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今日は病の元になる、心の使い方についてお話しましょう。 ある末期癌の方のおたすけをさせて頂いたときのことですが、その人が言いますには、 「私は天理教のお話を聞かせて頂くまでは、いつ三階から飛び降りようかということばかり考えて いました」と。 その時私は、たとえ、あと三ヶ月しか生きられないと医者から宣告されても、その残された日々 を、いかにして精一杯、イキイキと生きるかを、共に真剣に考え、共に心の持ち方を変えるよう 手助けをさせて頂く事の大切さを知りました。 現代の医学は、病む人にとっての、心のケアーの大切さを置き去りにし、 外科的な治療にのみ、専念してきたように思います。 近年になって、ようやくこのことの大切さを理解して、ホスピスの病院も出来つつありますが まだまだ数少ないのが現状ですね。 埃の心づかい 天理教の教祖は、陽気ぐらしのできない心使いを「埃」に例えて、非常に分かりやすくお教えくだ さいました。 みかぐらうた よろづよに 世界のところ見わたせど 悪しきのものは さらにないぞや いちれつに 悪しきというてないけれど ちょっとの埃が ついたゆえなり 親神様が陽気ぐらしをさせてやりたいとお創り下されたこの世界に、 悪しきなことなど、何ひとつとしてない。 しかし人間というものは、神様から心の自由を許されたことを良いことにして、 自分勝手な心使いばかりして、せっかく頂いた清い魂を曇らせてしまっている。 その勝って気ままな心使いは、埃のように知らず知らずに積み重なって、 掃いても拭いても取れなくなっている。 それが悪因縁となって、業病難病の元になっている。 しかし何も心配することはない。 全ての病の元は、この心の埃から起きたもので、埃さえすきやかに払ってしまえば、 どんな難しい病でも、たすからぬことはないと、心の埃を八つに分けてお教えくださいました。 つまり「惜しい、欲しい、憎い、可愛い、恨み、腹立ち、欲、高慢」の八つで、その他に 「嘘と追従これきらい」と仰せられます。 たんのうの心 私たちは日常の生活の中で、知らず知らずの間に、この埃の心を使う場合が多いもので、 自分に自覚がないだけに、神様から諭されても、なかなか容易に理解できないのが人情です。 しかし、病に現れてきたという事は、忘れ去ったこととは言え、 まぎれもなく過去において蒔いた種があるわけですから、 先ずこのことを素直に受け入れて、たんのうの心を治め、神様にもたれて行けば、 神様が良きように御守護下さいますから、何の心配もないのであります。 (平成3年10月1日放送) ◆コメントを残してくださればありがたいです。 あなたのブログを訪問して、お返事を差し上げます。 ![]() ◆お悩み事などは下記の「悩みの相談室(無料)」へお気軽にどうぞ。
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テレホン人生講話
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「テレホン講話」のコーナーは、過去に放送した「心の学校」のテレホン人生講話を収録したものです。
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あなたの心の糧として、ぜひ読んで頂ければうれしいです。
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今日は「心と病気の関係」について、お話してみたいと思います。 心がそのまま体に現れてくるという事が分かれば、病気になればなおさら心の安静が 必要ですね。 医者から絶対安静にするようにと言われても、寝ているだけでは安静とはいえません。 寝ていてもびっくりすると、心臓はドキドキと動悸を打ちます。 また腹を立てたり、怒ったり、心配ごとがあれば、胃がキューと痛くなります。 いくら安静にして寝ているからといっても、 心が体に与える影響はとても大きいものです。 医者は安静にするようにと言っても、心の安静までは教えてくれませんね。 そこでどうしても信仰という、心の支えが必要になるのです。 病の元は心から 天理教の教祖は「みかぐらうた」で、 病は辛いものなれど、元を知りたるものはない このたび現れた、病の元は心から と、お教え下さり、「病の起こる元は心にある」と、ハッキリ仰せられています。 逆に考えると、神様の教えによって、心の向きを変えると、病気は治るという事ですね。 「病気」とう字は、気を病むと書きますように、体を病むとは書きません。 医者は体の治療はしてくれますが、心までは治療してくれません。 心の面は本人にまかされているので、大切なことは「正しい信仰」を持つという事です。 正しい信仰とは、自分の心を神の心に近づける信仰です。 病気は神様からのメッセージ つまり、どんなことも許せる心、豊かで温かく、素直な心を育てる信仰なのです。 病気は神様からのメッセージです。 決して困らせよう、苦しませようというものではありません。 だからこそ薬を飲む前に、まず神様の声を素直に聞いて、 心の軌道修正をすることが大切なのです。 それでは今日はこの辺で、また次回をお楽しみに。さようなら。 (平成3年9月1日放送) ◆コメントを残してくださればありがたいです。 あなたのブログを訪問して、お返事を差し上げます。 ![]() ◆お悩み事などは下記の「悩みの相談室(無料)」へお気軽にどうぞ。
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心と身体と運命はひとつ 前回は「陽気ぐらしの五つの条件」についてお話しましたが、五つの条件を満たすカギは すべては自分の心の持ち方にゆだねられているということは、皆様もお分かりのここと 思います。 心で思い、心で念じ、心に描いたことが、そのまま自分の体を通して、行動となって現て 来ます。 そしてその行いの一つ一つが積もり重なって、一時間となり、一日となり、一生となって いくのですね。 つまり自分の一生は、自分の心の現れであり、自分の運命は自分の心から出たものだと いうことになりますね。 このように心と体と運命は、一つの大きな流れとなって、自分自身の生活に密接な影響を 及ぼすことになるのです。 心は顔に現れる 心は目には見えませんが、私達の体を通してハッキリと現れてきます。 体の中でも一番、心は顔に現れます。 うれしい時、悲しい時、心配な時、それぞれに、その人の心がそのまま顔に出ます。 逆に考えれば、その人の心は、顔を見れば分かるということですね。 のんびりとした顔の人、せかせかした顔の人、ずるそうな顔の人、気の強そうな顔の人 臆病そうな顔の人と、心通りにそのまま、そっくり表情に現れます。 日頃何気なく使っている心が、そのまま自分の顔を作っていると思うと恐くなりますね。 ですから、顔のお化粧も大事ですが、その前に心のお化粧をすることも大切な事です。 心のお化粧とは、いつも明るく、穏やかに、笑顔を忘れないということです。 心がうれしいと顔も笑います。顔が笑っているということは、体も笑っているのです。 手も足も、胃も心臓も、髪の毛の先から指の先まで、体中の細胞が笑っているのです。 反対に、心配したり悲しんだり、腹を立てたり怒っだりすると、体全体も同じ事になります。 これは決して体に良いことではありません。 当然自分の運命も、良くない方向にどんどん進んで行きます。 運命とは「命を運ぶ」 運命とは「命を運ぶ」と書きますね。 よく人は「学校が悪いとか、社会が悪い」と言います。 それも一理ありますが、突き詰めれば誰のせいでもありません。 良き運命も、悪い運命も、すべて自分の心で作り上げていくのです。 自分の心に蒔いた種が、そのまま体を通して、一瞬一瞬の行動とって現れてくるのです。 このことを教祖は 「人間というは、身は借りもの、心一つが我がのもの、 たった一つの心より、どんな理も日々出る」 (明治22・2・14) と仰せられます。 つまりは、陽気ぐらしができるのも、できないのも、銘々の心遣い一つによって決まってくると いうことです。 それほど心の使い方というものは、大切なことなのですね。 それでは今日はこのへんで、また次回をお楽しみに、さようなら。 (平成3年9月1日放送) ◆コメントを残してくださればありがたいです。 あなたのブログを訪問して、お返事を差し上げます。 ![]() ◆お悩み事などは下記の「悩みの相談室(無料)」へお気軽にどうぞ。
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経済的に恵まれる 陽気ぐらしとは、端的に申しますと、人生を前向きに、生き生きと生きることですが、 そのためには、先ず「健康であること」そして、「人間関系で和合すること」が大切だと 申し上げましたが、三つ目の条件としては、「経済的に恵まれる」ということです。 いくら体が健康で、人間関係もうまく行っていると申しましても、毎日の生活に事欠く ようでは、決して陽気に暮らすことはできないでしょう。 しかし「経済的に恵まれる」と申しましても、「お金が第一」というのではなくて、人間として 生きていくのに、最低限の生活が出来るだけの、金銭的な余裕というものが必要です。 反面いくらお金に恵まれても、「幸せだ」と感じない人もいます。 人間の欲望は付きませんから、「これでありがたい」と思う心がなければ、どんなにお金に 恵まれても、その人は一生、幸せを感じることはありません。 自分の存在が認められる 陽気ぐらしの条件として次に大事なことは、「自分の存在が認められる」ということではない でしょうか。 高齢化社会といわれる今日、老後の生活が大きな社会問題になっています。 企業戦士として会社で活躍した人が、定年退職して後は、社会的にも立場が無くなり、家庭 でも粗大ごみ扱いされて、「何もしなくていから、テレビでも見ていたら」と、体よくあしらわ れ、「自分が何のために生きているのかわからない」、「いてもいなくても関係ない」というよう な扱い方をされると、人生に希望も無くなり、ついには「老人性認知症」が現れてきます。 人間としてこの世に生を受けている限り、誰しも「自分のやることが、ごこかで認められている」 という、人間としての存在価値を認めて欲しいものです。 「自分のやっていることがどこかで役に立っている。誰かが自分を必要としている」という誇りが 人間として生きる上では、大きな生きがいとなり、励みとなって支えてくれるものですから、 「居ても居なくてもいい」では、これほどな明けないことはありません。 ですから、お年寄りには無理なことはさせられませんが、「あれしてはいかん、これしてはあぶな い」と、やることなすこと取り上げることは、返って良くないことだということも、周りの者は知 っておかばなりません。 「働く」とは、ハタハタを楽させることや 教祖も「人間は働くために生きているのや。「働くとは」、ハタハタを楽させることやで」と仰せ られました。 社会のため、家族のために役立ってこそ、人間として生きる生きがいになるのです。 最後に最も大切なことは、「徳を積む」ということではないかと私は思います。 なぜかと申しますと、世の中には「あんなに真面目で正直な人が、何をやっても裏目裏目に出て、 不幸な目に会うのだろうか」と言われる人がたくさんいます。 たとえば「昨日まであんなに元気だったのに、あっといういう間に亡くなった」とか、「せっかく 苦労して新築したのに、家にも入れずに死んでしまった」とか、「あんなに良い人が、なぜむごい 死に方をするのだろうか」などとよく聞きますが、一体これはどういうわけなのでしょうか。 徳に恵まれること 昔の人は「美田残すな、徳残せ」と言ったそうですが、「徳積み」こそが、陽気ぐらしをするにと って欠かしてはならない、無形の宝ではないかと私は思うのです。 「徳とは魂の持つ器」とも言えると思います。 私たちは神様のお与えで、生かされ生きています。 そのお与えは、太陽の光や、天から降る雨が、満遍なく地上に降り注ぐように、私たちもどなたも 区別されることなくお与え戴いていますが、神様は「せっかく与えても、受け取る方の持つ器によ って、十分身に受け止める人と、せっかく戴いたものを、こぼしてしまう人が出来てくる」と仰せ られます。 そうであるとすれば、この魂に持つ器、つまり徳積みによって、「徳の器」を大きくすることが、 陽気ぐらしにとって、欠くことの出来ない条件ではないかと思うのです。 逆に言えば、しっかりと徳さえ積んでいれば、健康にも、人間関係にも、経済的にも、全て満たさ れた世界に浴することが出来るということなのですね。 それではまた次回お会いしましょう。さようなら。 〈平成3年8月16日放送) ◆また、何かコメントを残してくださればありがたいです。
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健康であること 今日は「陽気ぐらしの条件」ということについてお話したいと思います。 陽気ぐらしの条件は、何といってもまず「健康である」ということでしょうね。 家族の中で、一人でも病人が出れば、その家の生活リズムは狂ってしまいます。 それが長く続けば続くほど、次第に家庭は暗くなり、ついには家庭崩壊にまで なりかねません。 誰しも病気になんかなりたくありませんね。 でも一寸先は暗闇ですから、いつ何時、病気や事故に見舞われるかも知れません。 しかし教祖は、病気というものは元々「無い」と、はっきり仰せられています。 「おふでさき」に なににてもやまいというてさらになし 心ちがいのみちがあるから (三〜95) また「みかぐらうた」では とおどこのたびあらわれた やまいのもとはこころから (十下り目〜10) と、お示し下さいますように、「この世に病というものは無い、あるといえばただ、 心違いの道だけである」と仰せられています。 つまり「病の元は、それぞれが日常生活の中で使う、心に原因がある」ということです。 この「心が病の元である」ということについては、また改めてお話しますが、ともかく健全 な体であることが、陽気ぐらしの第一条件であることは、誰しも認めるところでしょう。 人間関係での和合 次に大切なことは「人間関係の和合」ということだと思うのです。 いくら体が健康であっても、人間関係がギクシャクしていたのでは、毎日がおもしろく ありませんね。 夫婦が背中合わせの生活をしているとか、嫁姑が角を突き合わせていたり、親子げんか ばかりしていたのでは、家庭の中が荒涼とした砂漠のようになってしまいますね。 砂漠には作物も育ちません。人も住めません。 「家庭」という字は、「家に庭」と書きますように、「家」には心の安らぐ「庭」が必要です。 「家族の和合」という「家の中に心の安らげる庭」があれば、そのご家庭では、 ご主人が夜遊びをしたり、子供が非行に走ったりすることは、決してないはずです。 これは家庭の中だけではなく、職場でも上司とか同僚と気が会わず、居場所が無いようでは 満足な仕事も出来ません。 また、兄弟や親戚縁者、そして隣近所、地域社会での和合も大切です。 最近では、ピアノの音がうるさいと、殺人事件を起こしたり、有名な布団たたきのおばさんとか、 些細なことで争いになることがよくありますが、どこの世界でも人間関係は難しいものですね。 それだけに、人間関係で和合するということが、陽気ぐらしをする上では、いかに大切かという ことです。 心の底から信頼し合う 「人の和」と言いますが「和合」ということは、ただ単に「争いが無い」というだけではなくて、 「心の底から信頼し合う」ということが大切です。 表面だけ仲良くやっていても、心の底で憎しみ合っているようでは、「真の和合」とは言えませ ん。むしろ返って、魂に埃を積んでいるのと同じことです。 この魂についた埃が積もり重なると、ついには掃いても拭いても取り除きにくくなり、これが悪因 縁となって、子孫の代に争いを起こす元になってくるのですから、 お互いに気をつけねばなりません。 人と人が心を合わすということは、時には考えると難しくもありますが、 それだけに陽気ぐらしをするには、欠かすことの出来ない条件だということなのですね。 では次回も「陽気ぐらしの五つの条件」についてお話しましょう。お楽しみに、さようなら。 〈平成3年7月16日放送) ◆また、何かコメントを残してくださればありがたいです。
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