花園城
氏邦鉢形領紀行 序、一乱からお読みください。
余湖くんのホームページ鳥瞰図を参考にブログ説明用に概要を記入(実際とは若干のずれがあり) 諏訪神社から登山道がいちおう設けられている。二重竪堀エに取りついて登り、折れる箇所・関門で主郭・二郭側と三郭・四郭側に分かれる。まずは関門からB区域・三郭、四郭を辿りましょう。
本殿東(右)花園城への登山道看板がある。
祠の裏を回り西に進む。
写真奥に竪堀らしき溝が降りてきている。
が、花園城、こんなレベルではない。
堀エが竪堀となって山上から二重に分かれ降り下っており、そこに遮られる。
ウキウキ。
ここまで諏訪神社から3分。この先、遺構を見ながら薮中も徘徊しますので、時間はあてになりません。時間は略します。
うえ方向
右に分岐した竪堀がもう一本降りている。
左に堀をあがり、登ります。 現在、ここからA区域に入る踏み跡がありますが、ブログ構成上、堀エを登り、B区域・三郭、堀オ・四郭に向かいます。
この付近の堀右B区域には石積のある段郭がある。
後ほど、この付近からB区域にあがります。
を上から
また、突き当り左に登りB区域にあがる口がある。ここをA関門とし、その2ではここからA区域・二郭・主郭を辿ろうと考えています。
三郭に突き当り左に折れる。
もちろんこの間、両側頭上からの挟撃を受けながら進まなければならない。
北端は土橋のような土塁で塞がれてる。
手前にひと畝あり、畝堀のようにも見える。
では堀エ二重竪堀分岐部付近からB区域にあがり、三郭、堀オ、四郭・C区域・堀カ・を目指します。 段は、石積で築かれているが、堅固な石塁といった印象は受けない。といっても耕作地の造作にも見えない。
ここには山上方向と接続する出入り口が石塁で造作されていたように思える構造がある。
先ほどの堀エよりも幅は広い。
堀オも山上で折れを伴う。
B区域(左)よりもC区域(右)のほうが高い。
山上の三郭(左)には堀オに面し土塁が設けられている。三郭は高さを確保し遮蔽、防御力を高めているようだ。
まずはオを渡らず、山上三郭を目指します。
B区域から山上三郭へ
藪化していますが、随所に区画が設けられ、また郭区画と区画の接続がみられます。
馬出のような運用か?
堀オに沿って土塁を伴う
先述した、高さを確保し遮蔽、防御力を高めている。
堀向うは四郭
東(写真奥)に堀カ
堀カに沿って土塁が設けられている。
堀カ
北端は土塁でせき止められている。
土塁は土橋か。
その2ではA関門からA区域・二郭を辿り、主郭を目指します。
参考サイト 余湖くんのホームページ
簡略にとは思っていますが、花園城が素晴らしく、性分もあってくどくどとした構成になってしまっています。これでも随分端折っていますが…。
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