えいきの修学旅行

練習としてアメーバブログに飛騨の久々野6/22、牛臥山6/26、切手7/1の3城を投稿します。

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 滝山城は、小田原北条氏ニ代目氏綱の子氏照が天文年間末に養子に入り継いだ山内上杉氏の重臣大石氏の城であったようである。永禄に入ると、越後長尾景虎が、山内上杉憲政を奉じて関東へ越山、小田原北条氏と抗争を開始するようになる。永禄3年には関東諸氏を従えた大軍で本拠小田原城まで攻め降る。滝山城は、景虎が上野、武蔵を経て小田原を衝く経路にあり、多摩川の渡河点平の渡しをおさえる要衝にあることから、長尾景虎の脅威に対し、氏照が大改修したものと思われる。
北には多摩川、南の滝山街道側には長大な横堀を巡らせ、北条権力の大城郭としている。
堅固であることはもちろんだが、築山・弁天池・千畳敷といった迎賓施設も備えた、国主並みの氏照居城に相応しい大城郭である。イメージ 1
←現地説明版に書き込み
図、うえに多摩川、したに滝山街道
 
多摩川沿いの断崖上に中心郭である主郭・中の丸を設け、要害地形ではあるが急崖を多摩川側滝集落から寄せる敵には、武者溜りと称するキルゾーン、馬だしを配する。(その2で)
 中の丸から接続する二郭は、東・南・西に虎口を守る郭馬だしを配する。東・南は関東の名城を歩くで大手とする大手口、鍛冶谷戸口からの敵には、大馬だし小馬だしを重ねて備え、守りを固めるとともに出撃し反撃を加える構えである。(その3で)
 現地説明版で大手とする天野坂口は、三郭、小宮曲輪の間に急な堀底道で迎え入れ挟撃する。(その1で)
 
 
  
 では、その1 天野坂から城内へ入ります。 
イメージ 2
 八王子駅前のホテルに泊まって、駅からバスで攻め寄せました。滝山城下というバス停で降りると、そこが天野坂口です。滝山城には駐車スペースがないのですが、バス利用は便利です。
 
 
 
 
イメージ 10
登り口
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 21
左に曲がり
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 30
右に曲がり
なかなか急な坂です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 31
小宮曲輪(左)と三郭の間に引き込まれます。
小宮曲輪は、土塁が塞ぐ手前から横堀が巡ります。三郭は土塁の奥あたりから、裾を横堀が巡ります。 土塁と堀で食い違わせていたのでしょうか。
 
 
 
 
 
イメージ 32三郭したの横堀
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 33小宮曲輪がわは先の土塁から掘り下ってきて南隅で曲がります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 34
小宮曲輪西面の横堀
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 35
小宮曲輪への桝形虎口?
 
 
三郭ー千畳敷へは後ほど
 
先に小宮曲輪から山の神曲輪へ向かいます
 
 
 
 
 
イメージ 3
小宮曲輪内は敷居程度の土塁で区画分けされていたようである。
氏照が後に拠点を移した八王子城にも小宮曲輪と呼ばれる曲輪がある。
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 4小宮曲輪の中ほどに張出部があり、城外の滝山街道側へ土橋で出ることができたようです
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 5張出部そと、土橋
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 6小宮曲輪の北端
 
天野坂から巡ってきた横堀はここで終わり、
櫓台と桝形を備えた虎口から山の神曲輪へ続く。横堀の外、わば城外にあたるエリアに、山の神曲輪があることになる。
 
 
 
 
 
イメージ 7山の神曲輪への道
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 8
山の神曲輪
 
広いが、横堀内のような防御遺構は見られない。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 9
多摩川
 
戦時、侵入した敵は放火略奪を常とした。領民が非難、もしくは領主によって収容される曲輪であった可能性を指摘している。
 
山の神曲輪から小宮曲輪に入るには、櫓台と桝形を備えた虎口を経なければ入れない。避難もしくは収容されたといっても、積極的に領民を守るという意図でもなかったのではないか。
イメージ 11
山の神曲輪から小宮曲輪への虎口
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 12櫓台
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 13
クランクした桝形
 ↓現地説明版想像図
イメージ 14
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 29天野坂に戻り、三郭から千畳敷に向かいます。
 
三郭からさらに城内、千畳敷方向に入るには、横堀を屈曲して渡る土橋を通らなければなりません。
 
図10郭は横堀線で、張出部が在り左右横堀に横矢をかけることができる
 
郭馬だしは、千畳敷の方に向いて堀が構えられており、城内二郭側から千畳敷に備えている
また、二郭南のより規模の大きな郭馬だしとも連結している
イメージ 15
三郭内
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 16三郭から、屈曲して城内へ繋ぐ土橋を見る
 
厳重というか荘厳
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 17さらに折れて城内、千畳敷と図の10郭の間へ入る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 18図10郭
 
図10郭は横堀線で、張出部が在り左右横堀に横矢をかけることができる
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 19
図10郭張出部
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 20図10郭から千畳敷へ入る虎口
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 22千畳敷
 
迎賓的な施設があったのか
 
城内、二郭側には郭馬だしがあり、北方帯郭下には宴を催したであろう築山を備えた弁天池がある。小田原城にも会所・寝殿・水を用いた庭があり、貴賓をもてなす施設があった。
 
 
イメージ 23千畳敷から見る郭馬だし
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 24郭馬だしは、千畳敷の方に向いて堀が構えられており、城内二郭側から千畳敷に備えている
また、二郭南のより規模の大きな郭馬だしとも連結している(その3で)
 
 
 
 
その1最後、弁天池へ
 
イメージ 25千畳敷から弁天池方向
険しくない帯郭を三段に配している
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 26
弁天池内に築かれた築山
 
写真奥の高地は千畳敷
 
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 27堤防
堤防により水を堰き止め、低地を池としていた
 
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 28堤防の先は、深い渓谷状
 
 
 
 
 
 
 
 
その2では城中心部、主郭・中の丸周辺を辿ります。
 
 
参考文献 関東の名城を歩く南関東編 現地説明版
案内 馬念さん ライトノベル作家森田季節さんにも妙な縁で同行いただきました。

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先日はわざわざ聞きに来ていただき、ありがとうございました。郡絵図にある「古城」は面白いですよね。文献だけではなく、絵画史料からも姿がわかる点で、いろいろと興味は尽きないです。そのうち、何かしら活字化したいと考えています。

滝山城の山の神曲輪は、実は未だに見たことがありません。さすが、あそこまで見にいらっしゃったのですね。深大寺城もご覧になったのでしょうか。

2012/10/24(水) 午後 10:34 竹

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竹さん、お話ありがとうございました。城内側に向かって土塁があるつくり、私も越中松倉城で不思議に感じましたが、運用はきっと竹さん指摘の運用ですね。
私は、竹さんが示された合戦地、双方の城、深大寺陣(あえて陣)の地図に溶け込みました。
頸城郡、またおいで下さい。御館の乱や越後遺民一揆でも、越後国内各地の古城に軍勢が陣どって使われています。
滝山城、馬念さんにどこをどう通っているかさえわからないくらい全域くまなくご案内いただきました。大城郭にブログ記事構成、四苦八苦しています。深大寺城は翌々日の早朝に行ったのですが、入れず、お寺お参りして帰還しました。

2012/11/7(水) 午後 9:38 [ えいき ]


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