えいきの修学旅行

竹さんの『戦国の城の一生』、予約していたAmazonの他からも届く。二冊も手に入るぜ。

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イメージ 1冬の大間城全景(西から)
謙信関東遠征の道1日目の途上にあり、頸城平の入り口を固めます。島倉孫左衛門 の居城と伝わる以外、伝承はありません。麓に島倉集落があり、もとは島倉氏の要害であったものを国主が堅固に要害普請したものと思います。
 南西方向には、錦要害ー直峰城を繋ぐ街道(こちらが上杉軍道)に向いて二重堀切を挟んで郭Eを配し、その先に蛸足状に連結された弓型堀切が網を張ります。その1では、黄線で囲った蛸足状弓型堀切、郭E、主郭を紹介します。
イメージ 27
紫線の遊歩道に沿って辿りましたが、城道は左の谷から上がってきたようです。
 
また北東方向には、雁金城ー虫川城ー直峰城を繋ぐ脇街道があります。主郭崖下に郭A,B,Cを配し、カギ形に折れる大堀切を構えます。大堀切には郭を仕切り谷に落ちる堀切が連結されています。こちらはその2で紹介します。
 
 
 
イメージ 14街道の位置を示すため、関東遠征の道一日目http://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/7961855.htmlでつかった地図に書き込みました。
 
縄張り図の向きと地図の向きは一致します。
 
 
 
イメージ 12
神明社の鳥居脇に大間城入口の標柱と鳥瞰図があります。
場所はここhttp://yj.pn/NYx2d2
 
境内を通って阿弥陀ヶ池の堤防を渡ります。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 13登り口に突き当たります。ここに先ほどの綺麗な縄張り図があります。
主郭まで15分程度です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 16
10分ほど登ると堀切があらわれます。イメージ 15
弓型の堀切
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 17
堀切は直線ではなく弓型のため、たこ足状に結節になります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2郭E
 
右側(東)は畝型阻塞が連続しているように見えなくもありません。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 3どうです?
 
 が、頭上から攻撃できないから畝型阻塞とは言えないか。
 
 
 
 
 
 
 
  
イメージ 18左側(東)には東の谷から上がってきた城道が続いているようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 20堀切2にあたって右に折れ、現遊歩道と交わります。
せすが、痕跡は、折れではなく、堀切にむかって直進しストンと切れています。直進しそうな道です。橋でもあったかもしれません。
イメージ 4郭Eから堀切2(手前)、1(奥)を挟んで主郭を見ます。
 
堀切の番号、郭アルファベットは現地縄張り図の記載と同じです。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5堀切1ごしに主郭を見る。
 
この道は遊歩道で、当時の城道ではありません。
馬庭さんも指摘していますが、郭Eと主郭は堀切で分断され、郭Eから主郭他郭への道がありません。確かに退路がなく、どういう構造なのでしょうか。郭E全体が敵を誘き寄せる意図?大間城兵ではない部隊の駐屯地?
 堀切1右下から主郭下の枡形空間下を迂回し、堀切6にでもでたのでしょうか。
 
イメージ 21堀切1
この堀底を道として通したのでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 22堀切1ごしに見る主格南東下枡形
 
ここを登ったとは考えにくいので、堀切を伝ってさらに下に降り、枡形下を迂回か。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 23
イメージ 6遊歩道から主郭に入ったところです。
南北30m、東西20mの四辺形で、土囲郭土塁が囲みます。
右(南東角に)虎口があります。
左(西面)は他辺に比べ高く立派な土塁が残り、切り口があります。
 
 
 
 
 
 
イメージ 7南東角の虎口
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 25
 
降りると左に折れ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 24
腰郭が先ほどの堀切1と堀切6とで、幅約3m、長さ約20mほどの長方形の枡形に区切られています。
 
イメージ 8堀切6 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 9主郭に戻り、西面の土塁と切り口です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 26切り口の外から見る。
右に折れる道があります。
主郭西面土塁下は急斜面です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 19西切り口外の道は主郭と郭Aの間の堀切3に入り、郭Aに登る道が見えます。
写真奥の高い郭が郭Aです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 10主郭西土塁上からの眺望
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 11その1は、ここまでにします。
その2では、主郭下北東に配された、郭A〜Eとカギ形堀など厳重に構えられた堀切群を紹介します。
左写真は主郭から見た郭Cと郭Bを繋ぐ土橋です。
 

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縄張りが分かりにくい城址といったところで、郭Eの退却路はあると思うんですがね。堀に橋をかけるとか堀底道を通るとか。主郭西の土塁の切り込み、虎口には見えませんでしたか。縄張図に西の切り込みがあったので、てっきり虎口と思っていました。
大手道からの主郭への道筋がどうなるのかですが、縄張図ではちっと分かりませんね。

2011/8/19(金) 午後 4:11 [ 馬念 ] 返信する

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郭Eの西線に谷から上がってきた城道がつづく城道らしき痕跡があります。ので、その先で堀切2を越える橋があったか、堀底に降りたかでしょうか。主郭西の切り口先は、通路が誘導されていたとは見えない崖だった思います。大手のから主郭への道筋は郭A→C→B→主郭南東下枡形という道筋か、郭Aから堀切3を超え、主郭西面の崖にとりつけるか、といった可能性でしょうか。近々、その観点でハチの巣を踏まないように再度攻めてきます。

2011/8/19(金) 午後 10:10 [ えいき ] 返信する

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主郭西の切り口、私の持つ上越市史中世史部会上越の城では虎口とあつかっていません。ですが再訪しよく確認したら郭A方向に道が続いていました。現状を見ると虎口ですね。写真加えてあります。郭Eの退却路、幾度も訪城し愚考してみます。その都度きづくことがあるかもしれません。橋でしたら橋脚のいらない橋で足りそうですね。

2011/8/20(土) 午前 8:04 [ えいき ] 返信する

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