日も早く御守護頂けるよう祈りましょう。 教祖が仰せられる真の平和世界とは、単に人間同士が争わない世界ではなく、全人類が元の親を知り、一列兄弟の真実に目覚めて、互いに睦み合い、たすけ合う神人和楽の陽気世界を言うのです。 教祖は我も人も共に和し、一手一つの心になるところに、楽しみづくめの陽気ぐらしの世界がこの 地上に実現すると仰せられます。 現在世界の人口は約七十億人いますが、私たちはその内のせいぜい七・八十人の人とのお付き合い で一生を終えてゆきます。 考えてみればわずか七・八十人の人間関係の中で、怒ったり喜んだり、泣いたり笑ったりしながら人生を送るのです。だからこそ身近な人を思いやり、常に気くばりをして接することが大切なのです。人生を生きて行く道中には、楽しいことやうれしいことばかりではありません。 時には思いがけない悩みや苦労に遭遇することもあります。それが運命というものです。 両親を選んだり男女の別を選んだり、人の生き死にを選ぶことは人間の自由にならない宿命です。宿命は親神様の思し召しによるもので変えられません。 しかし運命は命を運ぶと書くように、自分の心の使い方次第では、どのようにも変えられるのです。すべては自分の心が原動力となって運命を支配しているのです。これがこの世の仕組みです。 そこで教祖は「心通りの守護はするが、願い通りの守護はしないで」と仰せられるのです。 人間は死ぬのではなく出直す(魂を磨くために、生れ替わり出替わりを繰り返す) 世間一般では人間は「死ぬ」と言いますが、天理教では「出直す」と申します。 教祖は「人間は死ぬのやない、出直すのや、ちょうど古い着物を脱いで、新しい着物に着かえるのと同じことやで」と仰せられました。教祖のお話を信じた人々は死の恐怖から免れることができたのでございます。人間は「三位一体」と申しまして、肉体と・心と、魂の三ツで出来ていると仰せられます。 死ぬということは、肉体は亡骸となり、心は煙となって消えてしまいます。 ところが魂は生き通しで、生まれ変わり出替わりしてこの世とあの世を行き来するのです。 昨日があり、今日があり、明日があるように、前世があり、今世があり、来世があるのです。 教祖は「人間は虫・鳥・畜類等と八千八度の生まれ変わりを経て創造された」と仰せられます。 しかし、人間は心の成人が未熟なため争いを繰り返し、陽気ぐらしにはほど遠い生活をしています。 そこで親神様は再び八千八度の生まれ変わりをさせ、人間の魂を磨き上げる時代へと入っています。 つまり心の成人をするために一代限りでなく、何度も生まれ変わりをしてこの世で魂を磨くのです。 教祖は「前生の因縁寄せて守護する」と仰せられ、この世に生まれると前生でお世話になった人と 組み合わされます。 それは自分の魂を磨くために、神様が自分にとってちょうど良い人と組み合わされるのであります。 なぜ頑固なオヤジなのかと思うでしょうが、頑固なオヤジだから自分の魂が磨かれるのです。 なぜ酒癖が悪い主人なのかと思うでしょうが、酒癖が悪い主人だから自分の魂が磨かれるのです。 なぜ出来の悪い子供なのかと思うでしょうが、出来の悪い子供だから自分の魂が磨かれるのです。 気の利かない奥さんだからこそ、自分の魂が磨かれ心が成人するのです。 口うるさい上司だからこそ、自分の魂が磨かれ心が成人するのです。これがこの世の仕組みです。 大事なことは困った問題や、嫌なことが起きたとき、どのようにその問題を受け止め、どのように 悟るかということです。 困った問題が起きた時こそ、心が成人し魂が磨かれるチャンスと受け止める 困った時、悔んだり、腹を立てたり、人を恨んだりしたので心は成人できません。 困ったときこそ、これは魂を磨くための試練であり、学ぶべきチャンスだと悟ることです。 そして成って来たことを素直に受け入れて、この困った問題から何を学ぶべきかを考えるのです。 例えば病気になったとします。病気自体は喜べませんが、目が見える、物が食べられる、手が動く、足で歩けることを喜ぶのです。苦しい病気の中でありながらも、小さなことに喜びを見出すことができるようになれば、今まで目が見えるのが当たり前だと思っていたことに感謝の心が湧いてきます。 そして当たり前だと思っていたことに感謝できる心になれたのは、考えて見ると病気になったお蔭だという気持ちにさえなれるのです。 それは心が成人し魂のレベルが上がったということです。 「病気さんありがとう」という心になれば、病気でありながらもそこに喜びの心が湧いてきます。 喜びの心が湧いてくると、体中の細胞も喜んでくるのです。 髪の毛の先から爪の先まで喜びにあふれて来ると、体中のナチュラルキラー細胞が活発になります。ナチュラルキラー細胞は癌まで殺すことができる細胞で、おのずと病気も良くなります。 すなわち心が成人し魂に徳が着くと、すべての理が変わって来るのです。 理が変わると言うことは、成って来る原因、つまり元が変わると言うことです。 元が変わると言うことは、信仰的には因縁が変わると言うことです。 因縁が変われば、今までどんなに頑張っても、やることなすことが裏目々々に出て悪い結果ばかりだったのが、今度はそんなに苦労しなくともスラスラと、思うことが思うように成って来ます。 もし何度も同じような困った問題が起きて来るということは、心が成人するような受け止め方がで きていないということを悟らねばなりません。これがこの世の仕組みです。 この世のしくみが解り実践すれば、すべての悩みは解消され幸せになれる 信仰には心定めが大切です。身上や事情が現れたとき、一つ一つ何からでも心定めをして、それに向かって実行して行くのです。 心定めに向かって努めぬいて行く中に、本当にたすかる道が開けてくるのです。 心定めのない信仰は行き先のない船と同じように、目的がないのでフラフラしていつまでたっても御守護が見えてきません。 拝み信心や説教ばかり聞いているような信仰では、生活に結びついていないので実行が伴わず、理屈ばかり言って心が成人しませんから成って来る理が変わりません。 心定めは神様に対して誓うことであると同時に、自分自身に対しても一つの目標を持つことで、その目標に向かって努めぬいてゆくところに、自然と成って来る理が変わるのです。 理が変わるということはすべての元が変わるということで、信仰の上では因縁が変わることです。 神様は心の成人ができるまで、何度も何度も身上事情を通して心得違いに気づくよう見せられます。 心が成人するような受け止め方ができると、二度と同じような困った問題は起きてきません。 私たちは教祖からこの世のしくみを、口に、筆に、ひな形を通して具体的にお教え頂いています。 教祖がお残し下されたひな形の道で一貫していることは、どんな苦労の中もグチ不足を言わず、喜び勇んで通られたということです。困った問題や嫌なことが起きたときこそ、「喜べるような受け止め方、悟り方」をすることで、心が成人し魂に徳がつくのだということをお教え下さいました。 人間の真の値打ちは魂の徳で決まるのです。この世は魂を磨くための心の修行の場なのです。 そして人間の魂は一代限りで終わるのではありません。何度も何度も生まれ変わり出替わりを繰り返して生かされることで、だんだんと心が成人し生きる幸せが味わえるのです。 人間が親神様に生かされて生きる目的は、この世で互いに助け合い、陽気ぐらし世界(真の平和世界)が実現出来る魂に成長するためなのです。 しかし、人類はいまだ人間創造の神意がわからず、我さえ良ければと醜い争いを繰り返しています。そこで親神様は教祖を社としてこの世の表に現れ、神直々に「学問にない、古い九億九万六千年間の人間元始まりの理を世界へ教えたい」と、この道をお啓き下されたのでございます。 このよふのしんぢつなるをせかへちうへ とふしてなりとしらしたいゆへ おふでさき (第十二号 84)
(おわり)
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「この世は必ず原因(種)があって結果(実)が現れる」、はい、まさに因果の道理ですねぇ。
2016/4/19(火) 午前 7:29