えいきの修学旅行

今年3回ほど遭難しかけたのでガーミン購入。

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           金山谷からみる松倉城
イメージ 1
中央左、木の裏あたりが御屋敷と伝わる。
山裾が根小屋地区で、中腹に大見城(実城?)平といわれる居館、山上の尾根に要害がある。
 
 上杉輝虎は永禄12年、武田と結んだ椎名康胤を松倉城に攻め、要害際に陣取り、根小屋を放火、巣城にし、押し詰めている。
 
 
 
「(前略)廿日越境河所々放火、堀江之地崩、廿一日石田ニ休人馬、廿ニ金山へ押詰、要害際ニ陣取り、廿ニ之暁しんしやう則、従此方堅固ニ為持、同廿三申刻金山根小屋悉自放火、無残所一変、併松倉巣城計ニ而相抱候、所々作毛打散候間、何を以末々可成功候哉(後略)」(上越市史799)永禄十二年八月廿三日 直江大和守 本庄美作守宛 上杉輝虎書状

イメージ 8
 
山上の主郭下、山腹の大見城平との間に駐車場があり、舗装林道が通っている。
 
碑の右下へ降りる道があり、大見城平へつながっています。
 
 
 
 
 
イメージ 9その1では、大見城平へ向かいます
参考文献 佐伯哲也『越中中世城郭図面集Ⅱ』

 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 10途中、水飲み場という場所があります
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 11土塁がみえてきます
 
 
 
 
 
 
 
 
 
振り返ります
イメージ 12下ってきた遊歩道は、城道ではなく、当時は右上の郭伝いに主郭したの郭にとりついたようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 13
急直下、大見城平へ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 14
城主居館だけではなく、重臣の屋敷が建つこともできる広さがある
 年代は特定できないが、大見城平は焼かれた痕跡があり、輝虎による放火が大見城平にまで及んでいたかもしれない。(佐々vs景勝による戦闘かもしれない)
 
 
イメージ 15
ほぼ中央部に説明版(この写真は山上方向をむいています)
 
この右手に城下集落から登城路を迎える石門があります。
 
遊歩道は写真下に向かい、切岸を抜けて城下集落からの登城路につながります。
イメージ 2
 
これが城下集落からの登城路のようです
 
 
 
 
 
 
 
 
振り返ります。
 
イメージ 3
遊歩道は切岸を抜けていますが、この切岸は140mもあり、当時は、この切岸にあたり右に折れ、切岸下を長く通り、屈曲を経て石門にから大見城平へはいったようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 17左側
塁々といった雰囲気 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 4
遊歩道の右側切岸
 
登城者は、ここを通ったか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5屈曲を経て石門へ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 16線なし
イメージ 6石門
 
佐伯氏は、四脚門の可能性を指摘している
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 7
石門から大見城平
 
 
門の内は、枡形になっていたようである。
 
佐伯氏は、登城者をこの切岸下を通し、屈曲を経て石門、桝形へ迎える設定は、織豊系武将の普請、佐々成政の構築を推定している。
 私は、長い切岸したを通し、屈曲で上の段にあがる設定が、国田城の北尾根に似ていると、地元贔屓に思ってしまう。国田城のそれhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/13740467.htmlは、普請途中で止め未完で、ああいう状態なのでは、と。
 
その2では山上の要害、主郭へ。
松倉城塁群もご覧くださいhttp://blogs.yahoo.co.jp/mei8812462/14042062.html

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